なぜ、まだ服があるのに次が欲しくなる?|「欲しい」と「まだ着られる」から考えるファッションの未来【フロンティア】

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クローゼットを開けてみてください。そこにある服を、最後に着たのはいつでしょう?

昨日着たシャツ、お気に入りのスカート、何年も着ているコート。そして、その奥には――「そういえば、こんなの持ってたな」という服が、一着くらい眠っていないでしょうか?
買ったときには、きっと欲しかったはずです。

「可愛い!」
「これ、似合いそう!」
「今度出かけるときに着よう!」

そう思ったから、あのときお金を払って家へ連れて帰ってきた。
ところが今でも服は破れていません。擦り切れてもいません。まだ十分に着られる。それなのに私たちは、ときどき次の服が欲しくなります。

考えてみれば、不思議な話です。寒さを防ぎ、身体を守るためだけなら、服は必要な枚数がそろったところで、それほど買わなくてもいいはずです。

それでも街を歩いて素敵な服を見つければ、心が動く。新しい服に袖を通せば、少し嬉しくなる。「これを着た自分」を想像する時間まで、ファッションの楽しみなのかもしれません。だから、「服を買うのをやめよう」では、きっと何も解決しないのでしょう。

おしゃれを楽しみたい。でも、地球のどこかでは大量の服が捨てられている。その二つの間で、今、ファッションのあり方が問われています。

南米・チリのアタカマ砂漠。世界でもっとも乾燥した地域の一つであるこの大地には、世界中から集まった大量の衣服が廃棄されている場所があります。かつて誰かが、「欲しい」と思ったはずの服です。それが海を越え、最後には砂漠へたどり着いている。

いったい、どこで「欲しい」は「いらない」に変わってしまったのでしょう? そして、もう一つ気になる言葉があります。「まだ着られる」。少し古くなっても着る。誰かに譲る。破れたら繕う。別の用途に使う…。かつて日本にも、衣服を最後まで使い切ろうとする暮らしがありました。

今ではその反対側で、微生物に新しい繊維素材を作らせる研究や、使い終えた衣服を再び資源へ戻すリサイクル技術が生まれようとしています。

昔へ戻ればいいわけでもありません。新しい技術だけですべてが解決するわけでもないでしょう。もしかするとファッションの未来を考えるために必要なのは、新しい服の作り方だけではなく、私たちは、なぜ服があるのに次の一着を欲しくなるのだろう?という、とても身近な問いなのかもしれません。

10年後、私たちは何を着ているのでしょう? まだ見たことのない新素材の服でしょうか? 今日買ったお気に入りを、大切に着続けているのでしょうか? それとも――。今日もクローゼットの奥で眠っている一着を、もう一度好きになっているのでしょうか?

今回は「欲しい」と「まだ着られる」の間を行ったり来たりしながら、おしゃれを諦めずに服と長く付き合っていく未来を、一緒に考えてみましょう。

【放送日:2026年8月25日(火)21:50 -22:50・NHK-BSP4K】
【放送日:2026年8月28日(金)14:00 -14:59・NHK-BSP4K】

<広告の下に続きます>

  1. 第一章 なぜ、まだ持っているのに新しいものが欲しくなる?──「必要」と「欲しい」は同じじゃない!
    1. 「着るものはある」と「新しい服が欲しい」は別の話
    2. 「欲しい」は服だけに起こる感情ではない
    3. 私たちは「服」だけを買っているのだろうか
    4. 「欲しい」を悪者にしたら、ファッションはつまらない
    5. 「それ、本当に必要?」という一拍
  2. 第二章 「欲しい」の先で、服はどこへ行く?──アタカマ砂漠に積み上がった「まだ着られる」
    1. 「いらない服」を、必要な人に届ければいいのでは?
    2. 古着としてやって来たのに、古着になれなかった
    3. 服の寿命は、いつ終わったのだろう
    4. 問題は「どこへ捨てるか」だけではない
  3. 第三章 「まだ着られる」は、いつまでだった?──お古と襤褸が教えてくれる服の寿命
    1. 服の持ち主が変わっても、服の寿命は終わらない
    2. 破れたら、服は「終わり」だったのか
    3. 最後には「服」でなくなってもいい
    4. 今の服は、本当に寿命を迎えている?
  4. 第四章 捨てる服から、新しい服を作れるのか?──リサイクルと微生物が変える「つくる」の未来
    1. 「回収された」と「新しい服になった」は同じではない
    2. 古い服を「服」に戻す
    3. 服の素材を、微生物につくってもらう
    4. 捨てた服を、微生物が食べる未来?
    5. リサイクルできれば、いくら買ってもいい?
  5. 最終章 10年後、その服をまだ好きでいられる?──「欲しい」を諦めないファッションの未来
    1. 新しいものをつくることだけが「未来」なのだろうか
    2. 「欲しい」をなくさなくていい
    3. 「まだ着られる」を、もう一度
    4. 昔の知恵と未来の技術が、同じ場所を目指している
    5. 10年後、その服をまだ好きでいられる?
  6. あとがき|「欲しい」と「まだ着られる」の間にある未来
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第一章 なぜ、まだ持っているのに新しいものが欲しくなる?──「必要」と「欲しい」は同じじゃない!

