その絵、何がおもしろいの?|江戸の旅人が持ち帰った「大津絵」というポップアート【あさイチ中継】

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滋賀県大津市に、江戸時代から旅人たちに親しまれてきた「大津絵」という絵があります。鬼がお坊さんの格好をして念仏を唱えていたり、猿が瓢箪を抱えて、ぬるぬるした鯰を捕まえようとしていたり…。「江戸時代のポップアート」とも呼ばれているそうなのですが――。

最初に見た私は、正直こう思いました。

「……その絵、何がおもしろいの?」

ところが、絵に込められた意味を知ってから、もう一度見てみると…。

念仏を唱える鬼には、人間の偽善をからかうような皮肉が見えてくる。瓢箪で鯰を捕まえるなんて、そもそも無理そうなのに、それをやっているのは猿。「おいおい、そいつじゃいつまでたっても埒が明かないよ」なんて、400年前の旅人も笑ったのでしょうか。

大津絵は、名のある絵師が描いた一点ものの美術品ではありませんでした。東海道を行き交う普通の旅人たちが、気軽にお土産に買って持ち帰った庶民の絵です。

見て笑う。意味を聞いて「なるほど」と思う。家へ持ち帰って、今度は誰かに見せながら、その話をする…。

もしかすると大津絵のおもしろさは、絵の中だけではなく、その周りに生まれた会話の中にもあったのかもしれません。

今の私たちは、SNSやショート動画で、ほんの数秒のうちに「おもしろい」「つまらない」を判断することがあります。では、400年前の笑いを目の前にしたとき、すぐには意味が分からない絵を、私たちはもう一度おもしろがることができるのでしょうか。

今回は江戸時代の旅人になったつもりで、大津の街道を歩いてみましょう。店先に並んだ一枚の絵を手に取って、「これ、どういう意味なんだい?」と尋ねるところから…。読み終わったあと、もう一度同じ大津絵を見たら――。最初より、ちょっとだけおもしろく見えるかもしれません。

【放送日:2026年10月7日(水)8:15 -9:55・NHK-総合】

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「大津絵」って、そもそも何のための絵だったの?

「江戸時代のポップアート」と聞くと、最初から庶民を笑わせるために描かれた、ちょっと面白い絵だったのかな――と思ってしまいます。ところが、大津絵の始まりをたどってみると、どうも様子が違います。

大津絵が売られるようになったのは、江戸時代初期の17世紀ごろ。場所は、東海道を京都へ向かう旅人たちが行き交った、大津宿の西側にある追分や大谷のあたりでした。大津市歴史博物館によれば、寛文元年(1661年)の文献には、すでに大津絵の存在を確認できるそうです。では、最初から「鬼の念仏」や「藤娘」のようなユーモラスな絵が並んでいたのでしょうか。

そうではありません。初期の大津絵の中心は、仏様を描いた「仏画」でした。しかも、それは一部の裕福な人が床の間に飾って鑑賞するような高価な美術品ではありません。初期の大津絵は、高価な仏画や仏像を買うことのできない庶民が、日常の礼拝に使うための安価な仏画だったとあります。

たとえば「十三仏図」。十三の仏を一枚に描いたもので、人々は仏事の際に掛け、亡くなった人の供養や、自らの死後の救済を祈りました。ここまで見てくると、「ポップアート」という言葉から想像していたものとは、ずいぶん違います。

大津絵は、もともと“見るための絵”というより、“祈るための絵”だった。ところが、売られていた場所が面白い。追分や大谷は、東海道を行き交う大勢の旅人が通る場所です。やがて大津絵は、旅人が手頃な値段で買って持ち帰る大津の名物、街道土産として人気を集めるようになります。

すると、売る側にも当然、「旅人にもっと買ってもらいたい」という事情や欲が出てきたのでしょう。17世紀までは仏画が中心だった大津絵は、元禄から18世紀にかけて大きく変わっていきます。美人、役者、動物、そして鬼。動物や鬼を人間のように描き、人間の愚かさをからかうような風刺画まで登場します。

