港町に残る歴史は、展示されるためにあるのではなく、人の暮らしの中で、静かに息づいている。石川県加賀市の橋立町は、かつて北前船の寄港地として栄え、船主たちが築いた屋敷や蔵が、今も町並みに溶け込む場所である。
その歴史ある町に惚れ込み、カフェと宿を営みながら、橋立の魅力を伝えようとしているのが、平塚覚さんと妻の久美さんだ。幼い頃から歴史に親しみ、社会科の教師を志した覚さん。別の道を歩みながらも、コロナ禍をきっかけに「歴史を身近に感じて暮らしたい」という思いが再び動き出した。
そんな二人が出会ったのが、北前船の元船主ゆかりの屋敷だった。町の記憶に寄り添い、人が集う場所をつくる。橋立町で始まった新しい営みは、港町の歴史に、そっと灯をともしている。
【放送日:2026年2月14日(土)18:00 -18:30・テレビ朝日】
<広告の下に続きます>
北前船の寄港地として栄えた橋立町
石川県加賀市の日本海側に位置する橋立町は、江戸から明治にかけて、北前船の寄港地として大きな繁栄を遂げた港町である。
北前船は、北海道から瀬戸内へと日本海を往復し、各地の産物を積み替えながら富を生み出した“動く商圏”だった。その航路の途中にあった橋立は、人と物、そして情報が行き交う重要な拠点だったのである。
橋立町の特徴は、単なる港町にとどまらない点にある。成功した船主たちは、得た富を一時的な消費に使うのではなく、町に還元した。広い敷地に構えられた屋敷、商いを支えた蔵、そして格式ある町並み。これらは、北前船がもたらした繁栄を、暮らしのかたちとして定着させた証である。
そのため橋立町には、いまも豪壮でありながら落ち着いた空気が残っている。観光地のように歴史を前面に押し出すのではなく、日常の中に自然と溶け込んでいるのが、この町の魅力だ。歩いていると、建物の佇まいそのものが、かつての時間を語りかけてくる。
北前船の時代が終わっても、橋立町は急激に姿を変えなかった。だからこそ、200年近く前の営みが、今も町の骨格として息づいている。この「変わらなかったこと」こそが、後に平塚さん夫妻が惹かれる大きな理由となっていく。歴史は、遠くから眺めるものではない。橋立町では、それが暮らしの背景として、今も静かに続いているのである。
<広告の下に続きます>
歴史に惹かれた覚さんの原点
平塚覚さんは、幼い頃から歴史に強い関心を持っていた人物である。それは年号や出来事を暗記するというよりも、「なぜその時代に、そういう選択がなされたのか?」を考えることが好きだったという。
大学では歴史を学び、将来は社会科の教師になることを目指した。人に教えることで、過去と現在をつなぎたい――そんな思いを抱いていた覚さんにとって、歴史は知識ではなく、生きた物語だったのである。
しかし、東京で教師になるという夢は叶わなかった。卒業後は都内のタイヤメーカーに就職し、一般企業での社会人生活が始まる。その後も、歴史への思いが消えることはなかったが、仕事や生活の中で、次第に表に出ることは少なくなっていった。
28歳のとき、友人を通じて石川県出身の久美さんと出会う。やがて結婚し、39歳で自動車教習所の講師へ転職。定年まで勤め上げることを前提に、安定した日々を重ねていく。
一見すると、歴史を志した青年時代とは、別の人生を歩んできたようにも見える。しかし覚さんの中では「歴史が好き」という軸だけは途切れていなかった。それは表に出ることはなくとも、心の奥で静かに積み重なっていく時間だったのである。
やがて、その積み重ねが動き出すきっかけが訪れる。それが、次の章で描かれる、人生の向きを変える出来事へとつながっていく。
<広告の下に続きます>
コロナ禍が変えた人生の向き
覚さんの人生が大きく向きを変えたのは、コロナ禍による長い自宅待機の時間だった。突然、仕事が止まり、日常のリズムが崩れたことで、これまで考える余裕のなかった問いが、静かに浮かび上がってきたのである。
「このまま定年を迎えて、本当に幸せなのだろうか?」
それは、今の生活を否定する問いではなかった。むしろ、これまで積み重ねてきた時間を受け止めたうえで、残りの人生をどう使いたいのかを自分に問い直す時間だった。
幼い頃から好きだった歴史。社会科の教師を目指した学生時代。忙しさの中で胸の奥にしまい込んできた思いが、この静かな時間の中で、再び輪郭を持ちはじめた。
「東京を離れ、歴史を身近に感じられる場所で何か新しいことを始めたい」
その思いは、衝動ではなく、長年積み重なってきた考えの延長線上にあった。久美さんも、その気持ちにすぐ賛成したという。夫婦で同じ方向を向けたことが、次の一歩を現実のものにしていった。
そこから二人は、伝統的な町並みが残る場所を求め、全国各地を巡ることになる。歴史が「保存」されている場所ではなく、今も暮らしの中で生きている場所を探す旅だった。
コロナ禍は、多くの人にとって困難な時間だった。しかし覚さんにとっては、立ち止まり、考え、選び直すための時間でもあった。人生の向きは、こうして静かに、しかし確かに変わっていったのである。
<広告の下に続きます>
運命の出会い──北前船主ゆかりの屋敷
全国各地を巡る中で、覚さんと久美さんが探していたのは、ただ古い建物ではなかった。歴史が展示物として残っている場所ではなく、暮らしの延長線上に、時間が積み重なっている場所である。
