夏の淡路島で、おいしくなる魚介があります。「麦わらダコ」です。麦わら帽子をかぶる季節に旬を迎えることから、そう呼ばれるようになったマダコ。鳴門海峡の激しい潮にもまれ、カニやエビなど豊富な餌を食べて育ったタコは、身が引き締まり、プリプリとした食感と強い旨みが自慢です。
『食彩の王国』では、そんな麦わらダコを求めて淡路島へ。タコのすき焼きに寿司、タコバーガー。さらに、淡路島・洲本市のイタリアン「BAR VIA COSTA」の井壷幸徳シェフが挑むのは、伝統のタコ壺から着想を得た新作「タコ壺イタリアン」です。なんとも楽しそうな夏のタコ尽くし。
ところが――。その背景には、少し気になる数字があります。淡路島のタコの漁獲量は、20年前のおよそ1/4にまで減っているというのです。それほど減っているのなら、単純に獲り続けていて大丈夫なのでしょうか?そこで登場するのが、昔ながらのタコ壺漁です。
タコは、意外なくらい臆病な生き物です。普段は岩の隙間や穴などに身を隠し、そこを自分の居場所にします。そんな習性を利用して海底に壺を沈め、自ら入ったタコを引き揚げる。なんとも素朴な漁法ですが、『食彩の王国』によれば、この伝統のタコ壺にも乱獲を防ぐためのポイントがあるといいます。
獲るための道具が、どうしてタコを守ることにつながるのでしょう。そして、なぜ漁獲量はここまで減ってしまったのでしょうか?鳴門海峡の豊かな海で、タコを獲って暮らしてきた漁師たちは、いま何をしようとしているのでしょう。
夏のごちそう「麦わらダコ」を追いかけていくと見えてきたのは、おいしいタコをどう獲るかではなく、これからも獲り続けるためにどう残すかという問いでした。昔ながらのタコ壺から、料理人が生み出す新しい「タコ壺イタリアン」まで。淡路島の海で、タコと人間がこれからも付き合っていくための知恵を探してみましょう。
【放送日:2026年8月29日(土)9:30 -9:55・テレビ朝日】
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第一章 なぜ夏の淡路島で「麦わらダコ」がおいしくなる?
「麦わらダコ」と聞いて、どんなタコを想像するでしょう?麦わら色をしている? 麦わらを食べる? それとも――。麦わら帽子をかぶったタコ? もちろん、そんなタコが淡路島の海を泳いでいるわけではありません(笑)。
「麦わらダコ」とは、夏に旬を迎えるマダコのこと。昔から麦わら帽子をかぶる季節においしくなることから、この名前で呼ばれてきたといいます。『食彩の王国』の舞台となるのは、兵庫県・淡路島。そこで育つ麦わらダコは、プリプリと引き締まった身と強い旨みが自慢です。
でも、どうして淡路島のタコはおいしくなるのでしょう。その秘密を探してみると、どうやらタコだけを見ていても分からないようです。
タコを育てているのは「うず潮」?
淡路島の南にある鳴門海峡。ここで有名なのが、巨大なうず潮です。狭い海峡を大量の海水が行き来することで、非常に速い潮流が生まれます。番組では、この激しい潮にもまれて育つことが、淡路島のタコの引き締まった身につながると紹介されています。
なんだか、「毎日うず潮で筋トレしているから、ムキムキのタコになる」みたいに聞こえます(笑)。ただ、もちろんタコが流れに向かってトレーニングしているわけではありません。それ以上に注目したいのが、鳴門海峡という豊かな食卓です。
タコは、けっこうなグルメ?
タコは肉食性の生き物です。海底に暮らすカニやエビ、貝などを捕まえて食べます。『食彩の王国』でも、鳴門海峡にはタコが好むカニやエビが豊富だと紹介されています。つまり淡路島のタコにとって、この海は、「流れは激しいけれど、おいしいものがたくさんある場所」ということなのでしょう。
しかもタコは、なかなかのハンターです。昼間は岩穴などに身を潜めていることが多く、夜になると活動が活発になります。岩陰から出て獲物を探し、カニやエビなどを捕らえて食べる。昼間の姿だけを見れば、「そんなに隠れてばかりで大丈夫?」と言いたくなるほど用心深いのに、食事となれば話は別です。夜の海底では、ちゃんと捕食者の顔を見せます。
「旬」って、結局なんだろう?