大津市歴史博物館は、この変化を「土産物競争の中で、大衆化路線へ舵を切った」と説明しています。

なるほど。ここでようやく「江戸時代のポップアート」という言葉が、少し見えてきました。大津絵は、偉い絵師が「芸術作品を残そう」と描いたものから始まったわけではありません。

庶民が祈るための安価な仏画として生まれ、街道を行く旅人に売られ、その旅人たちが欲しがるものに合わせて、少しずつ姿を変えていった。しかも大量の需要に応えるため、型を使って輪郭を取り、細部を手で彩色するなど、効率よく作る工夫までされていました。装丁も簡素なものだったといいます。

つまり大津絵は、「ありがたい絵」から「欲しくなる絵」へ。祈りのための仏画だけでなく、旅人が思わず足を止めるような、面白くて、ちょっと変で、誰かに見せたくなる絵へと広がっていったのでしょう。

では――。そんな旅人たちは、いったい何を見て笑っていたのでしょうか? たとえば、大津絵を代表する一枚に、お坊さんの格好をして念仏を唱える「鬼」がいます。

……鬼がお坊さん?それの、いったい何がおもしろいのでしょう。次は、その400年前の「笑い」を、少しだけ覗いてみましょう。

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鬼がお坊さんって、何がおもしろいの?

大津絵を代表する題材のひとつに、「鬼の念仏」があります。描かれているのは、その名の通り鬼。角が生え、恐ろしい顔をした鬼が、お坊さんのような衣をまとい、首から鉦を下げ、念仏を唱えながら歩いています。

鬼の念仏(出典:MIHO MUSEUM)
鬼の念仏(出典:MIHO MUSEUM)

……さて。これの、どこがおもしろいのでしょう。現代の私たちが何の説明もなく見たら、「鬼がお坊さんの格好をしているな」くらいで終わってしまうかもしれません。

ところが江戸時代の人にとっては、「鬼」と「念仏」の組み合わせそのものが、ちょっとおかしい。鬼といえば、人を苦しめる恐ろしい存在。その鬼が殊勝な顔をして僧衣をまとい、ありがたそうに念仏を唱えている。

つまり、「見た目だけは立派なお坊さんだけど、中身は鬼じゃないか」というわけです。そこから「鬼の念仏」は、表面だけ善人らしく振る舞っていても心の中は違う――そんな人間の偽善を風刺した絵として解釈されてきました。

そう聞いてから、もう一度絵を見るとどうでしょう。さっきまで単なる「お坊さんの格好をした鬼」だったものが、「はいはい、ずいぶん殊勝な格好をしていますけどねぇ……角、出てますよ」なんて言いたくなってきます。

なるほど。大津絵のおもしろさって、こういうことなのでしょうか。ただ奇妙なものを描いて笑わせるのではなく、誰もが知っているものを少しだけずらして、人間そのものを笑う。しかも、「お前は偽善者だ」と文字で説教する必要はありません。鬼に僧衣を着せてしまえばいい。見る人が意味に気づけば、「ああ、そういう奴いるよな」と笑える。

400年ほど前の風刺画なのに、このあたりは現代の私たちにも、それほど遠くありません。会社でも、学校でも、政治の世界でも…。立派なことを言っている人を見て、「言ってることと、やってることが違うじゃん」と思うことはしょっちゅうあります。人間って、どうやら江戸時代からそれほど変わっていないようです。

でも、「鬼の念仏」にはもうひとつ面白いところがあります。大津絵は、ただ笑って終わる絵ではありませんでした。同じ絵に、教訓やお守りとしての意味も重ねられていったのです。

「鬼の念仏」には道歌が添えられる作品もあり、外見だけを取り繕うことへの戒めが語られました。また後には、子どもの夜泣きを鎮める護符としての意味も持つようになります。

つまり一枚の鬼が、笑える。皮肉が分かる。教訓にもなる。さらには、お守りにもなる。いくつもの読み方を抱えていたわけです。

ここまで分かると、「江戸時代のポップアート」という呼び方も、少し腑に落ちてきます。高尚な知識を持った人だけが鑑賞するものではなく、街道沿いの店で売られ、旅人が買い、人間のおかしさを笑い、ときには暮らしの願いまで託す。大津絵は、庶民の生活の中で使われる絵でした。

