印籠の紐が、なぜスマホにつながったの?|150年続く大津の組紐が“結んできたもの”【あさイチ中継】

東海道の組紐屋 BLOG
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「組紐」と聞いて、何を思い浮かべますか?私は真っ先に、着物の帯締めを思い浮かべました。というかそれくらいしか思いつきません💦

でも、色とりどりの細い糸を組み合わせて作る美しい紐。秋の着物に合わせたら、きっと素敵でしょう。今回のNHK『あさイチ』中継のテーマも、「秋にピッタリな彩を!江戸の伝統・組みひも」です。

舞台は滋賀県大津市。そこで150年以上、組紐を作り続けている店の歴史をたどっていたら、思いがけないものが出てきました。印籠です。印籠といえば、時代劇『水戸黄門』の、「この紋所が目に入らぬか!」……くらいしか思い浮かばないのですが、江戸時代には薬などを携帯するため、腰から提げて使われていました。

そして慶応3年(1867年)。逢坂山の関所跡近くで米屋を営んでいた初代・太田藤三郎の妻「しも」さんが、副業として、峠を行き交う人たちのために印籠の紐などの組紐雑貨を置いたといいます。それが、大津で今も続く「藤三郎紐」の始まりでした。

ところが、時代は明治維新となり、すぐに明治へ向かいます。武士の時代が終わり、人々の服装も暮らしも変わっていく。それでも、組紐はなくなりませんでした。印籠を提げた紐は、やがて帯締めや羽織紐へ。そして150年以上たった現代には、スマートフォンにつながる紐にもなっています。

……印籠とスマホ。まったく違う時代の道具なのに、その間には一本の紐がつながっていました。どうして組紐は、これほど長く私たちの暮らしから消えなかったのでしょう。もしかすると組紐が150年間結び続けてきたものは、物と物だけではないのかもしれません。

【放送日:2026年10月8日(木)8:15 -9:55・NHK-総合】

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組紐って、帯締めじゃなかったの?──もともとは何を結ぶための紐?

「組紐」と聞くと、やっぱり着物の帯締めを思い浮かべます。色鮮やかな細い紐を帯の上で結ぶ。実用品でありながら、着物姿を彩る小さなアクセントでもあります。だから今回の『あさイチ』のテーマを見たときも、「秋らしい色の帯締めを作るのかな?」くらいに思っていました。ところが、組紐の歴史をたどってみると、どうやら帯締めだけのものではなかったようです。

そもそも「組む」って、どういうこと?

布や紐を作る方法には、「織る」「編む」「組む」などがあります。例えば織物は、縦方向の糸と横方向の糸を交差させて布を作ります。編物なら、糸で輪を作り、その輪を次の輪へつなげていきます。それに対して組紐は、複数の糸の束を斜めに交差させながら組んでいくもの。

だから私たちが普段、「三つ編みにする」と言っているものも、構造からいえば「三つ組」と呼ぶほうが近いのだそうです。……アレはずっと「編んで」いるものだと思っていました(笑)。でも、糸を交差させて組むことには、ちゃんと意味があります。

一本の糸だけでは心もとないものでも、何本もの糸を組み合わせれば、丈夫な一本の紐になる。そして、糸の色や組み方を変えれば、そこに美しい模様まで生まれます。強くするために組んだものが、いつしか美しいものにもなっていった。組紐のおもしろさは、そんなところにもあるのかもしれません。

帯締めが生まれるより、ずっと前からあった

では昔の人は、その組紐で何を結んでいたのでしょう。その用途は、驚くほどさまざまです。仏具や経巻、公家の装束。さらに武士の時代になると、甲冑や刀の下げ緒、弓具や馬具などにも組紐が使われました。つまり組紐は、最初から着物を美しく飾るためだけに生まれたものではありません。

大切なものを結ぶ。身につけるものを留める。必要な道具を体から離れないようにつないでおく。人の暮らしの中で、そんな小さな役割を担ってきたのです。

考えてみれば、紐という道具はずいぶん地味です。主役になることは、ほとんどありません。刀を見ても、まず目に入るのは刀身や鞘でしょう。美しい着物を見ても、最初から帯締めばかり眺める人は少ないかもしれません。でも――、紐がなければ、困る。そんな目立たない仕事を、組紐はずっと続けてきました。