そして、もう一つ気になるのが、なぜ「夏」がおいしいのか? 魚介類には、それぞれ旬があります。ただし「旬」という言葉は、その季節になると突然、味がおいしくなる魔法ではありません。餌をたくさん食べて栄養を蓄える時期。産卵との関係。水温の変化。成長段階。
さまざまな生物学的条件が重なって、身質や味わいが変化します。「麦わらダコ」という名前は、そんな自然の変化を昔の人が、「麦わら帽子をかぶるころが、うまいぞ」という、とても分かりやすい暦に置き換えた言葉なのかもしれません。温度計も海洋データもなかった時代から、人は食べることで海の季節を知っていたのでしょう。
プリプリの食感は、潮流だけで説明できる?
ここは今回、ちょっと気をつけておきたいところで。「激しい潮流にもまれて育ったから、身が引き締まる」
という説明は、とても分かりやすい。でもタコのおいしさを、潮流だけですべて説明するのは難しそうです。
豊富な餌。海底の環境。水温。成長。そして旬。それらが重なった結果として、淡路島の麦わらダコのおいしさが生まれていると考えたほうが自然でしょう。
つまり、うず潮そのものがおいしいタコをつくるというより、うず潮のある豊かな海全体が麦わらダコを育てている。そんなふうに考えると、少し景色が違って見えてきます。
おいしいからこそ、獲りたい。でも……
そして夏になると、人間の側も黙ってはいません。
タコのすき焼き。寿司。タコ飯。甘酸っぱい家庭料理。さらには――タコバーガー。淡路島、タコを使い倒します🐙(笑)。
旬のおいしいタコなら、たくさん獲って、たくさん食べたい。ところが、ここで今回の記事をひっくり返す数字が出てきます。淡路島のタコの漁獲量は、20年前のおよそ1/4。なぜ、そこまで減ってしまったのでしょう?獲りすぎたのでしょうか? 海が変わったのでしょうか? それとも、別に理由があるのでしょうか?
そして漁師たちは今も、昔ながらのタコ壺を海へ沈めています。そもそも――。あんなに用心深く、岩穴から岩穴へ「ダッシュ!」するようなタコが、どうして人間の沈めた壺には自分から入ってしまうのでしょう。
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第二章 タコは、なぜ壺に入る?──臆病な習性を利用した昔ながらの漁
釣りをするなら、魚が食いつく餌を考えます。網で獲るなら、魚が通りそうな場所へ網を仕掛けます。ところがタコ壺漁では、海底に壺を沈めます。そして待つ。すると――。タコのほうから勝手に壺に入ってくる。考えてみれば、なんとも不思議な漁です。
餌でおびき寄せるわけでもない。針に掛けるわけでもない。網で追い込むわけでもない。人間が用意するのは、「ここ、隠れやすいですよ」という場所だけなのです。
タコにとって「穴」は大切な家
タコは海底の岩場などで、岩の隙間や穴を隠れ家として利用します。柔らかな体を持つタコには硬い殻がありません。そのかわり、狭い場所へ体を滑り込ませて身を守ることができます。
だから海底にちょうどよさそうな穴を見つければ、「ここなら隠れられそうだ」と入っていく。その習性を人間が利用したのが、タコ壺漁です。考えてみれば、人間はタコと力比べをしているわけではありません。タコが何を好むのかを知り、その行動を利用している。とても古く、そして合理的な漁法なのです。
昼は隠れて、夜になると活動する
タコは一般に夜行性の傾向があり、昼間は岩穴などに潜み、夜になると餌を求めて活発に動く種類が多くいます。カニ。エビ。貝。そんな獲物を探して海底を動き回り、食事が終われば、また身を隠せる場所へ戻っていく。
昼間に海の中で見つけても、岩穴から次の岩穴へ、「ダッシュ!」するように移動してしまうこともあります。そんなタコにとって、海底に置かれた壺は、人間の漁具というより、突然現れた格好の隠れ家に見えているのかもしれません。
餌も針もないのに、どうやって獲る?