でも、ここでひとつ疑問が残ります。「鬼の念仏」は、「鬼」と「僧侶」という組み合わせを知っていれば、まだ意味を想像できそうです。では、こんな絵ならどうでしょう。猿が、瓢箪を持って、鯰を捕まえようとしている。……。何をしてるんでしょう、この猿は…。しかも調べてみると、この妙な絵には、さらに古い「元ネタ」があるようなのです。

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猿が瓢箪で鯰を捕まえて、どうするの?

大津絵には、「瓢箪鯰(ひょうたんなまず)」と呼ばれる、なんとも妙な絵があります。描かれているのは、猿と鯰と瓢箪。猿が瓢箪を手にして、ぬるぬると逃げる鯰を捕まえようとしています。……いや。捕まるのでしょうか、それ。

瓢箪鯰(出典:Yahoo!フリマ)
瓢箪鯰(出典:Yahoo!フリマ)

つかみどころのない鯰を、丸くてつるつるした瓢箪で押さえようとする。しかも、それに挑戦しているのが猿です。何の知識がなくても、「いやいや、そんなことしてたって埒が明かないだろ」くらいには笑えます。それだけでも、この絵は十分に楽しめるのかもしれません。

ところが、「どうして猿が瓢箪で鯰を捕まえているんだろう」と気になってしまった人は、ここから少し厄介です。調べ始めると、600年ほど前まで連れていかれるからです。大津絵の「瓢箪鯰」につながる有名な作品に、室町時代の禅画《瓢鮎図(ひょうねんず)》があります。

如拙が描いた国宝で、室町幕府四代将軍・足利義持の命によって制作されたとされます。そこに描かれているのは、猿ではありません。人間です。男が小さな瓢箪を持ち、大きな鯰を捕まえようとしている。そもそもの問いが、「丸くてつるつるした瓢箪で、ぬるぬるした鯰をどうやって捕まえる?」という、なんとも答えに困るもの。

これは単なる魚の捕まえ方クイズではなく、禅の世界で答えを考えさせる問いとして描かれました。しかも《瓢鮎図》には、その問いに対する禅僧たちの詩まで書き込まれています。つまり室町時代には、かなり知的な「答えのない難問」だったわけです。

ところが時代が下って大津絵になると――。人間が猿になっている。ここが面白い。600年前の禅画を知らなくても、「猿が瓢箪で鯰を捕まえようとしている」という絵だけで、どこか間の抜けたおかしさがあります。

でも元ネタを知ってから見ると、「ただでさえ答えの出ない難問なのに、今度は猿がやってるのかよ」と、もう一段違った見え方もできる。もちろん、大津絵を見た江戸時代の人が全員、《瓢鮎図》の由来や禅問答まで理解して笑っていた――と考える必要はありません。絵だけ見て楽しむ人もいたでしょう。

「瓢箪で鯰を押さえる」という意味や言い回しを知っていた人もいたかもしれない。さらに元になった故事や絵まで知っていれば、もっと深く楽しめる。大津絵のおもしろさは、どうやら入口がひとつではなかったようなのです。

これは現代のパロディにも少し似ています。元ネタを知らなくても、目の前で起きていることがおかしければ笑える。でも元ネタを知っていれば、「そこをそういじったのか!」と、もう一度笑える。知識が笑いを邪魔するのではなく、知っていることが一枚の絵に新しい層を増やしていく。そう考えると、「瓢箪鯰」は意外に奥深い絵です。

最初に見たときには、「猿が何かやってるな」だったものが、少し知っただけで、「お前さん、それじゃいつまでたっても鯰は捕まらないよ」に変わる。要するに捉えどころがないことを一所懸命に猿がやっている。さらに元ネタまで知れば、「ずいぶん昔の難問を、今度は猿にやらせたのか」と笑える。

では、江戸時代の人たちは、こうした絵の意味をどうやって知ったのでしょう。今ならスマートフォンを取り出して、「瓢箪鯰 意味」と検索すれば済みます。でも、江戸時代に検索窓はありません。まして、誰もが文字を自由に読めたわけでもありません。

それでも大津絵の笑いや教訓が庶民の間に広がっていったのだとしたら――。人々はいったい、どうやって「この絵の意味」を共有していたのでしょうか?