そして、旅人の腰にも一本の紐があった

江戸時代になると、その組紐は旅をする人たちの暮らしにもありました。例えば「印籠」です。時代劇では権威の象徴のように登場しますが、もともとは印などを収める容器に由来し、江戸時代には薬などを携帯する小さな入れ物として広く使われるようになりました。

着物には、今の洋服のようなポケットがありません。そこで印籠などの小物は、根付(ねつけ)と紐を使って帯から提げました。つまり、旅人の腰にあった印籠のそばにも、一本の紐があったのです。

そして幕末の慶応3年(1867年)。東海道の難所として知られた逢坂山の関所跡近くに、一軒の米屋がありました。店を開いたのは、太田藤三郎さん。ところが、現在まで150年以上続く組紐の物語を始めたのは、その妻の「しも」さんだったといいます。

しもさんは米屋のかたわらで、峠を行き交う人たちのために、印籠の紐などの組紐雑貨を置き始めました。なぜ、米屋に組紐があったのでしょう。そして、妻の小さな副業は、どうして150年以上続く仕事になったのでしょう。次は、江戸から明治へ時代が大きく動こうとしていた、逢坂山の店先をのぞいてみましょう。

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なぜ米屋に「印籠の紐」があったの?──逢坂山を行き交った旅人と、しもさんの副業

組紐が帯締めだけのものではなかったことは分かりました。でも、藤三郎紐の始まりを知ると、もうひとつ不思議なことがあります。なぜ、米屋に印籠の紐があったのでしょう。

時代は慶応3年(1867年)。初代・太田藤三郎さんは、逢坂山の関所跡近くで米屋を開きました。逢坂山は、京都と大津を結ぶ交通の要所。百人一首にも載っていて、

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関

として有名です。古くから多くの人が行き交い、江戸時代には東海道を通って旅をする人たちも、このあたりを越えていきました。

そんな街道沿いの米屋で、妻の「しも」さんが始めたのが組紐の副業でした。店先に置いたのは、峠を行き交う人たちが使う印籠の紐などの組紐雑貨だったといいます。

ここで、ちょっと想像してしまいます。長い道のりを歩いてきた旅人が、米屋の前で足を止める。腰には印籠。毎日のように身につけている紐なら、使っているうちに擦れたり、傷んだりすることもあったでしょう。「この紐、そろそろ替えたほうがいいかな」そんな旅人が、本当にしもさんの組紐を買っていったのでしょうか。

……残念ながら、そこまで細かな記録は残っていません。ましてや逢坂の関所で、「この紋所が目に入らぬか!」ととある老人が印籠を取り出したところ、「それより、その紐だいぶ傷んでますよ」なんて言われたわけでもないでしょう(笑)。

「なぜ米屋だったの?」は、分からない

もうひとつ気になるのは、どうして米屋で組紐を売ることになったのか。藤三郎紐に伝わる歴史では、藤三郎さんが米屋を営み、妻のしもさんが「副職」として組紐を扱ったことは分かっています。

けれど、米屋と組紐に特別なつながりがあったのか、しもさんがどこで組紐の技術を身につけたのか――そこまでは、現在紹介されている資料からは分かりません。だから、無理に理由を作る必要はなさそうです。

むしろ面白いのは、150年以上続く伝統が、最初から「組紐の老舗」として始まったわけではなかったということではないでしょうか。夫が営む米屋のかたわらで、妻が始めた小さな副業。そこに、峠を越えていく旅人がいた。旅人が身につけていたものに、組紐が必要だった。大きな産業の物語というより、最初はとても小さな「暮らしと商い」の話だったのです。

印籠も、スマホも「持ち歩きたいもの」?

