こんにちは、まどかです。長崎・川棚町発のチューブ豆乳。昭和40年代に生まれてから半世紀以上、地元で愛され続けてきました。なぜ豆乳をチューブに入れて販売するようになったのか?戦後の暮らしや地域特性、家庭や市場での便利さを背景にした発明のきっかけを紐解きつつ、川棚町の人々に親しまれる理由を探ってみます。
朝の一杯やおやつ代わりに、栄養満点のチューブ豆乳。川棚町で生まれたこの便利な豆乳が、半世紀以上地元で愛されてきた理由には、暮らしの知恵と健康への気遣いが詰まっています。地域の暮らしに寄り添い、子どもたちの健康を考えた発明だからこそ、今も愛され続けているのです。
長崎・川棚町の“チューブ豆乳”ってなに?
甘い豆乳?――。甘い風味が特徴のチューブに入った「佐世保豆乳」は、誕生からおよそ70年にわたって、長崎県佐世保市を中心に愛されてきました。

食料が豊かではなかった戦後、「子供に豆乳をおいしく飲ませたい」と、豆腐屋の店主が我が子を思って、当時やっと手に入りやすくなった砂糖を加えたのがルーツともされています。子供にとっては「ぐびぐび飲める甘さ」も大きな魅力なんだといいます。
昭和の時代から変わらない、”ちょっぴり不便”な「フタ」のない容器が魅力だという人もいます。製造メーカーはピーク時から半減して現在は2社となってしまいましたが、ご当地ならではの味を守り続けています。
「佐世保豆乳」と名付けられたのは十数年前ですが、ロケット形をしたポリエチレン製の容器で販売するスタイルは、昭和の時代から変わりません。賞味期限が1週間程度と短く、佐世保市やその周辺でほぼ消費されてしまうといいます。またふるさと納税サイトでも手に入るそうです。
大屋食品工業株式会社
- 長崎県東彼杵郡川棚町百津郷120
- TEL:0956-82-2209
- URL:https://ooyatofu.com/
朝日食品工業
- 長崎県佐世保市万徳町2-2
- TEL:0956-22-6380
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誕生のきっかけと歴史は?
佐世保豆乳はどのようにして生まれたのでしょうか?諸説ありますが、現在も佐世保豆乳を製造する「大屋食品」や「朝日食品工業」では「複数の地元の豆腐屋が同時期に売り始めたのでは?」と考えているそうです。
川棚町のチューブ豆乳は、1952年(昭和27)年創業の大屋豆腐店が、昭和41年ごろに誕生させました。また「発祥」とされる店の一つだった池田豆腐店の元店主の池田真一さんによると、当時の豆乳はそのままでは子どもが飲みにくく、加熱や甘味の工夫が必要でした。そこで「栄養のある豆乳をおいしく飲ませたい」と、砂糖を入れたのだといいます。食料が豊かではない時代、子供への愛情が誕生のきっかけだったのです。砂糖を加えて飲みやすくし、家庭で手軽に使えるようチューブ入りのパックで販売することを考えました。
また、戦後の物資不足や衛生面の課題も背景にありました。冷蔵庫がまだ十分に普及していなくて牛乳や飲料水の保存が難しかった時代、チューブに入れることで衛生的かつ手軽に豆乳を提供できるようになったのです。こうした工夫は、子どもたちの健康を第一に考えた店主のアイデアでもあり、地域の暮らしに根ざした発明でした。
誕生から半世紀以上経った今でも、佐世保市や川棚町では家庭の朝食やおやつ、手土産として愛され続けています。地域に密着した便利さと味わいが、多くの人々に長く支持されてきた理由なのです。
この時代、GHQ主導の戦後の学校給食も本格的に始まりましたが、川棚町の近隣には米海軍の佐世保基地もあり、牛乳とパンを主体とした給食を推し進めたかったGHQとの間で日本の”豆乳”を給食に取り入れることは難しかったのかもしれません。
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チューブ入りになった理由とは?
今やペットボトルや紙パックが主流の時代ですが、佐世保豆乳が入るロケット形の容器は、機械化された1965年(昭和40年)頃から変わっておらずフタがありません。まぁ瓶牛乳の紙のフタも取るのがヘタな子供は中身を飛び散らせていたものですが(笑)
容器にはたっぷりと豆乳が入っており、口の部分をハサミで切れば中身が飛び出てしいます。多くの人は容器の口をくわえ、ビニールパックに入ったアイスと同じようにグルグルと回してかみちぎり、飛び出る豆乳を受け止めます。噛みちぎる自信がない人は、柔らかい「お尻」の部分をかんでちょっぴり穴を開けて飲んだものだと言います。
嚙みちぎる瞬間、中の豆乳が飛び散らないか緊張が走ります。ちょっぴり不便だけど、令和の今となってはその見た目のインパクトも含めて昭和レトロとして愛されているのではないでしょうか?
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まとめ|なぜ“チューブ豆乳”は愛され続けるのか?
この半世紀以上、地元の人々に愛されてきたチューブ豆乳は、川棚町だけでなく佐世保の“ソウルドリンク”としても親しまれています。戦後の暮らしの知恵から生まれたその便利さと、子どもたちの健康を考えた優しさが、今も多くの人々に受け継がれているのです。