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字が読めなくても、大津絵は楽しめたの?

「鬼の念仏」が人間の偽善をからかった絵だとか。「瓢箪鯰」には、さらに古い絵や禅の世界につながる“元ネタ”があるとか…。意味を知ってから大津絵を見ると、「なるほど、そういうことだったのか」と、最初とは違って見えてきます。

でも、ここでひとつ疑問が浮かびます。江戸時代の庶民は、みんなそんな知識を持っていたのでしょうか? もちろん、そんなはずはありません。江戸時代は庶民の識字が広がった時代ではありますが、誰もが同じように文字を読み、古典や仏教、故事に詳しかったわけではありません。

では、字が読めなかったり、元ネタを知らなかったりする人には、大津絵のおもしろさは伝わらなかったのでしょうか。ここで大事なのは、当時の人々が文化を知る方法は、「自分で本を読む」だけではなかったということです。

人から聞く。芝居を見る。落語や講談のような話芸を聞く。祭りや寺社で見聞きする。かるたで遊ぶ。そして、絵を見る。文字を十分に読めなくても、昔話やことわざ、芝居の登場人物を知っていることはあります。

たとえば「犬も歩けば棒に当たる」という言葉を、本で読んで覚えなくてもいい。誰かが口にするのを聞いたり、いろはかるたで遊んだりするうちに、「い」といえば、犬。絵と言葉が結びついて、いつの間にか覚えてしまう。

つまり、文字を読む力だけが、“教養”だったわけではない。大津絵も、そんな文化の中にあったと考えると、少し違って見えてきます。

店先に「鬼の念仏」が掛かっている。「なんだい、この鬼は」と旅人が聞く。「こいつはね、坊さんみたいな格好をして念仏を唱えてるけど、中身は鬼なんですよ。いるでしょ、そういう人?」「なるほど。口では立派なこと言ってる奴と同じじゃねぇか」

――実際にこんな会話が交わされたという記録があるわけではありません。でも、大津絵が街道沿いで売られ、人から人へ渡っていったことを考えると、絵について語る会話もまた生まれたのではないかと想像したくなります。

大津絵には、絵だけでなく「道歌」と呼ばれる教訓的な歌が添えられるものもありました。そこには、絵の意味や人としての戒めにつながる言葉が込められています。文字を読める人なら、それを読む。分からなければ、家に帰ってから近所のお寺のお坊さんに聞くこともできる。

するとその意味を聞いた人は、今度は別の誰かに、「この鬼はな……」と話すことができる。すると大津絵は、一枚の紙だけではなくなります。見る。聞く。笑う。覚える。そして、誰かに話す。絵と一緒に、その意味まで人から人へ旅をしていく。

そう考えると、大津絵は「見る絵」であると同時に、「しゃべる絵」だったのではないかと思えてきます。これは「瓢箪鯰」のような絵なら、もっと分かりやすいでしょう。元になった禅画のことなど知らなくても、「猿が瓢箪で鯰を捕まえようとしてるぞ」と絵だけで楽しめる。

意味を知っている人から話を聞けば、「なるほどね」と、もう一段おもしろくなる。さらに元ネタまで知っている人なら、「そこまで遡るのか」と、もっと深く楽しめる。全員が同じ知識を持っていなくてもいいのです。

むしろ、知っている人と知らない人がいるから、会話が生まれる。もしかすると大津絵のおもしろさは、そこにもあったのかもしれません。そして大津で買われた一枚の絵は、旅人の荷物に入って東海道を移動します。家へ持ち帰れば、今度はそこにいる誰かが見る。

「これ、何の絵?」と聞かれたら、旅人は大津で聞いた話をするかもしれない。そうして考えると――。旅をしていたのは、絵だけではありません。その絵を見て笑うための“元ネタ”まで、一緒に旅をしていたのかもしれません。