そして四年前、二人は橋立町で、北前船の元船主・久保彦兵衛の分家にあたる屋敷と出会う。およそ200坪の敷地に、母屋、小屋、蔵が並ぶ構え。一つひとつの建物が役割を持ち、かつての暮らしの輪郭を今に伝えていた。
初めて足を踏み入れた瞬間、「ここだ」と感じたという覚さんの言葉は、建物の価値だけを見た判断ではない。この場所が背負ってきた時間を、これからも引き受けられるかどうかを、直感的に問いかけられた瞬間だったのだと思える。
北前船で財を成した人々が、この町に根を下ろし、次の世代へと暮らしをつないできた場所。その屋敷に住むということは、過去を保存することではなく、歴史の続きを生きることを意味していた。
2022年、二人は橋立町への移住を決断する。大きな決断であったが、迷いは少なかったという。それは、理想の建物に出会ったからではなく、この場所でなら、自分たちの人生を重ねていけると感じたからである。
こうして、北前船の時代から続く屋敷は、新たな担い手を迎えることになった。歴史はここで終わらず、二人の手によって、次の章へと静かに引き継がれていく。
<広告の下に続きます>
歴史を味わう場所「Cafe彦兵衛」
橋立町に移住した覚さんと久美さんは、屋敷をただ住むための場所として整えるのではなく、人が集い、町の歴史に触れられる場にしたいと考えた。そこで二人が選んだのが、敷地内にあった小屋を改装して始めるカフェである。
こうして誕生したのが、「Cafe彦兵衛」である。店名に込められた「彦兵衛」は、かつてこの地で北前船を率いた船主の名。新しい店でありながら、橋立町が歩んできた歴史と、きちんと地続きであることを示している。
カフェは、派手な演出で歴史を語る場所ではない。古い建物の佇まい、町の空気、ゆっくりと流れる時間そのものが、訪れた人に橋立の物語を伝えていく。
観光客にとっては、立ち止まって町を感じる場所となり、地域の人にとっては、日常の延長として集える場所となる。その両方を受け止めることができるのは、この場所が「商売の場」である前に、暮らしの一部として開かれているからである。
覚さんと久美さんは、カフェを通して橋立町の魅力を発信したいと語る。それは歴史を説明することではなく、ここで過ごす時間そのものを味わってもらうことだった。
こうして「Cafe彦兵衛」は、北前船の町に新しい灯をともした。それは突然現れた光ではなく、長い時間を経て、自然に引き継がれた灯りである。
カフェ彦兵衛

- 石川県加賀市橋立町ラ 63番地
- TEL:080-8498-7517
- 営業時間:11:30~15:30
- 定休日:なし
- URL:https://www.instagram.com/cafe_hikobee
<広告の下に続きます>
町に泊まり、町を知る「プチホテル彦兵衛」
「町の魅力を伝えるには、立ち寄るだけでは足りない」
覚さんと久美さんがそう感じたのは、カフェを営む中で、橋立町の時間の流れに触れてもらう必要性を実感したからである。
橋立町は、歩く速度を落としてこそ見えてくる町だ。朝と夕で表情を変える港、静まり返る夜の路地、建物に残る生活の気配。それらは、数時間の滞在では伝わりきらない。そこで二人は、町に「泊まる」という選択肢を用意した。
こうして誕生したのが、「プチホテル彦兵衛」である。宿の役割は、豪華さを競うことではない。橋立町で過ごす時間を、無理なく受け止める器になること。北前船の歴史が息づく町で、旅人が一晩を過ごし、朝を迎えることで、町は「観光地」から「記憶の場所」へと変わっていく。
宿では、旬の地元食材も味わえる。とりわけ、今が旬のカニは、この土地ならではの楽しみである。食事もまた、歴史や風土を知るための大切な入り口なのだ。
カフェと宿は、役割が異なるようでいて、目指す先は同じである。橋立町を消費するのではなく、橋立町と時間を共有してもらうこと。「泊まる」という行為を通して、訪れた人は町の静けさや、暮らしの輪郭に触れていく。
それは派手な体験ではないが、後からじわりと心に残る時間である。こうして「プチホテル彦兵衛」は、カフェとともに、橋立町の魅力を支える存在となっていった。町を知るための、もう一つの扉として。
プチホテル彦兵衛
<広告の下に続きます>
カフェと宿で町を元気に!
「お店をやって終わり」ではない。覚さんと久美さんの営みは、橋立町の中へ、さらに一歩踏み出していく。観光客に北前船の歴史を知ってもらおうと、二人は町のウォーキングマップを作成した。ときには自ら案内役となり、屋敷や蔵、港の風景を紹介することもある。
それは特別な演出ではなく、自分たちが惚れ込んだ町を、そのまま伝える行為である。こうした取り組みは、少しずつ町の人たちにも広がっていった。移住者である二人を、地域の人々が自然に受け入れ、支える。その関係性があるからこそ、カフェも宿も、無理なく町に根づいていく。
橋立町を元気にしたい――その言葉は、声高なスローガンではない。人が集い、話し、泊まり、歩く。その一つひとつの積み重ねが、町の活気につながっていく。
北前船の時代、橋立町は人と物が行き交う場所だった。そして今、カフェと宿を通して、人の思いと時間が、再びこの町を行き交っている。
歴史を守るだけではなく、歴史とともに生きる。覚さんと久美さんの挑戦は、橋立町の過去と現在をつなぎながら、静かに、しかし確かに、町の未来を照らしている。
