会社員を辞め、日本酒の道へ130年の蔵を継いだ女性杜氏の決断|奈良・御所市【人生の楽園】

酒蔵の発酵タンクの前で一升瓶を持つ女性の横顔 BLOG
酒蔵を継ぐということは、自由に何かを始めることではなく、積み重ねられてきた歴史や人の思いを引き受けることでもある。
スポンサーリンク

会社を辞めて、まったく違う世界に踏み出す。それは年齢を重ねるほど、簡単な決断ではなくなる。

奈良県御所市にある、明治20年創業の酒蔵「葛城酒造」。この歴史ある蔵を、50歳で会社員を辞めて継いだのが、5代目・谷口明美さんだ。

証券会社、保険会社で30年。安定した仕事を離れ、日本酒づくりの世界に飛び込んだ。酒蔵を継ぐ――そう聞くと、「土台がある」「ゼロからではない」と思われがちだ。確かに、蔵も、銘柄も、地域とのつながりも残っている。

けれどその一方で、積み重ねられてきた時間と信頼を背負う覚悟も、同時に引き受けることになる。「好きこそ物の上手なれ」。日本酒が好きで、ものづくりが好きだった。その気持ちだけを頼りに、明美さんは杜氏修業の日々へと踏み出した。

人生の途中で選び直した道。そこにあるのは、派手な成功物語ではない。ただ、好きなことを信じて続ける人の、静かな挑戦の記録だ。

【放送日:2026年1月10日(土)18:00 -18:30・テレビ朝日】

<広告の下に続きます>

なぜ50歳で会社を辞め、日本酒の道を選んだのか?

50歳で会社を辞める――その言葉の重みは、年齢を重ねた人ほどよくわかる。
谷口明美さんは、大阪府出身。証券会社、保険会社と、会社員として30年働いてきた。生活は安定していた。仕事の経験もあった。けれど心のどこかで、ずっと違和感を抱えていたという。

「会社員は、向いていない…。」

大きな不満があったわけではない。ただ、決められた枠の中で働き続けることに、少しずつ息苦しさを感じていた。そんな明美さんが、何度も思い出していたのが、幼い頃に見ていた祖父の姿だった。

鍛冶職人として包丁を打ち、仕事を終えた夜には、日本酒を嬉しそうに飲んでいた祖父。“好きなことを仕事にしている大人”の背中は、いつまでも記憶の中に残っていた。

転機は、ある旅先で日本酒を飲んだときに訪れる。「おいしい」と感じる一方で、ふと、こんな思いが浮かんだという。――自分が思い描いていた味と、少し違う。その瞬間、頭をよぎったのは意外な考えだった。「それなら、自分で造ればいい」

日本酒が好き。ものづくりがしたい。その二つが、一本の線でつながった瞬間だった。もちろん、思いつきで踏み出せる道ではない。酒造りには酒造免許が必要で、新規取得は極めて難しい。現実の壁は、すぐに目の前に立ちはだかった。

それでも明美さんは、立ち止まらなかった。「事業承継」という道があることを知り、奈良県の事業承継・引継ぎ支援センターに登録する。そこで巡り合ったのが、奈良県御所市にある葛城酒造だった。

50歳で会社を辞める決断は、何かを捨てる選択ではなかった。むしろ、自分がずっと大切にしてきた「好き」という気持ちを、もう一度信じ直すための一歩だったのかもしれない。

<広告の下に続きます>

祖父の記憶と「ものづくり」への原風景

谷口明美さんが、日本酒づくりという道を選んだ背景には、幼い頃の記憶が静かに息づいている。明美さんの祖父・喜代治さんは、鍛冶職人だった。包丁を打つ音、火花の散る工房、そして仕事を終えたあとに飲む一杯の日本酒。幼い明美さんにとって、それは特別な光景だった。

祖父は、決して多くを語る人ではなかったという。けれど、黙々と手を動かし、自分の仕事に誇りを持って向き合う姿は、言葉以上に多くのことを伝えていた。なかでも印象に残っているのが、祖父が日本酒を飲むときの表情だ。