そしてタコ壺漁の面白いところは、ここからです。タコが入った壺を漁師が引き揚げる。それだけ。釣り針に掛かっているわけではないので、針を外す必要もありません。網に絡まっているわけでもない。船上まで壺を引き揚げれば、中にいたタコを取り出すことができます。
仕組みだけを聞けば、「そんな単純な方法で本当に獲れるの?」と思うほどです。でも、その単純さこそ、長い時間をかけてタコの性質を観察してきた漁師たちの知恵なのでしょう。
漁師は、海の「いつがおいしい」を知っている
そして漁師が見ているのは、単に、「タコがいるか、いないか」だけではありません。いつ獲れるのか。どんな状態なのか。どの時期がおいしいのか。毎日のように同じ海へ出て、獲った魚介を食べてきた人たちは、その微妙な違いを経験として知っています。
日本には、同じ魚なのに成長するにつれて呼び名が変わる「出世魚」もあります。ブリなら地域差はあるものの、ワカシ、イナダ、ワラサ、そしてブリ。大きくなるにつれて脂の乗りや身質も変わります。「麦わらダコ」という呼び名にも、夏になったら、このタコがうまくなる。そんな海辺の人々の経験が込められているのでしょう。
タコ壺は「獲りすぎない漁」なのか?
そして今回、もう一つ気になることがあります。『食彩の王国』では、伝統のタコ壺が乱獲を防ぐためのポイントにもなっていると紹介されています。確かに考えてみれば、タコ壺には物理的な限界があります。一度に海へ沈められる壺の数には限りがある。そして一つの壺から、際限なくタコが出てくるわけでもありません。
網で広い範囲を一気にさらう漁とは、仕組みそのものが違います。だとすれば、「獲れるだけ獲る」のではなく、「壺に入った分を獲る」というタコ壺漁の性質そのものが、漁獲量を抑える方向に働くのでしょうか? あるいは、壺の数や漁をする時期など、人間側のルールがあるのでしょうか?ここは、番組で漁師たちがどんな取り組みを紹介するのか確かめてみたいところです。
なぜなら――。これほど長く続いてきたタコ漁の海で、いま大きな変化が起きているからです。淡路島のタコの漁獲量は、20年前のおよそ1/4。タコ壺という昔ながらの漁法が残っているのに、なぜタコは減ってしまったのでしょう。獲りすぎ? 海水温? 餌? 海そのものの変化? ここから先は、タコの習性ではなく、海の変化を見なくてはいけないのかもしれません。
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第三章 海をきれいにしたら、タコが減った?──「豊かな海」を取り戻す難しさ
淡路島の夏の味覚、麦わらダコ。ところが、そのタコの漁獲量はいま、20年前のおよそ4分の1にまで減っているといいます。なぜなのでしょう? 最初に思い浮かぶのは、「おいしいから、獲りすぎてしまったのでは?」という理由かもしれません。
もちろん漁獲圧は、魚介類の資源を考えるうえで無視できない要素です。でも、淡路島を取り囲む瀬戸内海について調べていくと、もう一つ意外な問題が見えてきます。それが、海の「栄養不足」です。
昔の瀬戸内海は、むしろ栄養が多すぎた
高度経済成長期の瀬戸内海では、今とは正反対の問題が起きていました。工場排水や生活排水などによって、海へ大量の窒素やリンが流れ込んだのです。窒素やリンは、植物プランクトンなどが成長するために必要な栄養でもあります。しかし、多ければ多いほどいいわけではありません。
ヘドロとなって海を汚してしまうこともあります。かつては過剰な栄養によって植物プランクトンが大量発生し、赤潮などの深刻な水質問題を引き起こしました。そこで人間は、海をきれいにしようとします。排水を規制する。下水道を整備する。窒素やリンが海へ流れ込む量を減らす。その結果、瀬戸内海の水質は大きく改善しました。
ここまでは、「汚れていた海を、人間の努力できれいにした」という成功物語です。ところが、その先に思わぬ問題が待っていました。
「きれいな海」と「豊かな海」は同じなの?
