こんにちは鳥巣です。3/3のあさイチでは鳥取・境港の弓浜絣(ゆみはまがすり)が中継されるようです。弓浜絣は、二百年あまりの歳月をかけて生み出された弓ヶ浜地方(境港市・米子市の弓ヶ浜海岸沿線地域)特産の織物です。素朴な色と柄が綺麗なので調べてみました。
弓浜絣(ゆみはまがすり)ってなに?
弓浜絣は江戸時代中頃から、鳥取県西部の農家の女性たちが織っていた木綿の織物です。農民が自給用に作っていた着物で、素朴な絵柄と丈夫であたたかみのある風合いが特徴です。
「腰が曲がるまで」と長生きを願った海老柄の着物や、男の子の誕生に際して「強く育つように」と鷹や虎柄の布団など、織られた木綿生地には家族の幸せを願う想いが込められています。
藍で染めた糸で織った生地に白抜きの絵画的な美しい曲線、 また文明開化の文字を図案化したものや、戦争中には大砲の柄などと、その時代や世相をうかがえる文様もあって、さまざまな絵柄は今に伝わるものだけでも数百種類に及ぶといいます。
また深い藍色に染めた布地は、洗えば洗うほど色が冴えて肌触りもやわらかくなっていくので、耐久性に優れており実用的で、長く愛用することができるのも庶民の普段着として使いやすい大きな特徴です。
<広告の下に続きます>
どうして”弓浜絣”っていうの?
弓浜絣の「弓浜」は、弓ヶ浜半島と呼ばれる鳥取県境港市から米子市にかけて約20㎞にも及ぶ弓状に湾曲した半島沿岸の名前に由来しています。
境港のある弓ヶ浜半島は、日野川から運ばれた砂が海流によって形成された砂州です。砂丘が並び起伏が大きい西側と、砂丘がなく平坦な東側の違いが特徴で、弓型の曲線を描いています。
この砂州は日野川上流で長年行われていた”たたら製鉄”で使われてきた砂鉄を採るために、山を崩した際の排砂も砂の供給源になったといわれています。
古くから伯耆国(ほうきのくに)で作られる”たたら製鉄”の鋼は、印賀鋼(いんがはがね)と呼ばれ、江戸時代後期には有名な産物でした。
これで作られた日本刀は名刀として知られています。「酒呑童子」の首を切り落とした源頼光が使った国宝「童子切安綱」の作者の「伯耆安綱」も、このあたりで作刀に従事していたといわれています。
「絣」はあらかじめ染め分けた糸を使って図柄を織る技法を言います。 弓浜絣の原材料は伯州綿という、伯耆国で古くから栽培される和綿です。 弓ヶ浜半島では特有の水はけのよい砂地と潮風が綿栽培に適していて、弾力性と保温性に優れた良質な綿が育ちます。

一時は全国的な評価も高く、伯耆地方の一大産業でしたが、近代化が進んだ明治期になると、繊維が太くて短い伯州綿は機械紡績で糸にしづらく、外国産紡績糸の台頭により次第に衰退していきました。
しかし伯州綿を手紡ぎした布のやわらかさや、布団の中綿にしたあたたかさは他の綿で代用できるものではないため、細々ながらも途絶えることなくつくられ続けてきました。
綿花の国内自給率はほぼ0%と言われる現在においてもその栽培が受け継がれ、産業復活を目指す境港市の取り組みもあり、近年収穫面積・収穫量を徐々に伸ばしています。(参考資料:弓浜絣工房B)


<広告の下に続きます>
弓浜絣はどこで買えるの?
弓浜絣の工房の公式サイトにはオンラインショップもあるようですが、現在はほぼ休眠状態で商品は出品されていないようです。しかし楽天市場や京都の着物屋さんのサイトでは弓浜絣の商品も出品されているようです。
<広告の下に続きます>
まとめ
弓浜絣(ゆみはまがすり)ってなに?
弓浜絣は江戸時代中頃から、鳥取県西部の農家の女性たちが織っていた木綿の織物です。農民が自給用に作っていた着物で、素朴な絵柄と丈夫であたたかみのある風合いが特徴です。
どうして”弓浜絣”っていうの?
弓浜絣の「弓浜」は、弓ヶ浜半島と呼ばれる鳥取県境港市から米子市にかけて約20㎞にも及ぶ弓状に湾曲した半島沿岸の名前に由来しています。「絣(かすり)」はあらかじめ染め分けた糸を使って図柄を織る技法を言います。 弓浜絣の原材料は伯州綿という、伯耆国で古くから栽培される和綿です。 弓ヶ浜半島では特有の水はけのよい砂地と潮風が綿栽培に適していて、弾力性と保温性に優れた良質な綿が育ちます。
弓浜絣はどこで買えるの?
弓浜絣の工房の公式サイトにはオンラインショップもあるようですが、現在はほぼ休眠状態で商品は出品されていないようです。しかし楽天市場や京都の着物屋さんのサイトでは弓浜絣の商品も出品されているようです。