歩ける町を、なぜ人力車で巡る?|目線を変えれば見えてくる城下町・松江【人生の楽園】

人力車の目線 BLOG
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島根県松江市。国宝・松江城を中心に堀がめぐり、武家屋敷や古い町並みが残る城下町です。そんな松江の町を、人力車で案内している人がいます。『人生の楽園』の主人公、吉川司さん。20年間勤めた鉄工所を辞め、妻の佳奈美さんとともに、松江から一度姿を消していた観光人力車を復活させました。

でも、ここで素朴な疑問が浮かびます。松江の城下町って、歩けますよね、大して広いわけでもないし…。だったら、わざわざ人力車に乗らなくても、自分の足で歩けばいいのではないでしょうか。

ところが、乗り物が変わると、同じ町でも見える景色が少し変わります。松江城を囲む堀を遊覧船で進めば、水面に近いところから石垣や木々、城下町を見上げることになります。自分の足で歩けば、町の中へ入り、気になった場所で立ち止まることができます。

そして人力車なら、歩いているときより少し高いところに座り、ゆっくり流れていく町を眺めながら、松江を知る俥夫の話を聞くことができます。同じ松江なのに、目線と速度が変われば、見えてくるものまで変わるのかもしれません。

司さんが人力車と出会ったのは、家族で訪れた広島県の宮島でした。そこで人力車を曳いていた女性から聞いた仕事への思いに心を動かされ、「松江でも人力車に乗ってみたい」と探します。ところが、松江に観光人力車はありませんでした。

それなら、自分たちで復活させよう!こうして2023年、「水の都を走る人力車 まつ笑」が走り始めました。20年間、鉄工所で働いてきた司さん。人力車を曳くようになって、もしかすると司さん自身も、それまでとは少し違う目線から故郷・松江を見るようになったのかもしれません。

人力車は、ただ目的地まで人を運ぶための乗り物なのでしょうか。歩ける町を、なぜ人力車で巡るのか。司さんと佳奈美さんが復活させた人力車に乗ったつもりで、いつもより少し高いところから城下町・松江を眺めてみましょう。

【放送日:2026年9月5日(土)18:00 -18:30・テレビ朝日】

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人力車から見る松江は、何が違う?

人力車に乗ったことはありますか?私はまだ、一度もありません。だから最初は、こんなことを思っていました。「歩けるところなら、歩けばいいんじゃない?」確かに、目的地まで移動するだけならその通りかもしれません。

でも人力車の座席に座ってみると、歩いているときとはまず目線の高さが変わります。自分で足元や行き交う人を気にしながら歩く必要もありません。少し高いところに座って、ゆっくり流れていく町を眺める。そこから見える松江は、自分の足で歩いているときとは少し違って見えるのでしょう。

松江には、さらにもう一つ、違う目線から町を楽しめる乗り物があります。松江城を囲む堀を進む堀川遊覧船です。船に乗れば、水面に近いところから石垣や木々、城下町を見上げる。歩けば、町とほぼ同じ高さから見る。そして人力車なら、少し高い座席から町を眺める。

同じ松江城や城下町でも、見る高さが変わるだけで、その表情まで変わってくるのかもしれません。そして、人力車にはもう一つ大きな違いがあります。目の前で人力車を曳いている俥夫が、町を案内してくれることです。「あそこを見てください」そう言われて初めて気づく建物があるかもしれません。

何気なく通り過ぎようとした場所にも、聞いてみれば何百年も前から続く物語が隠れているかもしれません。松江は、国宝・松江城を中心に城下町の面影が残る町です。明治時代には、のちに『怪談』などで知られる小泉八雲もこの町で暮らしました。

今なら歩いて通り過ぎる道も、かつては人力車が日常の交通手段として走っていた時代があります。そんな町を、車でもバスでもなく、人の足で曳かれる人力車の速度で進んでみる。それは目的地まで運んでもらうためというより、いつもとは少し違う目線と速度で、町を見直すための乗り物なのかもしれません。

ところで――。今、私たちを乗せて松江の町を走っている、この人力車。いったい誰が、どうして松江に復活させたのでしょう。人力車を曳いている吉川司さんは、少し前までまったく違う仕事をしていました。

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20年間、鉄工所で働いた人がなぜ人力車を?

