「いつかは田舎で暮らしたい」そんな言葉を、心のどこかにしまったまま、都会での毎日を続けている人は多いのかもしれない。今回の人生の楽園「瀬戸内 レモン農家のカフェ」は、その“いつか”を、静かに現実の暮らしに変えた夫婦の物語だ。
舞台は、瀬戸内海に浮かぶ島、大崎上島町。外資系保険会社で30年働いてきた松本英紀さんと、染色を続けてきた妻・志乃さんが、この島を終の棲家として選んだ。
レモン農家としての仕事。島の人が集うカフェ。そして、好きな染め物を続ける時間。ここにあるのは、理想を追いかける暮らしではなく、「これでいい」と思える毎日だった。
仕事中心だった30年と、立ち止まった50代
松本英紀さんは、大学卒業後、外資系の保険会社に入り、30年近く働いてきた。転勤を重ね、仕事を最優先にする生活。気がつけば、人生の多くの時間を「次の任務」「次の勤務地」とともに過ごしていた。忙しさの中ですれ違いも生まれ、一度は離婚も経験する。振り返れば、立ち止まって考える余裕は、あまりなかったのかもしれない。
50歳で神戸に転勤したとき、英紀さんの人生は、少しずつ向きを変え始める。そこで出会ったのが、事務の仕事をしながら、趣味で染色に打ち込んでいた志乃さんだった。価値観が近く、話していて無理がない。一緒にいる時間の中で、「こういう生き方もあるのかもしれない」そんな感覚が芽生えていく。
幼い頃、長崎・大村湾を眺めながら育った英紀さんにとって、海や畑のある風景は、ずっと心の奥に残っていたものだった。仕事に区切りが見え始めた50代。「いつかは田舎で農業をしたい」その思いが、ようやく現実の選択肢として浮かび上がってくる。
夢を急いだわけではない。逃げたわけでもない。ただ、これからの時間をどう使いたいかを、初めて自分の言葉で考え始めたのだった。
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「ここでいいね」と思えた島との出会い
移住のきっかけは、計画された下見や、理想を並べた比較ではなかった。志乃さんの知り合いが暮らす島へ、ただ遊びに行ったこと。それがすべての始まりだった。
瀬戸内海に浮かぶ大崎上島町。島を歩き、人と話し、海を眺める。特別なイベントがあったわけでもない。けれど、海岸に沈む夕日を見たとき、英紀さんの中で、言葉にならない感覚が残った。
「ここがいい」と言い切るほどの、高揚感ではない。「ここじゃなきゃだめだ」と力む感じでもない。ただ、「ここでいいね」そう言えた。志乃さんも、その言葉にうなずいたという。
どちらかが背中を強く押したわけではなく、同じ景色を見て、同じ温度で納得した。この“で”には、諦めや妥協ではなく、受け入れる強さがある。
都会を否定したわけでもない。これまでの人生を切り捨てたわけでもない。ただ、これからの日々を過ごす場所として、無理がなかった。移住を決めたのは、勢いではなく、静かな確信だった。
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未経験から始めたレモン農家の毎日
移住を決めたとはいえ、英紀さんは農業未経験だった。土に触れる仕事は、幼い頃に父の畑を眺めていた記憶があるくらいで、本格的に作物を育てたことはない。それでも島の人たちは、「柑橘の島だから」と、英紀さんを自然に受け入れてくれた。
やり方を教え、道具を貸し、困ったときには声をかける。レモンや柑橘の栽培は、想像以上に手がかかる。剪定の時期、実のつき方、天候との付き合い方。一つひとつが、机の上では学べないことばかりだ。それでも、島での農業は孤独ではなかった。近くに、経験を積んできた先輩がいる。「うちはこうしとるよ」そんな一言が、何よりの助けになる。
毎日は、決して楽ではない。天気に振り回されることもあるし、思うようにいかない年もある。それでも英紀さんは、都会で感じていた焦りとは違う疲れを、心地よく受け止めていた。
畑での作業を終え、海を見ながら一息つく。その時間が、一日の区切りになる。仕事に追われていた頃には、なかった感覚だ。未経験から始めた農家の毎日は、「挑戦」という言葉よりも、積み重ねという言葉が似合っている。少しずつ覚え、少しずつ島の時間に馴染んでいく。レモンの木と同じように、英紀さん自身も、この島に根を下ろし始めていた。
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島の人が集う場所をつくるという選択
農家としての暮らしが始まる一方で、英紀さんは、島で過ごす時間の中であることに気づいていく。「気軽に集える場所が、意外と少ない」港や畑では顔を合わせるけれど、ふらっと立ち寄って話ができる場所がない。その感覚は、都会で長く暮らしてきたからこそ、余計に目に留まったのかもしれない。
そんなとき、柑橘用の倉庫が付いた古民家を紹介される。英紀さんは志乃さんに相談し、この場所を、島の人が自然に集まれる場にできないかと考えた。ちょうどコロナ禍で、時間だけはあった。修繕を進め、少しずつ手を入れ、カフェとギャラリー、そして志乃さんの染物体験工房を備えたShiki Farmが誕生する。
レモンを育てる農家であり、コーヒーを出すカフェであり、染め物に触れられる工房でもある。用途を一つに決めなかったのは、島の暮らしに合わせた結果だった。誰かが用事で立ち寄り、誰かが話しに来て、誰かが作品を見に来る。特別なイベントがなくても、人の気配が途切れない。
志乃さんの染色も、「仕事」と「好きなこと」を無理に分けない形で続いている。暮らしの延長に、表現の場がある。島を元気にしたい、という大きな言葉よりも、今日も誰かが来てくれること。その積み重ねが、この場所を育てている。
農業も、カフェも、染色も、すべては同じ方向を向いていた。島で暮らし、島の時間を分かち合うための選択だった。
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まとめ 「終の棲家」を決めるということ
田舎暮らしや移住の話は、どうしても「成功」や「失敗」で語られがちだ。けれど、この夫婦の選択は、どちらでもない場所にあった。仕事中心で走り続けた時間。遠回りや、やり直し。そして50代で出会った、「ここでいいね」と言える場所。大崎上島での暮らしは、理想をすべて叶えた物語ではない。
農業は簡単ではないし、毎日が穏やかというわけでもない。それでも、無理のないリズムで続いている。レモンを育て、カフェを開き、染め物を続ける。どれも特別な挑戦に見えるかもしれないが、根っこにあるのは人とつながりながら暮らしたいという、とてもシンプルな願いだ。
人生の楽園「瀬戸内 レモン農家のカフェ」は、夢を大きく掲げる物語ではなく、時間をかけて納得していく人生を描いていた。「ここが一番」じゃなくていい。
「ここでいい」と思える場所があること。それは、年齢に関係なく、これからの生き方を支えてくれる。瀬戸内の穏やかな海と、レモンの木が並ぶ畑のそばで、今日も誰かが集い、何気ない会話が交わされている。そんな日常こそが、この島で見つけた“楽園”なのかもしれない。