海なし県の山梨で「アワビの煮貝」が名物なのはなぜ?歴史は?発祥は?【あさイチ】

BLOG
スポンサーリンク

こんにちは鳥巣です。6/26のあさイチ中継では、甲府市の「あわびの煮貝」が取り上げられます。甲州の変わった名物では、以前に甲州寿司の「甲斐鉄火丼」や「甲斐にぎり寿司」に触れたことがありますが、今度は鮑の煮貝です。この甲州名物について歴史や発祥などを調べてみました。

甲州名物には海産加工品が多い?

江戸時代や明治などの、流通がまだ発達していなかった時代には、夏でも生魚を安全に持ち込める限界地点を「魚尻線」と呼んでいたそうです。マグロの漁獲量や消費量が日本一の静岡県からの魚尻線は山梨県の甲府周辺だったそうです。

以前にこのブログでも触れた甲州寿司でも酢で〆た「マグロの漬け」や、それに甘ダレ醤油の”ツメ”と呼ばれるタレを塗って食べる文化が今でも残っているようです。

やはり海なし県なので、昔の人は生の(加工品でも)海産物に対する憧れが強かったのではないでしょうか?

<広告の下に続きます>

甲府の煮貝が名物になった歴史は?

では鮑の煮貝はいつ頃から有名になったのでしょうか?

山梨県甲府市では、鮑の煮貝が名物として知られています。それにしても、海なし県の山梨で、なぜ鮑の煮貝が食べられるようになったのでしょうか?それは甲州寿司の成り立ちから容易に想像できます。

遡る事江戸時代のこと、駿河の海で獲れた鮑を加工し、醤油の入った樽に入れて、馬の背中に乗せて保存食として運んだのが始まりとされています。マグロや穴子では酢で〆て運んだことと比べると、ちょっと豪華になった感じがします。

甲州名産「あわび煮貝」(出典:公式Webサイト)
甲州名産「あわび煮貝」(出典:公式Webサイト)

酢は古墳時代に中国大陸から伝わったとされていますが、醤油は鎌倉時代に、中国から伝わった「金山寺味噌」の製法を応用して作られた「溜(たまり)」が現在の醤油の原型となったといわれています。

しかし江戸時代になっても、上方(近畿地方)で作られていた醤油は、「下り物」といわれて珍重されていたようです。関東地方で醤油が作られるようになったのは、江戸時代中期(1700年ころ)で、いわゆる”甘い”関西の醤油とは違う”濃口醤油”が、下総国(今の千葉県)の野田や銚子などで作られるようになりました。

その後、日本全国で醤油づくりが盛んになって、一つの町には必ず醤油蔵があるといわれるほど、庶民の間にも浸透したそうです。

甲府のあわびの煮貝は、静岡で加工されて醤油に漬けられ、樽の中で馬の背中に揺られて山を越え、山梨に着く頃には、濃くもなく薄くもなく程良い醤油の味が鮑に染み込んでいて、他の場所で食べる鮑の煮貝よりも特別美味しく仕上がっていたのだそうです。

そんなことから、「山梨の煮貝は美味しい!」と各地で評判になって、山梨に鮑の煮貝という食文化が根付いていったのだそうです。今ではさすがに馬で樽を運ぶようなことはしていませんが、甲府にはアワビの煮貝で有名な「かいや」という会社があります。

甲府市内の本社には直営店がありますが、他にも山梨県内のスーパーや土産物店でも手に入るようですし、公式WebサイトやAmazon・楽天市場にはオンラインショップもあるようです。

株式会社かいや

<広告の下に続きます>

まとめ

甲州名物には海産加工品が多い?

江戸時代や明治などの、流通がまだ発達していなかった時代には、夏でも生魚を安全に持ち込める限界地点を「魚尻線」と呼んでいたそうです。マグロの漁獲量や消費量が日本一の静岡県からの魚尻線は山梨県の甲府周辺だったそうです。以前にこのブログでも触れた甲州寿司でも酢で〆た「マグロの漬け」や、それに甘ダレ醤油の”ツメ”と呼ばれるタレを塗って食べる文化が今でも残っているようです。

甲府の煮貝が名物になった歴史は?

鮑の煮貝はいつ頃から有名になったのでしょうか?山梨県甲府市では、鮑の煮貝が名物として知られています。江戸時代のこと、駿河の海で獲れた鮑を加工し、醤油の入った樽に入れて、馬の背中に乗せて保存食として運んだのが始まりとされています。マグロや穴子では酢で〆て運んだことと比べると、ちょっと豪華になった感じがします。

タイトルとURLをコピーしました