松江の町を走りながら、歴史や観光スポットを案内してくれる吉川司さん。ずっと観光の仕事をしてきた人なのかと思ったら、そうではありません。高校を卒業してから20年間、地元の鉄工所で働いていました。

転機が訪れたのは38歳のころ。勤続20年を迎えた司さんは、これからの人生について考えるようになります。「自分は鉄工所の仕事しか知らない」それまで一つの仕事を続けてきたからこそ、そんな漠然とした不安を感じたといいます。

もちろん、20年間続けてきた仕事があります。家族もいます。そのまま働き続けるという道だってあったはずです。それでも司さんは、これまでとは違う仕事にも挑戦してみたいと考えるようになりました。

興味を持ったのは、人と向き合う仕事でした。自分が何かをして、その相手の反応を直接感じることができる。そんな接客の仕事をしてみたい。司さんは鉄工所を辞めることを決め、新しい仕事を探し始めます。とはいえ、この時点で「人力車をやろう」と決めていたわけではありません。

次に何をするのか、まだはっきりとは見えていませんでした。そんな時期に、家族で広島県の宮島へ旅行します。観光を続けて疲れてしまった子どもたちが、ある乗り物を見つけました。「あれ乗りたい!」指さした先にあったのが、人力車でした。

家族を乗せた人力車を曳いていたのは、20歳の女性。子どもたちは大喜びです。そして司さんと妻の佳奈美さんは、その女性に人力車の仕事について聞いてみました。すると返ってきたのは、二人のその後を変える言葉でした。

自分が勉強する。体力をつける。努力する。そうやって自分を磨けば磨くほど、お客さんが「ありがとう」を返してくれる。だから、こんなに素敵な仕事はない。

20年間、鉄工所で働いてきた司さんが探していた「人と向き合う仕事」が、思いがけず家族旅行の途中で目の前に現れたのです。でも、まだ人力車を始めたわけではありません。「それなら松江でも乗ってみよう!」そう思って故郷へ帰って探してみると――。松江には、観光人力車がありませんでした。

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「人力車がないなら、自分たちでやればいい?」

宮島で人力車の魅力を知った司さんと佳奈美さん。松江へ帰ったら、今度は地元で乗ってみよう。そう思って探してみたところ、松江を走る観光人力車は見つかりませんでした。かつて松江市内には観光人力車がありましたが、東日本大震災の影響による観光客の減少などから、運営していた会社が廃業していたのです。

普通なら、「松江にはないんだね」で終わってしまいそうな話です。ところが二人は、そこで終わりませんでした。「人力車がないなら、僕たちでやればいい!」そう考え、松江に観光人力車を復活させることを決めたのです。司さん一人の思いつきではありませんでした。佳奈美さんも人力車に魅力を感じ、自分も俥夫として人力車を曳きたいと考えていました。

考えてみれば、この物語の始まりにはいつも家族がいます。宮島へ出かけたのも家族旅行でした。疲れた子どもたちが「あれ乗りたい!」と人力車を見つけなければ、司さんたちは人力車に乗らなかったかもしれません。そして、そこで出会った女性俥夫に仕事の魅力を聞かなければ、松江で人力車を復活させようとも思わなかったでしょう。

偶然のような出来事が、少しずつ一本につながっていきました。二人は、かつて松江を走っていた人力車が保管されていることを知り、持ち主のもとを訪ねます。そして、「松江の観光を盛り上げてくれるのなら」と、その人力車を無償で譲ってもらえることになりました。

とはいえ、人力車を手に入れれば、すぐに俥夫になれるわけではありません。二人とも人力車を曳いた経験はゼロ。譲ってもらった車体を修理し、体力をつけ、松江の歴史や観光について勉強を重ねました。そして2023年3月。松江におよそ10年ぶりとなる観光人力車「水の都を走る人力車 まつ笑」が走り始めます。

「ないから、あきらめる」のではなく、「ないなら、自分たちでやってみる」。そう思えるほど、宮島で出会った人力車という仕事に、二人は自分たちが探していた何かを感じたのでしょう。

でも、人力車を復活させることが目的だったわけではありません。大切なのは、その人力車に誰かが乗ってくれること。そして、乗ってくれた人に松江の魅力を伝えることです。人力車が運び始めたものは、観光客だけではありませんでした。

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人力車が運ぶのは、人だけ?