海の生態系を下から支えているのは、植物プランクトンなどの小さな生物です。それを小さな生き物が食べ、その生き物をさらに大きな生き物が食べる。そんな食物網の先に、魚やカニ、エビ、そしてタコがいます。
つまり海から栄養塩を減らしすぎれば、植物プランクトン → 小さな生物 → 魚介類という海の食物網全体に影響する可能性があります。
兵庫県では実際に、瀬戸内海の一部で栄養塩の不足が問題視されるようになりました。ノリの色落ちや漁獲量の減少などを背景に、「海はきれいになった。でも、生き物を育てる力まで弱くなってはいないか?」と考えられるようになったのです。なんとも皮肉な話です。
タコが減ったのも「きれいにしすぎた」から?
では、淡路島のタコが減った原因も、栄養塩不足なのでしょうか? ここは慎重に考える必要があります。タコは植物プランクトンを直接食べるわけではありません。タコが好むのは、カニやエビ、貝など。でも、その餌となる生き物も、さらにその餌となる生き物も、海の食物連鎖の中でつながっています。
そのため、栄養塩が減る→ 海の基礎生産が変わる→ 餌となる生物にも影響する→ タコにも影響する、という可能性が考えられています。実際、兵庫県内ではマダコの減少と海の栄養不足との関係が問題として取り上げられています。
ただし、「タコが減った原因は栄養塩不足だけです」とまでは言えません。水温の変化。生息環境。餌となる生物の変化。漁獲圧。さまざまな要因が重なっている可能性があります。自然はなかなか、「犯人はこいつです!」と一人だけ連れてきてはくれないようです。
そして今度は、海に栄養を「戻す」
さらに興味深いのは、その先です。兵庫県では現在、単純に栄養塩を減らすだけではなく、海域の状況に応じて適切に栄養塩を管理する方向へ考え方が変わっています。下水処理場でも、窒素などを徹底的に取り除くばかりではなく、海の生物生産に必要な栄養を意識した管理運転が行われています。
かつては、「海へ栄養を流しすぎないようにしよう」だったものが、今度は、「ちょっと待って。減らしすぎてもいけないぞ」になったわけです。だからといって、昔の汚れた瀬戸内海へ戻せばいいわけではありません。生活排水をそのまま流していた時代へ戻るなんて論外です。
必要なのは、汚れてはいない。でも、生き物を育てる栄養はちゃんとある。そんな海なのでしょう。
「清水に魚棲まず」なのかもしれない
「清水に魚棲まず」という言葉があります。本来は人間関係について使われることの多い言葉ですが、今回ばかりは妙に海の話にも重なって見えます。汚れすぎた海では、生き物は暮らせない。でも、ただ透明できれいなら、それだけで豊かな海になるわけでもない。
人間は長い時間をかけて瀬戸内海をきれいにしてきました。そして今度は、そのきれいになった海を、どうすればもう一度「豊かな海」にできるのかを考え始めています。もしかすると淡路島の麦わらダコが減ったという出来事は、「タコをどう増やす?」だけの問題ではないのかもしれません。
人間は海と、どのくらいの距離で付き合えばいいのか。その答えを探す問題でもあるのでしょう。そして淡路島の漁師たちは、ただ海からタコを獲っているだけではありません。これからも麦わらダコを獲り続けるために、獲り方そのものを考えています。そこで再び登場するのが――あの、素朴なタコ壺です。
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第四章 獲るためのタコ壺が、なぜ乱獲を防ぐ?
