千年以上にわたり、人々の祈りとともに生きてきた音があります。それは、空から光が差し込むように広がる 笙(しょう) の響き。人の声に最も近いと言われる 篳篥(ひちりき) の深く強い音。空を駆ける龍のように舞う 龍笛(りゅうてき) の明るい息づかい。
雅楽は、ただの音楽ではなく“天と地、人と神をつなぐ音”。
ひとつひとつの音の奥に、長い年月と、絶えることのない祈りが宿っています。
今回の NHK「美の壺」 では、宮内庁式部職楽部*の稽古と演奏の舞台裏、900年の歴史を受け継ぐ春日大社「春日若宮おん祭」、そして楽器そのものを生み出す職人の技に密着して、普段は決して触れられない雅楽の“奥の扉” が静かに開かれます。
この記事では、雅楽の楽器の響きと、その背景にある物語をやさしく紐解いていきます。音がどこから生まれ、何のために鳴らされてきたのか——その核心へ、静かに耳を澄ませてください。
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雅楽とは?千年以上受け継がれてきた“祈りの音楽”
雅楽(ががく)は、日本における最古の音楽といわれ、千年以上にわたって継承されてきた伝統芸能 です。その起源は、古代に大陸から伝わった音楽が、日本の文化や信仰と融合し、宮中や神社の儀式に欠かせない“祈りのための音楽” として発展したところにあります。
華やかな衣装や、ゆったりとした舞の動きは、見た目の美しさに目を奪われがちですが、雅楽の本質は 「神に捧げる音」 にあります。
ひとつひとつの音は、ただ演奏するために鳴らされるのではなく、天地をつなぎ、願いを届けるために響かされるのです。そのため、雅楽には派手な演出も、劇的な盛り上がりもありません。
けれど、静かに耳を澄ませたときに感じられる胸の奥に染み込むような深い余韻こそが、千年のあいだ絶えることなく続いてきた理由なのでしょう。
現代に生きる私たちにとって、雅楽は日常から遠い存在かもしれません。けれどその音には、言葉を超えて心を静かに揺らす力があります。
ゆっくりと、深く、魂そのものに触れるような音の世界。それが、雅楽という千年の響き なのです。
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宮内庁式部職楽部|伝統を守り続ける演奏者たち
雅楽の音を、千年以上にわたり絶やすことなく守り続けてきた中心的存在——それが 宮内庁式部職楽部(しきぶしょくらくぶ) です。
雅楽は、代々受け継がれる家系によって守られてきました。演奏者の多くは、幼い頃から楽器とともに育ち、
呼吸の仕方、音の出し方、手の角度、体の構え方まで、細部にわたって伝統を受け継いでいきます。
毎日の稽古は、見た目には静かで淡々としているかもしれません。しかしその内側には、伝統を途切れさせてはならないという強い使命感 が宿っています。
決して派手ではなく、評価の声が大きく響くような世界でもありません。それでも、一音一音に込められた集中と祈りは、聴く人の心に深い余韻として残っていきます。
舞台の裏では、楽器の調整や装束の準備、長い時間にわたる稽古が続きます。人々の前に姿を現すのは、ほんのわずかな演奏の時間だけ。けれど、その短い瞬間のために、数え切れないほどの積み重ねが存在しています。
伝統は、自ら語ることはない。ただ静かに、次の世代へと手渡されていく
その静けさこそ、雅楽の尊さと重さを物語っているのかもしれません。
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雅楽の三つの主役|笙・篳篥・龍笛の魅力
雅楽を形づくる中心となる楽器は、笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき) の三つです。それぞれが独自の役割と響きを持ち、三つの音が重なることで、雅楽特有の立体的で深い世界が生まれます。
🕊 笙(しょう)|“天から降り注ぐ光”の音
笙は、竹管を組み合わせて作られた楽器で、和音を奏でることができる数少ない日本の伝統楽器です。その響きは、天から光が差し込むような音と例えられるほど神秘的で、柔らかく広がる和音は、雅楽全体の空間を支える役割を担います。
演奏者は笙を温めながら音を生み出します。冷えてしまうと音が鳴らなくなるため、奏者が胸元で抱えるようにして温める姿は、まるで命を育てているようです。
🔥 篳篥(ひちりき)|人の声に最も近い、力強く深い音
篳篥は、雅楽のメロディを担当する中心的な楽器です。その音色は、人間の声に最も近いと言われ、哀しみも喜びも、祈りも、すべてを包み込むような深い響きを持ちます。
鋭さと温度を同時に秘めた音は、胸の奥を強く揺さぶり、魂の震えを呼び起こすような力があります。
🌬 龍笛(りゅうてき)|空に舞う龍のように自由な音
龍笛は、高く伸びやかな音色が特徴で、笙と篳篥の間を舞うように旋律を彩ります。その響きは、大空を駆ける龍のような自由さと動きを感じさせ、雅楽に広がりと輝きを与えます。
三つの音が重なると、空・大地・人間の声がひとつに溶け合うように響き、たった一瞬でも時間がゆっくりと止まったような感覚を呼び起こします。