人力車の仕事を始めるため、司さんは松江について改めて勉強しました。松江城のこと。城下町の歴史。小泉八雲が暮らした町のこと。観光客から何を聞かれても答えられるように、今も勉強を続けています。

考えてみれば、不思議な仕事です。人力車を目的地まで人を運ぶためだけの乗り物と考えるなら、もっと速くて便利な交通手段はいくらでもあります。城下町を自分の足で歩くことだってできます。それでも人力車に乗る人がいる。そこには「移動する」だけではない楽しみがあるのでしょう。

人力車は、歩くのとそれほど変わらないゆっくりとした速度で町を進みます。でも、自分で歩いているときとは目線が違います。そして目の前には、その町を知る俥夫がいます。

「ここには、こんな歴史があるんですよ」「あそこを見てください」そんな言葉を聞いてから眺めると、それまで何気なく見ていた建物や道が、少し違って見えるかもしれません。人力車が運んでいるのは、人だけではないのでしょう。松江という町に残された物語も、一緒に運んでいるのです。

そして、もう一つ。司さんが人力車の仕事に惹かれるきっかけとなった宮島の女性俥夫は、自分が努力すればするほど、お客さんが「ありがとう」を返してくれることが、この仕事の魅力だと話していました。実際に人力車を始めた司さんたちも、お客さんとの間に生まれる笑顔を大切にしています。

乗る人が笑えば、曳く人もうれしくなる。曳く人が楽しそうに町を案内すれば、乗っている人もまた笑顔になる。人力車という小さな乗り物の上で、人と人とのやり取りが生まれます。その一方で、妻の佳奈美さんは別の方法でも、人が集まる場所をつくりました。自宅を改装して開いた「かふぇ かなちゃん家」です。

自家製パンを使ったフレンチトーストなどの手料理に、司さんが打つ蕎麦。人力車が町へ人を連れ出す場所なら、カフェは人が立ち寄り、腰を下ろす場所です。走る人力車と、立ち止まるカフェ。まったく違うように見えて、どちらにも人と人が出会う場所をつくりたいという二人の思いがあるのかもしれません。

人力車で松江の町を案内するようになった司さん。カフェを開き、人を迎えるようになった佳奈美さん。二人が始めたことを見ていると、運んだり、食べてもらったりすることだけが目的ではないように思えてきます。人と町をつなぐ。そして、人と人をつなぐ。それが二人のつくりたかった「場所」なのかもしれません。

では、人力車を始めたことで松江の見え方が変わったのは、観光客だけなのでしょうか。もしかすると司さん自身も、それまでとは違う目線から、故郷を見るようになったのかもしれません。

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目線を変えれば、故郷も違って見える?

司さんは松江市で生まれ育ちました。高校を卒業すると地元の鉄工所に就職し、20年間働きました。松江城も、城を囲む堀も、昔から残る町並みも、ずっと身近にあったはずです。でも、人力車を曳く仕事を始めてからは、それまでとは少し違う松江が見えるようになったのではないでしょうか。

観光客を案内するためには、自分が町のことを知らなければなりません。当たり前のように通っていた道にも、どんな歴史があるのか。昔から見ていた建物は、なぜそこにあるのか。小泉八雲は、この町で何を見て、何を感じたのか。知っているつもりだった故郷を、もう一度勉強する。

そして知ったことを、今度は人力車に乗った人へ伝えていく。そんなことを繰り返しているうちに、司さん自身も故郷・松江を新しい目線から見るようになったのかもしれません。

考えてみれば、人力車から見える景色そのものが、まったく別のものになるわけではありません。松江城は、ずっと昔からそこにあります。堀も、町並みも変わりません。変わるのは、それを見る私たちの目線です。船に乗って、水面に近いところから見上げてみる。自分の足で、町の中を歩いてみる。

人力車の少し高い座席から、ゆっくり流れていく景色を眺めてみる。そして、そこにある物語を誰かから聞いてみる。それだけで、同じ町の中に今まで気づかなかった景色が見つかることがあります。それは旅先だけの話ではないのでしょう。

毎日歩いている道。ずっと暮らしてきた町。見慣れてしまって、もう何も新しいものはないと思っている場所にも、まだ知らない物語が残っているのかもしれません。20年間、鉄工所で働いていた司さんが人力車を曳くようになったことで、人生を見る目線も少し変わりました。

そして今度は、人力車に乗る人たちの目線を少し変えながら、故郷・松江の魅力を伝えています。遠くへ行かなければ、新しい景色に出会えないわけではありません。いつもの場所でも、見る高さを変えてみる。歩く速度を変えてみる。知らなかった物語に耳を傾けてみる。

すると、昨日まで見慣れていた町の中に、まだ知らない景色が見つかるかもしれません。目線を変えると、景色が変わる。そして、ときには自分の人生の見え方まで変わる。司さんが曳く人力車は今日も、そんな少し違う目線から見る松江を乗せて、城下町をゆっくり走っています。


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