では、400年ほど経った今はどうでしょう。私たちは江戸時代の人より、はるかに簡単に情報を調べられるようになりました。分からなければ、検索すればいい。

それなのに大津絵を初めて見た私たちは、「……その絵、何がおもしろいの?」と思ってしまう。情報はいくらでも手に入る時代になったのに、分からないものの前で立ち止まる時間は、むしろ短くなっているのかもしれません。

それでは最後に、最初に見た大津絵をもう一度見てみましょう。私たちは、400年前の人たちと同じように――まだ、この絵を笑えるのでしょうか。

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私たちは、400年前の大津絵をまだ笑えるの?

ここまで、大津絵をいくつか見てきました。お坊さんの格好をして念仏を唱える鬼。瓢箪を手に、ぬるぬるした鯰を捕まえようとする猿。最初に見たとき、「……その絵、何がおもしろいの?」と思った人もいるかもしれません。私も、そうでした。

ところが意味を知ってから、もう一度見てみる。念仏を唱える鬼には、外見だけを立派に取り繕う人間への皮肉が隠れていた。瓢箪と鯰を追いかけていけば、ずっと昔の禅画へとつながり、大津絵ではその難問に猿まで挑んでいる。

すると、さっきまで意味の分からなかった絵に、「ああ、そういうことだったのか」と、小さな笑いが生まれます。大笑いするほどではないかもしれません。でも、それでいいのだと思います。大津絵のおもしろさは、見た瞬間にすべてが伝わるようなものばかりではありません。

少し立ち止まる。「これは何だろう」と考える。誰かに意味を聞く。元になった話を知る。そして、もう一度見る。分からなかったものが、分かる。その瞬間に生まれる「なるほど」まで含めて、大津絵のおもしろさなのかもしれません。

考えてみれば、今の私たちの周りには、見た瞬間に意味が分かるものがあふれています。短い動画を次々と眺め、面白ければ止まり、分からなければ指一本で次へ送ることもできます。それは、とても便利です。でも、だからといって私たちは本当に、「すぐには分からないもの」を楽しめなくなったのでしょうか?

今回、大津絵を前にしてやったことは、その反対でした。分からなかったから、調べてみた。調べたら、もう一度見たくなった。もう一度見たら、最初には見えなかったものが見えてきた。そして、ちょっと笑った。それだけです。けれど、その「ちょっと笑った」という瞬間には、400年ほどの時間を越えて、同じ絵を見た誰かとつながったような不思議さがあります。

東海道を歩いていた旅人が、本当に同じところで笑ったのかどうかは分かりません。誰もが絵の意味を同じように理解していたとも限りません。でもそれでいいのです。

一枚の絵を見て、「これ、どういう意味なんだい?」と誰かに尋ねた人は、いたかもしれない。意味を聞いて、「なるほどね」と笑った人もいたかもしれない。そして大津で買った一枚を家へ持ち帰り、今度は自分が誰かに、「この絵はな……」と話したかもしれません。

そうやって大津絵は、街道を旅していったのでしょう。そう、絵だけではなく、その絵を楽しむための話も一緒に…。

そして400年ほど経った今。私たちもまた、一枚の大津絵の前で立ち止まりました。最初は、「その絵、何がおもしろいの?」だったのに…。もう一度、「瓢箪鯰」を見てみます。猿が瓢箪を抱えています。その前には、ぬるぬるした鯰。どう考えても、うまくいきそうにありません。

……。お前さん、それじゃいつまでたっても捕まらないよ。ふふっ。どうやら私たちはまだ、400年前の絵を笑えるようです。

もしかすると大津絵は、「昔の人が笑った古い絵」なのではなく、意味を知った誰かが、次の誰かへ笑い方を手渡していく絵なのかもしれません。大津から東海道を旅した一枚の絵は、ずいぶん長い時間をかけて、2026年の私たちのところまでやってきました。

そして、この記事を読んだ誰かが次に「瓢箪鯰」を見たとき、ほんの少しでも笑ってしまったなら――。大津絵は、まだ旅の途中なのかもしれません。


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