新日本風土記|尾道秋冬 心もよう― 路地と渡し船のあいだで

自転車を押して渡し船に乗り込もうとする女性 BLOG
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低く、くぐもったエンジン音が、海の上をすべってくる。岸を離れ、向島へと渡る小さな船。その音は、合図のように、尾道の朝や夕暮れを知らせてきた。

目の前には海。背後には山。その狭間に、尾道の暮らしは積み重なっている。迷路のような路地。坂の途中で立ち止まる人影。渡し船のエンジン音に混じる、遠くの話し声。

秋から冬へ。光はやわらぎ、風は少し冷たくなる。この街では、風景とともに、人の記憶も、静かに季節を移ろっていく。

NHK「新日本風土記」は、広島・尾道の秋から冬を、路地と渡し船のあいだで生きる人々の心の動きとともに見つめる。消えていくもの。引き継がれていくもの。そのどちらにも、同じ時間が流れている。

【放送日:2026年2月2日(月)21:00 -22:00・NHK BSP4K】
【再放送日:2026年2月3日(火)20:00 -21:00・NHK BS】

【再放送日:2026年2月8日(日)6:00 -7:00・NHK BSP4K】

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渡し船の音がつないできた街の時間

渡し船のエンジン音は、尾道では特別な合図ではない。大きく鳴り響くわけでもなく、注意を引くほど主張することもない。ただ、街の雑音にまじって、いつもの場所に、いつもの時間が流れていることを知らせる。

対岸の向島まで、わずかな距離。けれどその短い航路は、生活の中で何度も往復され、人と人、街と街を結んできた。通勤や通学。買い物帰り。何気ない用事の合間。

渡し船は、特別な移動手段というより、街の一部としてそこにある。エンジン音の向こうで、路地から話し声が聞こえる。坂を上る足音が、少し遅れる。尾道の時間は、こうした小さな音に支えられてきた。

賑やかすぎず、静かすぎない。暮らしが、暮らしのままで続いている証のような音。渡し船の音は、人の記憶に残るほど強くはない。けれど、ふと耳にしたとき、「ここに戻ってきた」と思わせる力を持っている。

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迷路のような路地に残る、人の気配

尾道の路地は、まっすぐではない。細く折れ、坂に沿って曲がり、行き止まりのようで、ふと別の道につながっている。観光地の「見どころ」になる前から、ここは人の通り道だった。洗濯物が揺れ、玄関先に置かれた植木が影を落とす。通り過ぎるとき、挨拶を交わすほどでもない。

でも、誰かが暮らしている気配だけは、確かに残っている。路地に響くのは、足音や話し声だけではない。戸を閉める音。階段を上る息遣い。遠くで鳴るラジオ。それらはすぐに消えてしまう。記録にも残らない。

けれど、尾道という街を形づくってきたのは、こうした一瞬一瞬の積み重ねだ。坂の途中で立ち止まると、海がちらりと見える。振り返れば、路地の奥に、また別の生活が続いている。

この街では、風景と人の距離が近い。路地は、人の記憶がすれ違う場所でもある。迷路のような路地を歩くうちに、尾道は少しずつ、「見る街」から「感じる街」へと変わっていく。

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姿を消すもの、閉じられる店

尾道の街にも、少しずつ、変化は訪れている。長く続いてきた渡し船の会社。毎日のように人が出入りしていた飲食店。気づけば、看板が外され、戸が閉じられたままの場所も増えてきた。

それは、劇的な出来事として語られることは少ない。ニュースになるほどでもない。ただ、「いつの間にか、なくなっていた」という形で、街の風景に影を落とす。

理由は、ひとつではない。後継ぎの不在。生活の変化。時代の流れ。どの街でも起きていることが、ここ尾道でも、静かに進んでいる。

それでも、路地を歩くと、完全に空白になった感じはしない。閉じられた店の前を、誰かが足早に通り過ぎる。かつての常連だったかもしれないし、ただの通り道かもしれない。そこにあった時間は、消えてはいない。

使われなくなった場所にも、人の記憶は、折り重なるように残っている。街が変わっていくとき、すべてが一斉に失われるわけではない。音や匂い、ふとした仕草のようなものが、形を変えて、残り続ける。尾道の変化は、急ではない。だからこそ、気づいたときには、少しだけ胸の奥に、余韻が残る。

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引き継ぐ人たちが灯す、新しい光

姿を消すものがある一方で、尾道では、受け取ろうとする人たちの手も、静かに動いている。
古くから続いてきた渡し船。長く親しまれてきた店。そのすべてが、同じ形のまま残るわけではない。けれど、「なくしてしまわないように」という思いが、次の世代へと手渡されることがある。

引き継ぐ人たちは、過去をそのまま再現しようとはしない。無理に賑わいをつくることもしない。ただ、この場所で続いてきた時間に、もう一度、居場所を与えようとする。

新しく開かれた扉の向こうには、少し違う空気が流れている。それでも、路地の曲がり角や、渡し船の発着場のそばにあるという事実が、街とのつながりを感じさせる。

引き継ぐという行為は、大きな決断であると同時に、とても個人的な選択だ。この街で暮らしたい。この景色とともに生きていきたい。その思いが、新しい光として、尾道の中に灯り続けている。

明るすぎない。遠くまで照らそうともしない。けれど、消えずに、そこにある。尾道の変化は、こうした小さな光の集まりによって、ゆっくりと形づくられている。

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景観と個人の記憶が重なるとき

尾道の風景は、ただ美しいだけではない。坂の角度や、路地の幅、海と山の距離。それらは、誰かの記憶と結びついて、初めて意味を持ちはじめる。

子どものころ、毎日のように通った道。仕事帰りに立ち寄った店。渡し船を待ちながら、何気なく見ていた海。同じ景色を見ていても、人それぞれ、胸の奥に浮かぶものは違う。

尾道が、映画や文学の舞台になってきたのも、そのためかもしれない。特別な事件が起きるわけではない。派手な展開があるわけでもない。けれど、風景が人の心を受け止め、そこに、それぞれの物語が重なっていく。

店が閉じられても、建物が姿を変えても、記憶までは、すぐに消えない。新しい人がその場所に立ち、新しい時間を過ごすとき、過去の記憶は、静かにその下に重なっていく。

尾道の景観は、完成されたものではない。人の暮らしとともに、上書きされ続ける記憶の器だ。だからこそ、この街を歩くと、どこか懐かしさを感じる。それは、自分の記憶ではなく、誰かの時間に、そっと触れているからなのだろう。

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秋から冬へ、心もようが深まる街

坂の上から見下ろすと、尾道の街は、海と山のあいだに静かに息づいている。渡し船の港では、エンジン音が、また一日の区切りを告げる。行き交う人は多くなくても、その音は、変わらず街の時間をつないでいる。

秋から冬へ。光は少し低くなり、風は冷たさを帯びる。街全体が、急がず、内側へと向かっていくような季節だ。

尾道では、変わっていくものと、変わらずにあるものが、同じ風景の中に並んでいる。消えていく店の記憶。引き継がれる営み。それぞれの暮らしが、この街の中で、静かに重なり合ってきた。

心もようは、はっきりと言葉になるものばかりではない。けれど、路地の角や、渡し船の音の向こうに、確かに残っている。

尾道の秋冬は、何かを強く訴えかけてはこない。ただ、立ち止まり、耳を澄ませば、街と人の時間が、ゆっくりと伝わってくる。その静けさこそが、この街が長く抱えてきた、心もようなのかもしれない。

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