そして印籠について調べていると、少し不思議な感覚になります。江戸時代の印籠と、現代のスマートフォン。もちろん役割はまったく違います。けれど、どちらもその時代の人が身近に持って歩きたい大切なものです。

着物には現代の洋服のようなポケットがありませんから、印籠は紐を使って帯から提げました。現代では、ポケットがあるのにスマートフォンを落とさないようストラップを付ける人がいます。時代が変わっても、「大事なものを、自分の身体から離れないようにつないでおきたい」という気持ちは、あまり変わっていないのかもしれません。

そう思うと、印籠の紐からスマホストラップまで150年以上――という距離も、ほんの少し近く感じられます。でも、しもさんが組紐を置き始めた1867年。日本は、まさに大きく変わろうとしていました。翌年には明治元年を迎え、武士の時代は終わっていきます。

武具にも使われ、印籠のような江戸の暮らしにも寄り添ってきた組紐。その暮らしそのものが変わってしまったら、組紐はどうなるのでしょう。しもさんが始めた小さな商いは、いきなり時代の大きな曲がり角に立つことになります。

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武士がいなくなったら、組紐もいらない?──明治維新を生き延びた一本の紐

慶応3年(1867年)。逢坂山の関所跡近くで、しもさんが旅人のために印籠の紐などを置き始めました。ところがその翌年、日本は明治元年を迎えます。江戸幕府の時代が終わり、武士を中心としていた社会も大きく姿を変えていきました。

これは、組紐にとっても小さな出来事ではありません。組紐は長い間、刀の下げ緒や甲冑など、武具にも使われてきたからです。武士が刀を差さなくなったら、そのための紐もいらなくなる。では、組紐そのものも必要なくなってしまったのでしょうか。もちろん、そんなに単純ではありませんでした。

明治になっても、みんなが洋服になったわけじゃない

明治時代の写真を見ると、洋服を着た人たちが目につきます。文明開化。洋装。鹿鳴館。そんな言葉を並べていると、日本人が一斉に着物を脱いで洋服に着替えたような気がしてしまいます。でも、実際の暮らしの変化はもっとゆっくりでした。

洋装は軍人や官吏などから広がっていきましたが、一般の人々、とくに女性の日常着では、その後も長く和服が着られていました。――このあたりは、朝ドラを見ていると妙に実感があります(笑)。朝ドラ「ばけばけ」の中でも主人公のトキが着物を着て、お守りとして妖怪・小豆洗いの根付を持っていましたね。

明治になったからといって、町から突然着物姿が消えたわけではなかったのです。そして、着物の暮らしが残れば、そこには新しい組紐の居場所がありました。

刀を結んだ紐が、帯を結ぶ紐へ

その代表が、帯締めです。帯締めは、帯が崩れないように支える実用品であると同時に、着物姿の中央を一本の色で引き締める装飾にもなりました。さらに男性の羽織には、左右の襟をつなぐ羽織紐があります。武具などに使われてきた組紐の技術が、今度は人々の装いの中で生きていったのです。

藤三郎紐でも、時代が大正へ進むころには帯締めや羽織紐の需要が増え、やがて米屋ではなく、組紐を専門にする店へと変わっていったといいます。ここがおもしろいところです。残ったのは、昔と同じものを作り続けたからではありませんでした。

時代が変わったから、作るものも変わった。刀から帯へ。印籠から装いへ。組紐は「昔のもの」を守ろうとして、その場に立ち止まったのではなく、その時代の暮らしの中に新しい居場所を見つけていったのです。

「伝統を守る」って、変わらないこと?

私たちは「伝統」という言葉を聞くと、昔ながらのものを、昔ながらの姿のまま残すこと。そんなイメージを持ちがちです。でも、150年以上続いている藤三郎紐の歴史を見ていると、少し違った姿が見えてきます。変わらなかったから残ったのではなく、変わり続けたから残った。

そう考えると、組紐というもの自体が、なんだか象徴的です。何本もの糸は、同じ場所にじっとしているわけではありません。右へ、左へ。上へ、下へ。位置を変え、交差しながら、それでも一本の紐になっていく。時代が変われば、組紐の役割も変わる。

けれど、「何かと何かを結ぶ」という仕事だけは変わりませんでした。そして、人々の装いを結ぶようになった組紐には、もうひとつの役割が強く求められるようになります。ただ丈夫なだけではなく、美しいこと。赤、黄、緑、紫――。何本もの糸を組み合わせれば、一本の細い紐の中にも、季節を映すことができます。