雅楽は、音の交わりによって世界をひとつに結ぶ芸術
その美しさは、静けさの中でこそ深く響きます。
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春日若宮おん祭|900年受け継がれる奉納舞楽
奈良・春日大社で毎年行われる「春日若宮おん祭」 は、およそ900年にわたり途切れることなく続いてきた、日本でも特に重要な祭礼のひとつです。
この祭りの中心にあるのが、神に捧げる 奉納舞楽(ほうのうぶがく)。舞と雅楽の演奏が、神前で厳かに、そして荘厳に奉納されます。
演奏者と舞人は、鮮やかな装束に身を包み、色彩豊かな舞楽面をまといます。その姿は華やかでありながら、
静かな緊張感と張りつめた空気に満ちています。
奉納舞楽には、「神と人との橋渡しをする」という深い意味があり、演奏の一音一音、舞のひとつひとつの動きに、祈りが込められています。
900年続くということは、900年間、誰ひとりとして“途切れさせなかった”ということ
時代がどれだけ変わろうと、戦争や自然災害があろうと、人々はこの祭礼を守り続けてきました。その姿は、
ただ伝統を守るという以上に、「未来に手渡す」という強い意志の証 です。
春日若宮おん祭は、雅楽が“生きた文化”として存在していることを、いまに伝える貴重な舞台なのです。
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笙づくりを支える職人の技|音の誕生は手仕事から
雅楽の象徴ともいえる楽器 笙(しょう)。天から光が降り注ぐような和音は、聴く者の心を静かに満たしてくれます。
けれど、その美しい響きは、決して偶然には生まれません。笙は、十七本の竹管 を組み合わせて作られる管楽器です。
竹はすべて自然素材であり、一本一本の癖や硬さ、湿度の影響が大きく、同じ形を作っても同じ音が生まれることはありません。
そのため笙づくりには、竹の呼吸を理解し、音を想像しながら加工していく熟練した職人の感覚と経験 が欠かせません。
竹の選別、乾燥、形の調整、音を正確に響かせるための内部の加工——どの工程もほんのわずかな誤差が命取りになります。音が鳴らなければ、最初からすべてやり直すことも珍しくありません。
そして完成後も、演奏者は笙を自ら温めながら演奏します。冷えると竹が縮み、音が鳴らなくなってしまうためです。胸元で笙を包むその姿は、まるで 命を育て、息を吹き込むような所作。
笙は、職人と奏者、二つの手によって初めて“音”になる
その音は、ただ鳴らすためにあるのではなく、祈りを届けるために存在しているのです。
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NHK「美の壺」放送のみどころ|“音の奥にある物語”を感じる
今回の「美の壺」では、普段は決して見ることのできない雅楽の裏側と、音が生まれる瞬間 に近づくことができます。番組を観る前に、少しだけ知識と視点を持っておくと、映像と音の深さが何倍にも広がります。
🎧 見どころ①|宮内庁式部職楽部の稽古と舞台裏
静寂の中で響く一音。張り詰めた集中の空気。楽器を温め、呼吸を整え、音の入り口を探る瞬間。表舞台に出る前の“音の準備”は、雅楽の本質を理解するうえで欠かせません。
🕊 見どころ②|笙の音が生まれる瞬間
胸に抱かれた笙からふわっと光のような音が立ち上がるあの瞬間。音というより、空気そのものが変わるような体験が待っています。ただ音を聴くのではなく、響きが体の中に降りてくる感覚を味わって欲しいと思います。
💃 見どころ③|900年受け継がれた奉納舞楽の臨場感
春日若宮おん祭の舞台は、時代を超えた時間そのもの。華やかな装束、舞楽面の表情、夜の灯りに照らされる舞台の神々しさ。過去と現在、祈りと音楽が重なる瞬間 を感じられるはずです。
📺 見どころ④|知識を持つと、テレビが“儀式”へ変わる
ただ演奏を眺めるだけでは雅楽の本当の魅力は見えてきません。背景にある祈り、音の役割、職人と演奏者の姿を知って番組を観ると、画面の向こうに、千年の重さが現れるのではないでしょうか?
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まとめ|千年続く音は、祈りと人の手で受け継がれてきた
雅楽の響きは、華やかな舞台の上だけで生まれるものではありません。演奏者の先に広がる長い歴史、音を支える職人の手仕事、祈りを届けるために積み重ねられた時間。そのすべてが重なり合ったとき、初めて 一音の重さ が生まれます。
笙の和音が空間を満たし、篳篥の深い音が心に触れ、龍笛が空を舞うように響くとき——私たちは、ただ音を聴いているのではなく、千年続く祈りの流れの中に身を置いているのかもしれません。
伝統とは、過去を守ることではなく、未来へ受け渡すこと。その思いが、今も静かに息づき続けています。
音は形を持たない。けれど、心に深く残る
なぜ雅楽が千年続いたのか? それはきっと、人が本当に大切にしたいものは言葉よりも、形よりも、“響き”に宿るからではないでしょうか?それはきっと次の世代へ、またその次の世代へ。雅楽の音は、これからも途切れることなく続いていくのでしょう。