【美の壺】天空の聖地・高野山|曼荼羅・数珠・精進料理に見る“祈りの美”

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雲海に包まれた天空の聖地・高野山。空海が開いた真言密教の聖地には、祈りと美が千年の時を超えて息づいています。
絵画「曼荼羅」に表された宇宙観、僧侶の手仕事が伝える数珠、心を映す庭園や精進料理——その一つひとつに日本の“祈りの美”が宿ります。NHK「美の壺」では、高野山の深淵なる世界を、美の視点から紐解きます。

曼荼羅に描かれた“宇宙”——空海が示した祈りの世界

真言密教を象徴する「曼荼羅(まんだら)」は、空海が説いた“宇宙の秩序”と“人の心”を絵として表したもの。中央に大日如来を置き、そこから放射状に広がる神仏たちの配置には、世界の成り立ちと人が到達すべき精神の道が描かれています。

曼荼羅(出典:四国おへんろ)
曼荼羅(出典:四国おへんろ)

文字が読めない人々にも仏の教えを伝えるために、曼荼羅には色や形、位置関係など、細部にまで深い意味が込められています。
見る人はその構図を通して、自らの心の中に“宇宙”を見いだすことができる——まさに「見る経典」と呼ぶにふさわしい存在です。

今もなお、祈りの形は私たちの生活の中に息づいています。呼吸を整え、心を見つめる——それは真言密教の瞑想にも、ヨガの思想にも通じる“内なる曼荼羅”なのかもしれません。

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僧侶の手に宿る伝統——数珠に息づく千年の技

高野山では、僧侶たちが毎日の修行や祈りの場で数珠を手にします。その一連の珠は、単なる祈祷具ではなく“仏の教えを身にまとうもの”として1000年以上にわたり形を変えず受け継がれてきました。

数珠の玉の数は、108。人の煩悩を表すといわれ、祈るたびにひとつずつ浄めていく。その静かなリズムは、心の呼吸を整えるような美しさがあります。

高野山の数珠づくりは、素材選びからすでに“祈りの始まり”です。水晶、菩提樹、黒檀——それぞれの素材には意味があり、職人たちは手にしたときの感触や音、重さにまで心を配ります。

木を削り、磨き、糸を通す。その一つひとつの手仕事に、祈りと時間が凝縮されています。「形を整えることは、心を整えること」——職人たちはそう語ります。

そして僧侶たちが手にするもう一つの道具、錫杖(しゃくじょう)。先端に付いた金属の輪「遊環(ゆうかん)」が、歩くたびにチリ…と澄んだ音を響かせます。その音は、魔を祓い、衆生を目覚めさせる“仏の声”とも言われ、六つの輪は、六道すべてに慈悲を届けるという意味を持ちます。

錫杖(しゃくじょう)(出典:Amazon)
錫杖(しゃくじょう)(出典:Amazon)

手に触れる数珠の感触と、歩くたびに鳴る錫杖の音。それは高野山に流れる“祈りのリズム”を奏でるふたつの調べ。目には見えない美が、音と手の中に息づいているのです。

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宿坊と庭園——祈りが形になった空間の美

高野山を訪れると、まず心に残るのが“空気の静けさ”です。それはただの静寂ではなく、祈りの言葉が染みこんだ空間の沈黙。その沈黙を形にしたのが、宿坊と庭園の美です。

五十を超える宿坊では、僧侶たちが旅人を迎え入れ、宿泊者は朝の勤行に参加し、写経や座禅を体験することもできます。障子越しの柔らかな光、香炉の煙、畳に落ちる影。そこには“心を鎮めるための設計”が息づいています。

庭園もまた、祈りの一部。砂や苔、石、水の配置には、仏の世界観が凝縮されています。流れのない庭の水は“永遠”、苔の緑は“生命”、そして石の配列は“宇宙”を表すといわれます。

高野山の庭園(出典:茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録)
高野山の庭園(出典:茶の湯的 ・ 建築 庭園 町並み観賞録)

高野山の庭園には、“見せるための美”ではなく、“心を映すための美”がある。見る人が静かに心を澄ませたとき、その風景は初めて完成するのです。

雑念を追い払うのではなく、ただ脇に置いておく。そんな静けさの中に、私たちは“祈りと美”の本質を見るのかもしれません。

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高野山の味わい——精進料理とごま豆腐に込められた思想

高野山の食事は、単なる食事ではなく“修行の一部”です。その中心にあるのが、肉や魚を使わず、野菜や豆、穀物で構成された精進料理。食べることを通して心を整え、命の循環に感謝するための“祈りの食”です。

高野山の精進料理には、「五味・五法・五色」という基本があります。
五味は甘・苦・酸・塩・辛、
五法は生・煮・焼・揚・蒸、
五色は白・黒・黄・赤・青(緑)。
それぞれの組み合わせによって、身体と心の調和をとるよう工夫されています。どの料理にも派手な味付けはなく、素材の持つ香りや舌触りが主役。

その控えめな味わいの中に、「足るを知る」という密教の精神が息づいています。そして、高野山を代表する一品がごま豆腐。白胡麻と吉野本葛を丁寧に練り合わせ、大豆を使わずに仕上げるこの料理は、“無の中に豊かさを見いだす”という思想の象徴でもあります。

精進料理(出典:福智院)
精進料理(出典:福智院)

ひと口ふくむと、胡麻の香りと葛のやわらかな弾力が、心の奥にまで静かに広がっていく。高野山の食は、満たすためのものではなく、「いのちを整えるための美」。その静かな味わいこそ、祈りが形になった“もうひとつの曼荼羅”なのです。

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まとめ|祈りと美が溶け合う、天空の曼荼羅

千年の時を超えて受け継がれてきた高野山の祈り。それは、曼荼羅に描かれた宇宙、僧侶の手に宿る数珠と錫杖、そして宿坊や庭園、食卓に広がる精進料理へと姿を変えながら、今も静かに息づいています。

“祈り”と“美”は決して別々のものではなく、ひとつの心から生まれた二つの表現。
心を整え、形にする——その営みが、高野山という天空の地で千年続いてきた理由なのでしょう。

私たちの暮らしの中にも、ほんの少し立ち止まり、深呼吸する時間があります。その静けさの中で、自分の呼吸を感じるとき、きっと私たちもまた、ひとつの“曼荼羅”の中にいるのかもしれません。

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