では、そもそも――ただ結ぶための紐を、どうしてこんなに美しくする必要があったのでしょう。次は、『あさイチ』のテーマにもなっている「秋の彩り」を追いかけながら、組紐の色と美しさを見てみましょう。

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ただの紐を、なぜこんなに美しくするの?──秋を彩る草木染めと「組む」技

ここまで組紐の歴史をたどってくると、ひとつ不思議なことがあります。もともとは、何かを結んだり、留めたり、身につけたりするための紐です。それなら、丈夫で切れなければ十分なはず。なのに組紐は、どうしてこんなに美しいのでしょう。

今回の『あさイチ』中継のテーマにも、「秋にピッタリな彩を!」とあります。赤や黄色、緑、紫。何本もの細い糸が交差すると、一本の紐の中に複雑な色や模様が現れます。考えてみれば、不思議です。人はなぜ、ただ結ぶための紐にまで「美しさ」を求めたのでしょう。

一本の糸では作れない色がある

組紐のおもしろさは、単に色のついた糸を使うことだけではありません。異なる色の糸を組んでいくと、それぞれの糸が表へ出たり、裏へ回ったりしながら、一本の紐の中に模様が生まれます。遠くから見ればひとつの色に見えても、近づけば別の色がのぞいている。

角度が変われば、見える表情も変わる。それは絵の具を混ぜて新しい色を作るのとは、少し違います。赤は赤のまま。黄色は黄色のまま。緑は緑のまま。それぞれの色を残したまま、隣の色と組み合わさって、ひとつの景色になる。なんだか、組紐そのものの歴史にも似ています。

昔を消して新しくするのではなく、昔からあるものを残しながら、新しいものと組み合わせていく。そうして一本の紐になってきたのかもしれません。

草木の色を、身につける

藤三郎紐では、三代目のころから草木染めが取り入れられました。植物などから得た染料を使って糸を染め、その糸を一本ずつ組んでいきます。自然から生まれる色には、同じ「赤」や「黄色」という言葉だけでは表せない微妙な違いがあります。

そして、その色を何色も組み合わせることで、季節を感じさせる一本の組紐になっていく。今回のテーマである「秋の彩り」も、そう考えると単なる秋色のファッションではなさそうです。

紅葉の赤。木の葉の黄。少しずつ深くなる緑。夕暮れの紫。そんな季節の気配を、小さな一本の紐に閉じ込めて身につける。昔の人にとって組紐は、ものを結ぶ道具であると同時に、季節を身につけるものでもあったのかもしれません。

小さなものほど、「自分」が出る?

着物には、美しい柄があります。帯にも、大胆な模様があります。でも、それらは着替えれば変わります。現代の洋服だって同じです。今日はスーツ。明日はカジュアルな服。着るものが変われば、全体の印象は大きく変わります。

その一方で、ネクタイやカフス、ピアスやイヤリング、指輪のような小さなものには、少し違った役割があります。「これが好きだから」「今日はこの色にしたいから」「大切な人にもらったものだから」そんな理由で、服が変わっても同じものを身につけることがあります。

帯締めや根付も、どこか似ていたのではないでしょうか。着物全体に比べれば、とても小さい。けれど、小さいからこそ、そこにその人らしさを忍ばせることができる。人は、実用品にまで美しさを求めたのではなく、毎日使う実用品だからこそ、そこに「自分」を込めたかったのかもしれません。

お気に入りの色。季節の色。誰かを思い出す色。あるいは、自分だけが意味を知っている小さなもの。大げさに言えば、それは服とは別に持ち歩ける、小さな「自分の魂」のようなものだったのかもしれません。

美しさは、役に立たないものじゃなかった

そう考えると、「ただの紐なのに、なぜこんなに美しくするの?」という最初の問いも、少し違って見えてきます。丈夫だから役に立つ。ほどけないから役に立つ。それだけではありません。

好きな色を身につければ、少しうれしいし元気になる。季節の色を選べば、いつもの装いが少し変わる。大切なものなら、長く使いたくなる。美しさそのものが、暮らしの中でちゃんと役に立っている。

組紐の「彩り」は、機能の反対側にある飾りではなく、暮らしに寄り添うための、もうひとつの機能だったのかもしれません。

そして令和の今。私たちが着物を着る機会はずいぶん少なくなりました。印籠を腰から提げることも、まずありません(笑)。それでも、お気に入りの色のストラップを選び、大切なスマートフォンにつけることがあります。あれ?そう考えると――。私たち、150年前の旅人と、それほど違うことをしていないのでは?