タコを獲るために海へ沈める、タコ壺。ところが『食彩の王国』では、この昔ながらの漁具が、「乱獲を防ぐためのポイント」としても紹介されます。獲るための道具なのに、獲りすぎるのを防ぐ。なんだか矛盾しているようにも聞こえます。でも、タコ壺漁の仕組みをもう一度考えてみると、その意味が少し見えてきます。
タコ壺は、海の中を「さらう」漁ではない
タコ壺漁は、とても受け身の漁です。海底に壺を沈め、タコが自分から入ってくれるのを待つ。網で広い海域を囲い込むわけでもなければ、海底にいるタコを片っ端から追いかけるわけでもありません。しかも、一つの壺から何十匹ものタコが次々と出てくるわけではありません。海へ沈められる壺にも限りがあります。
つまり構造的に、「そこにいるタコを全部獲る」という漁にはなりにくい。タコの習性を利用して、壺に入った個体を獲る。昔の漁師たちは、ずいぶん穏やかな方法を考えたものです。
「獲れる量」と「獲っていい量」は違う
ただし、ここで一つ大切なことがあります。タコ壺を使っているだけで、必ず乱獲を防げるわけではありません。壺を際限なく増やしたら? 何度も何度も引き揚げたら? 小さなタコまで全部持ち帰ったら? どんなに昔ながらの漁法でも、人間が「もっと、もっと」と獲れば資源への負担は大きくなります。
だから重要なのは、漁具そのものだけではなく、人間がどこで「これ以上は獲らない」と決めるか。ここなんだと思います。
20年前の1/4になったから、漁師も変わる
かつて豊富に獲れていた淡路島のタコ。ところが現在、その漁獲量は20年前のおよそ4分の1にまで減っているといいます。原因は一つとは限りません。前章で見てきた海の栄養塩の変化。餌となる生き物。水温や生息環境。そして、人間による漁獲。
だからこそ、海の変化を誰より身近に感じている漁師たちは、「今年、何匹獲れるか」だけではなく、「来年も獲れるか」を考えなくてはいけなくなります。これは単なる自然保護ではありません。タコがいなくなれば、漁そのものが続けられない。
漁師にとって資源を守ることは、自分たちの仕事を未来へ残すことでもあるのです。
小さなタコを、海へ帰す
そして資源を守るうえで分かりやすい方法の一つが、まだ小さな個体を獲りすぎないことです。小さなタコを海へ戻し、成長する時間を残す。さらに成長した個体が繁殖できれば、次の世代へつながります。
ここでタコ壺漁の特徴が生きてきます。針に掛ける漁ではない。網へ複雑に絡ませる漁でもない。壺を引き揚げて、中に入っているタコを確認できる。だからこそ、「これはまだ小さいから戻そう」という選択もしやすい漁法だと考えられます。
※番組で具体的なサイズ基準や漁師たちの取り決めが紹介された場合は、ここへ追記するとぐっと強くなります。
「獲らない」というのも、漁師の技術
漁師の腕というと、魚のいる場所を見抜く。潮を読む。大きいものを獲る。たくさん獲る。そんな技術を想像しがちです。でも資源が減っている海では、それだけでは足りません。獲れるけれど、獲らない。小さければ戻す。必要なら漁を休む。次の世代を残す。それもまた、これからの漁師に必要な技術なのでしょう。
たくさん獲った漁師が一番偉いのではなく、来年も、その次の年も獲れる海を残した漁師が一番うまい。そんな時代になっているのかもしれません。
昔ながらの漁法が、未来の漁をつくる
タコ壺は、最新の機械ではありません。むしろ驚くほど単純です。壺を沈める。タコが入る。引き揚げる。それだけ。でも、その単純な漁だからこそ、人間の側が獲り方を調整する余地があります。
獲るために生まれたタコ壺が、獲りすぎないための道具にもなる。そこには、海から恵みをもらいながら、海そのものを残していこうとする漁師たちの知恵があります。
そして今回、その昔ながらのタコ壺を見て、まったく別のことを考えた人がいました。淡路島・洲本市のイタリアンシェフ、井壷幸徳さんです。シェフがタコの力強い吸盤と伝統のタコ壺から思いついたのは――タコ壺そのものを、新しい料理へ変えてしまうこと。
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最終章 タコ壺から、どんな料理が生まれる?──「芋たこなんきん」をイタリアンへ
淡路島の海で、長いあいだタコを獲ってきたタコ壺。タコの習性を利用した、驚くほど単純な漁具です。でも料理人の目には、その壺がまったく違うものに見えたようです。