一日の終わりに、本当に好きなものを味わう時間。その姿を見ているうちに、明美さん自身も、自然とお酒が好きになっていった。「好きなこと」と「ものづくり」。この二つは、ずっと心の奥で結びついていた。会社員として働いていた30年の間も、その思いが消えることはなかった。

だからこそ、日本酒を「飲む側」から「造る側」へと意識が切り替わったとき、それは突発的なひらめきではなく、長い時間をかけて熟してきた感覚だったのだろう。祖父の背中を見て育った記憶は、「家業を継ぐ」という形ではなかったけれど、“好きなことを仕事として引き受ける”という姿勢を、確かに受け継いでいた。

日本酒づくりの世界へ踏み出した明美さんの原点には、派手な成功体験ではなく、一人の職人が大切にしていた日常と、それを見つめていた幼い頃のまなざしがあった。

<広告の下に続きます>

酒蔵は「始める」より「引き受ける」方が難しい

日本酒づくりに挑戦する――その言葉だけを見ると、新しいことを始める前向きな物語に聞こえる。けれど、酒蔵の世界では「始める」こと以上に、「引き受ける」ことの方が、ずっと重い。

日本酒を造るには、酒造免許が必要だ。しかも新規で取得することは、現実的にはほぼ不可能に近い。だからこそ明美さんは、事業承継という道を探ることになった。そこで出会ったのが、奈良県御所市にある葛城酒造。明治20年創業、130年以上続く酒蔵だ。

長い歴史の中で、味を守り、地域と関係を築き、多くの人に支えられてきた。引き継ぐということは、蔵や設備を受け取ることではない。銘柄の味、取引先との信頼、地域の人たちの思い。それらすべてを、丸ごと背負うことでもある。

葛城酒造の4代目・久保伊作さんは、杜氏の高齢化などを理由に、一時期、酒造りを断念したこともあった。それでも「自分の代で蔵をつぶすわけにはいかない」と、酒造りを再開し、蔵を守り続けてきた。その思いを受け取ることは、簡単なことではない。

外から来た人間だからこそ、余計に感じるプレッシャーもあっただろう。新しいことを始める自由より、積み重ねられた時間を壊さずに受け継ぐ責任。酒蔵の承継とは、その両方を同時に引き受ける選択だった。

明美さんが向き合ったのは、「やりたい」という気持ちだけでは越えられない現実。それでも一歩を踏み出せたのは、好きという感情を、軽い憧れで終わらせなかったからなのだと思う。

<広告の下に続きます>

葛城酒造との出会いと、4代目の想い

谷口明美さんが出会った酒蔵――それが、奈良県御所市にある「葛城酒造」だった。葛城酒造は、明治20年創業。130年以上にわたり、この土地で酒を造り続けてきた。主力銘柄は「百楽門」。派手さはないが、地元の人たちに長く愛されてきた酒だ。

この蔵を守ってきたのが、4代目の久保伊作さん。久保さんは、決して順風満帆な道を歩んできたわけではない。杜氏の高齢化などを理由に、一時期、酒造りを断念せざるを得なかった時期もあった。それでも久保さんは、蔵を手放さなかった。「自分の代で終わらせるわけにはいかない」その思いだけで、酒造りを再開し、なんとか蔵を守り続けてきた。

けれど、後継者はいない。いずれ訪れる限界を前に、久保さんは事業承継・引継ぎ支援センターに相談する。そこで出会ったのが、酒づくりへの強い思いを持つ明美さんだった。外から来た人間に、130年続く蔵を託す――それは、簡単な決断ではなかったはずだ。

けれど久保さんは、明美さんの「好き」という気持ちと、本気で向き合おうとする姿勢に、可能性を見出したのだろう。こうして二人は、師匠と弟子として、そして未来を共につくるパートナーとして、同じ蔵に立つことになる。

葛城酒造を引き継ぐということは、酒の味だけでなく、これまで蔵を支えてきた人たちの思いを、丸ごと受け取ることでもあった。明美さんが背負ったのは、自由に何かを始める軽さではなく、守りながら前へ進むという、重く、そして尊い責任だった。