大切なものを身体につないでおく。そして、どうせ身につけるのなら、自分の好きな色を選ぶ。印籠から帯締めへ。帯締めから、スマートフォンへ。いよいよ、最初はずいぶん遠くに見えた二つが、一本の紐でつながってきました。

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印籠の紐は、なぜスマホにつながったの?──150年、変わらなかった「結ぶ」という仕事

ここまで一本の組紐を追いかけてきたら、最初はずいぶん遠くに見えた「印籠」と「スマートフォン」が、少しだけ近く見えてきました。

江戸時代、人は印籠を紐で帯から提げて歩きました。そして現代。私たちはスマートフォンにストラップをつけて持ち歩きます。もちろん、印籠とスマートフォンはまったく違うものです。けれど、その二つを身につける人の仕草には、どこか似たところがあります。
大切なものを、自分から離れないようにつないでおく。考えてみれば、とても単純なことでした。

組紐が変わったのではなく、「結ぶもの」が変わった

慶応3年(1867年)。逢坂山の関所跡近くの米屋で、しもさんが旅人のために印籠の紐などを置き始めました。その翌年には明治を迎えます。武士の時代が終わり、人々の暮らしも変わりました。それでも、組紐はなくなりませんでした。

刀や印籠から、帯締めや羽織紐へ。そして現代では、ストラップのような新しいものへ。150年の間に、組紐の先にあるものは何度も変わっています。でも、「何かと何かを結ぶ」という仕事だけは変わっていません。そう考えると、組紐が長く残ってきた理由も見えてくる気がします。

伝統とは、昔と同じものを作り続けることだけではないのでしょう。暮らしが変わったら、その暮らしに寄り添って形を変える。それでも、自分たちが大切にしてきたものは手放さない。組紐は、変わらなかったから150年続いたのではありません。変わりながら、一本の紐であり続けたのです。

私たちが「結びたいもの」は、変わっていない

そしてもうひとつ。変わっていないのは、組紐だけではないのかもしれません。昔の旅人が腰に提げていた印籠。今の私たちが手放せないスマートフォン。どちらにも、大切なものをなくさないよう、自分のそばにつないでおきたいという気持ちがあります。

しかも、ただ丈夫な紐なら何でもいいわけではありません。せっかく身につけるなら、好きな色がいい。自分らしいものがいい。季節を感じられるものがいい。もしかすると人は昔から、大切なものと一緒に、ほんの少しの「自分」も身につけて歩いてきたのではないでしょうか。

だから、印籠の紐がスマートフォンにつながったのは、偶然ではなかったのかもしれません。道具は変わった。服装も変わった。暮らしも大きく変わった。それでも私たちは今も、大切なものを自分のそばに置き、そこに好きな色を添えています。

一本の紐が、結んできたもの

『あさイチ』で紹介される、秋を彩る組紐。最初は、小さな伝統工芸品のお話だと思っていました。けれど、その一本をたどってみると、逢坂山を歩いた旅人がいて、米屋の店先に組紐を置いたしもさんがいて、武士の時代が終わり、着物の帯を彩る時代がありました。

そして、その先にはスマートフォンを手にした私たちがいます。糸と糸を結ぶ。道具と人を結ぶ。作る人と使う人を結ぶ。そして、昔の暮らしと今の暮らしを結ぶ。150年以上、組紐はその時代ごとに、違うものを結んできました。けれど、その一本をずっとたどっていけば――。印籠の紐は、ちゃんとスマートフォンまでつながっていたのです。

そして今日もまた、何本もの糸が交差しながら、新しい一本の紐になっていきます。次は、何と何を結ぶのでしょう。その答えはきっと、これからの私たちの暮らしの中にあるのでしょうね。

藤三郎草木染組紐研究所


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