淡路島・洲本市のイタリアン「BAR VIA COSTA」の井壷幸徳シェフ。イタリアの星付きレストランで修業し、故郷・淡路島へ戻った井壷シェフは、島の食材を使った新しい料理を生み出しています。
今回、シェフが向き合うのはもちろん、麦わらダコ。ところがシェフが漁師のもとを訪ねて目を奪われたのは、タコのおいしさだけではありませんでした。一つは、力強い吸盤。そしてもう一つが、タコ壺そのものだったのです。
漁師には「道具」、料理人には「アイデア」
漁師にとってタコ壺は、仕事に使う道具です。海へ沈める。タコが入る。引き揚げる。長いあいだ繰り返されてきた日常の風景でしょう。ところが料理人は、それを見て、「これを料理にできないだろうか?」と考えます。
同じものを見ているのに、見えているものが違う。これって、なんだか面白いですよね。昔からあるものだから、そのまま残す。それも伝統を守る一つの方法です。でも、昔からあるものを材料にして、今までなかったものをつくる。そんな伝統の残し方もあります。井壷シェフがタコ壺から考え始めた新しい料理は、まさにその試みなのでしょう。
そこへ「芋たこなんきん」がやってくる
そして今回、もう一つ料理のヒントになるのが、「芋たこなんきん」。江戸時代から女性が好むものを表す言葉として知られる、芋。タコ。そして、なんきん――カボチャ。なんとも庶民的な組み合わせです。
でも、淡路島の麦わらダコと伝統のタコ壺、そして「芋たこなんきん」という昔から親しまれてきた言葉が、イタリア料理の技術と出会ったらどうなるのでしょう?ここから先は、井壷シェフの腕の見せどころ。番組では、タコの力強い吸盤を生かした一皿とともに、タコ壺から着想した新しいイタリアンが登場します。

「淡路島の旨みがギュッ!匠の新作 タコ壺イタリアン」
でも料理が完成する前から、一つだけ見えてくるものがあります。
新しい料理は、古いものを捨てて生まれるわけじゃない
イタリアで料理を学んだシェフが、故郷の淡路島へ帰ってきた。そして新しい料理をつくろうとして見つめたものが、最新の調理器具でも、海外から届いた珍しい食材でもなく、昔から漁師が使ってきたタコ壺だった。ここが今回、とても面白いところだと思います。
新しいものをつくるというと、古いものを捨てて、まったく違うものへ変えることだと思いがちです。でも、本当に新しいものは案外、ずっとそこにあったものを、違う目でもう一度見ることから生まれるのかもしれません。
タコ壺がつないでいたもの
今回の旅では、何度もタコ壺が登場しました。最初は、タコの臆病な習性を利用する漁具。次には、獲りすぎない漁を考えるための道具。そして最後には、新しい料理を生み出すアイデア。
同じ一つの壺なのに、見る場所によって役割が変わっていきます。その真ん中にいるのが、淡路島の麦わらダコです。夏になれば、おいしいタコを食べたい。でも、たくさん獲ればいいわけではない。海が変われば、タコも変わる。タコが減れば、漁師も獲り方を変えなくてはいけない。
そして料理人もまた、その食文化を次へ渡すため、新しい食べ方を考える。獲る人がいて、料理する人がいて、食べる人がいる。そのどこか一つでも途切れたら、「淡路島の麦わらダコ」という食文化そのものが続かなくなるのかもしれません。
だから井壷シェフの新しい「タコ壺イタリアン」は、単なる奇抜な新作料理ではなさそうです。昔ながらのタコ壺から、新しい料理が生まれる。そしてその料理を食べた誰かが、「淡路島のタコって、おいしいね」と思う。その小さな経験もまた、麦わらダコを未来へつないでいく一つの力になるのでしょう。
夏の淡路島。うず潮の下に沈められた、昔ながらのタコ壺。その小さな壺の中には、タコだけではなく、淡路島の海と人が積み重ねてきた時間まで入っているのかもしれません。
【淡路島の食材を使った本格イタリアンがアラカルトで楽しめる店】
BAR VIA COSTA(バール ヴィア コスタ)
- 兵庫県洲本市海岸通2丁目6−22
- TEL:050-8881-5266
- 営業時間:17:00~23:00(土・日曜は16:00~0:00)
- 定休日:なし
- URL:https://lisoletta.jp/barviacosta.html
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