こんにちは鳥巣です。5/30のあさイチではお笑い芸人のこがけんさんが最新の大阪事情をレポートしてくれるようです。よく耳にする曲にオリジナルの歌詞をつけて歌う芸で人気を博していますが、実家は福岡の老舗居酒屋だといいます。そんなこがけんさんの出身や経歴についても気になったので調べてみました。
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こがけん(お笑い芸人)
- 本 名:古賀憲太郎(こが けんたろう)
- 誕生日:1979年2月14日(45歳・2024年5月現在)
- 出身地:福岡県久留米市
- 血液型:A型
- 身 長:178cm
- 学 歴:慶應大学商学部
- 相 方:おいでやす小田
どんな芸で話題になってるの?
こがけんさんの現在の主な芸は、聞いたことのある曲に替え歌風にオリジナルの歌詞をつけて洋楽風に歌うといった歌ネタ芸を得意としています。
またかつて板前修行で鍛えた腕前をバラエティ番組で披露することもあるが、素人にしては料理が上手すぎてお笑い芸になっていないのが玉に瑕ともいえます。
普通の漫才のステージではこれらの芸をアレンジしながら織り交ぜていますが、途中からネタがマニアックになりすぎて誰にもわからなくなるのも芸の一つです(笑)
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これまでの経歴は?
こがけんさんは福岡県久留米市の出身で、福岡教育大学附属久留米小学校から附属の中学校を経て福岡県立明善高校へ進み、推薦で應義塾大学商学部に進んでいます。普通のエリートサラリーマンになるコースですね。
しかし友人の結婚式の司会をしたことをきっかけに、大学時代の同級生とコンビを組んでNSC(吉本総合芸能学院)に入学してお笑い芸人を目指すことになります。
しかしNSCを卒業後は芸人を休業して板前修行に入ります。この経験が今ではテレビなどのバラエティで”料理芸人”と呼ばれる所以なのでしょう。「芸は身を助く」とはよく言ったものです。
2019年にはR-1グランプリ(吉本興業が主催するピン芸人コンクール)で決勝に進出し、同年に同じくピン芸人の「おいでやす小田」を相方にコンビを組んで「おいでやすこが」を結成してM-1グランプリに挑戦します。
M-1グランプリでは3回戦進出に留まりますが、翌年には決勝に進出して準優勝を獲得しました。(優勝はマジカルラブリー)
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実家は老舗居酒屋?!
こがけんさんの実家は久留米市内で現在も続く老舗居酒屋「古賀久」を営んでいます。1919年(大正8年)に古賀久太郎が創業したお店で、現在の店主・廣子さんはこがけんの母になります。
2代目で祖父の久米太郎さんが、ガラスケースに並べた料理を客が取るセルフ式を考案しました。当時としては珍しいやり方で、安くて豊富なメニューも評判になり、地元で人気のお店になりました。
就職氷河期の就活がイヤになっていた時、大学の同級生に「お笑い芸人をやろう」と誘われてNSC東京校に入った時も、「いつか店を継いで欲しい」という母には内緒だったといいます。
そんなこがけんさんも、家族の反対や挫折を越えて苦節約20年。2020年のM-1決勝で、1票差で惜しくも2位になった時には翌日、母の廣子さんと電話で話し、「頑張ったね」と喜ぶ母の声に「自分のやってきたことも間違いじゃなかった」と込み上げるものがあったそうです。
こがさんは、母と姉2人の影響で幼い頃から洋楽を聴いていたといいます。地元の明善高から慶応大に進学してバンドを組み、ボーカルを務めたこともあるそうです。そしてこれらの音楽歴が今の「歌ネタ」につながっているのでしょう。やっぱり「芸は身を助く」ですね。
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まとめ
どんな芸で話題になってるの?
こがけんさんの現在の主な芸は、聞いたことのあるような曲を替え歌風にオリジナルの歌詞をつけて洋楽風に歌うといった歌ネタ芸を得意としています。漫才のステージではこれらの芸をアレンジしながら織り交ぜていますが、途中からネタがマニアックになりすぎて誰にもわからなくなるというのも芸の一つです(笑)
これまでの経歴は?
こがけんさんは福岡県久留米市の出身で、福岡教育大学附属久留米小学校から附属の中学校を経て福岡県立明善高校へ進み、推薦で應義塾大学商学部に進んでいます。友人の結婚式の司会をしたことをきっかけに、大学時代の同級生とコンビを組んでお笑い芸人を目指すことになります。
しかし一時は将来が見通せなくなり、芸人を休業して板前修行に入ります。この経験が今ではテレビなどのバラエティで”料理芸人”と呼ばれる所以なのでしょう。
しかし2019年にはR-1グランプリで決勝に進出し、同年に同じくピン芸人の「おいでやす小田」とコンビを組んで「おいでやすこが」を結成してM-1グランプリに挑戦します。
この年のM-1グランプリでは3回戦進出に留まりますが、翌年には決勝に進出して準優勝を獲得しました。
実家は老舗居酒屋?!
こがけんさんの実家は久留米市内で現在も続く老舗居酒屋「古賀久」を営んでいます。1919年(大正8年)に古賀久太郎が創業したお店で、現在の店主・廣子さんはこがけんのお母様になります。
2代目で祖父の久米太郎さんが、ガラスケースに並べた料理を客が取るセルフ式を考案しました。当時としては珍しいやり方で、安くて豊富なメニューも評判になり、地元で人気のお店になりました。
就職氷河期の就活がイヤになっていた時、大学の同級生に「お笑い芸人をやろう」と誘われてNSC東京校に入った時も、「いつか店を継いで欲しい」という母には内緒だったといいます。