<広告の下に続きます>

住み込み修業の日々と、杜氏への道

葛城酒造を継ぐと決めた瞬間が、ゴールではない。むしろそこからが、本当の始まりだった。明美さんは、50歳で保険会社を辞め、翌年から葛城酒造に住み込みで修業を始めた。酒づくりは、季節とともにある仕事だ。寒さの厳しい冬、早朝からの作業、発酵という目に見えない相手との対話。頭で理解するだけでは、到底身につかない。

年齢を重ねてからの修業は、体力面でも、精神面でも簡単ではない。若い頃のように、勢いだけで乗り切れるものでもない。それでも明美さんは、一つひとつの作業に向き合い続けた。失敗もあっただろう。思い描いていた味にならないこともあったはずだ。

けれど、そのたびに支えになったのが、師匠である久保さんの言葉だった。「好きこそ物の上手なれ」、この言葉は、甘い励ましではない。好きだからこそ、逃げずに向き合える。好きだからこそ、続けられる。その覚悟を問い続ける言葉でもある。

修業の日々は、夢を叶える時間であると同時に、自分自身を試される時間だった。「本当にこの道を選んでよかったのか」そう自問する夜も、きっとあっただろう。それでも、酒づくりの現場に立ち続けるうちに、少しずつ、自分の時間が積み重なっていく。経験は、すぐに形にはならない。だが確かに、体と心に残っていく。

2021年12月。明美さんは正式に、葛城酒造の5代目となった。一人前の杜氏として認められるまでの道は、まだ続いている。それでも、住み込み修業の日々は、「夢だった酒づくり」を、現実の仕事へと変えていった。この道は、決して平坦ではない。けれど明美さんは今、自分の選んだ時間の中で、確かに前へ進んでいる。

<広告の下に続きます>

百楽門を未来へ──5代目としてのこれから

物語として眺めると、谷口明美さんの歩みは、勇気ある決断と努力が実を結んだ成功譚に見えるかもしれない。けれど実際には、苦しかったことや、挫折しそうになった瞬間ほど、人はあまり多くを語らない。ましてや、蔵を預かる立場になった今、弱音を外に出すことは簡単ではないだろう。

だからこそ、この物語には、派手な達成感や劇的な転機が強調されていない。映し出されるのは、日々の酒づくりに向き合う姿と、それを支える家族、地域の人たちとの穏やかな関係だ。

葛城酒造の主要銘柄「百楽門」は、130年にわたり、この土地で愛されてきた酒だ。5代目としての明美さんの役割は、その味を変えることではなく、この酒がこれからも飲まれ続ける時間を、少しずつ先へつないでいくことなのだと思う。

伝統を守るという言葉は、時に重く聞こえる。けれど明美さんは、「好き」という気持ちを原動力に、蔵と真摯に向き合い続けている。夢を叶えた、というよりも、夢を日常に変えた。そんな言い方のほうが、今の姿にはしっくりくる。百楽門を未来へ。その道は、まだ続いている。静かに、確実に、次の一杯へとつながりながら。

<広告の下に続きます>

まとめ

50歳で会社を辞め、日本酒づくりの世界へ。谷口明美さんの選択は、思い切った挑戦に見えるかもしれない。けれど、その根底にあったのは、幼い頃から心に残っていた「ものづくり」への憧れと、日本酒が好きだという、まっすぐな気持ちだった。

酒蔵を継ぐということは、自由に何かを始めることではなく、積み重ねられてきた歴史や人の思いを引き受けることでもある。その重さと向き合いながら、明美さんは一歩ずつ、杜氏としての時間を重ねてきた。

「好きこそ物の上手なれ」。その言葉どおり、夢を特別なものとして掲げ続けるのではなく、日々の仕事として、静かに続けていく。百楽門を未来へつなぐ道は、今もまだ途中にある。だからこそ、この物語は終わらない。今日の一杯が、また次の一歩につながっていく。

タイトルとURLをコピーしました