服は、何のために着るのでしょう。寒いときには身体を暖かくする。強い日差しから肌を守る。そして、人前で裸にならずに暮らす。

「衣食住」という言葉があるように、衣服は人間が生きていくために欠かすことのできないものの一つです。それだけが目的なら、話はそれほど難しくありません。

必要な枚数の服をそろえ、古くなったら新しいものに買い替える。ところが私たちは、まだ着られる服を持っていても、新しい服が欲しくなることがあります。なぜなのでしょう?

「着るものはある」と「新しい服が欲しい」は別の話

かつて、兄弟の多い家庭では「お古(ふる)」は珍しいものではありませんでした。子どもの身体はどんどん大きくなります。せっかく買った服も、一年もすれば小さくなってしまうことがある。それなら、まだ十分に着られる兄や姉の服を、弟や妹に着せればいい。親からすれば、とても合理的な判断です。

けれど、着る子どもの気持ちは少し違ったかもしれません。「また兄ちゃんのお古か……」「たまには新しい服が欲しい」そんな不満を持った子もいたでしょう。考えてみれば、面白い話です。その子には、すでに着る服があります。だから「必要」という意味では満たされている。それでも新しい服が欲しい。

そこには、身体を覆うという衣服本来の役割だけでは説明できない、人間の気持ちがあります。誰かが着たものではなく、自分のために選ばれたものが欲しい。好きな色を選びたい。格好いいと思う服を着たい。そして、その服を着た自分を誰かに見てもらいたい。服は身体を包むだけではなく、ときに「自分」というものまで包んでいるのかもしれません。

「欲しい」は服だけに起こる感情ではない

これは、ファッションが好きな人だけの話でもなさそうです。たとえば、新しいスマホが発売されたとします。今、使っているものは壊れていない。性能にも不満はない。仕事をするにも十分です。それなのに新製品の性能やデザインを見ているうちに、「欲しいなぁ……」と思ってしまう。

冷静に考えれば、買い替える「必要」はありません。でも、「欲しい」。車でも、スマートフォンでも、時計でも、似た経験をしたことがある人はいるでしょう。

どうやら私たちの中には、「必要だから手に入れる」とは別に、「新しいものを手に入れたい」という気持ちがあるようです。だからファッションにあまり興味がない人でも、服を次々と買う人の気持ちは、別のものに置き換えてみれば少し分かるのかもしれません。

私たちは「服」だけを買っているのだろうか

新しい服を見て、「可愛い!」「素敵!」「これを着てみたい!」と思う。その瞬間、私たちが欲しがっているのは、本当に布を縫い合わせた「服」という物だけなのでしょうか?

その服を着て出かける自分、鏡に映ったいつもとは少し違う自分、誰かから「似合ってるね」と言われる自分…。もしかすると私たちは、新しい服と一緒に、「その服を着た未来の自分」まで想像して買っているのかもしれません。

だから「同じような服はもう持っているでしょう」と言われても、「じゃあ新しい服はいらない」とはならない。必要なものは、すでにある。でも、欲しいものは別にある。そこに「衣服」と「ファッション」の違いもありそうです。

「欲しい」を悪者にしたら、ファッションはつまらない

では、環境への負荷を減らすために、新しい服を欲しがることそのものをやめればいいのでしょうか。それでは少し寂しい気がします。季節が変わって、新しい服を選ぶ。好きな色を身につける。いつもとは違う格好をして出かけてみる。服によって気分が変わることもあります。

「欲しい」という気持ちは、大量消費につながる可能性がある一方で、ファッションを楽しいものにしてきた力でもあるのでしょう。だから問題は、「欲しいと思ってはいけない」ではありません。その「欲しい」が、どれほど速い周期で次の「欲しい」へ置き換わるようになったのか。そこに目を向ける必要がありそうです。

「それ、本当に必要?」という一拍

欲しい!
その瞬間に買うのではなく、一度だけ立ち止まってみる。
「それ、本当に必要?」
すると、不思議なことがあります。さっきまで無性に欲しかったものなのに、「まあ、今持っているもので十分か」と思えることがある。もちろん、それでも欲しいなら買えばいい。大切なのは、「欲しい」という感情と「買う」という行動の間に、ほんの少しだけ考える時間をつくることなのかもしれません。

けれど現代のファッションは、その反対方向へ進んできたようにも見えます。新しいデザインが次々と登場する。手に取りやすい価格で売られる。少し前に買った服がまだ十分に着られるうちに、また次の服が欲しくなる。そして世界では、それに応えるように大量の衣服がつくられています。では、その膨大な服は、最後にどこへ行くのでしょう。

世界有数の乾燥地帯、南米チリのアタカマ砂漠。そこには、かつて世界のどこかで誰かが「欲しい」と思ったはずの衣服が、大量に積み上げられています。「欲しい」から始まった一着が、なぜ「いらない」に変わったのでしょう? 次は、その服たちがたどり着いた場所から、「まだ着られる」の意味を考えてみましょう。

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第二章 「欲しい」の先で、服はどこへ行く?──アタカマ砂漠に積み上がった「まだ着られる」

南米チリ北部に広がるアタカマ砂漠。ほとんど雨が降らない乾いた大地に、あるはずのないものが積み上がっています。服です。シャツ、ズボン、セーター、ジャケット…。世界のどこかで作られ、売られ、誰かが手に取った衣服が、巨大な山のようになっています。

国連欧州経済委員会(UNECE)と国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(ECLAC)の報告によれば、アタカマ砂漠にあるチリ・アルト・オスピシオでは、2012年以降、衣類などの大規模な不法投棄が急速に増えてきました。

数万トン規模の繊維廃棄物が広い範囲を覆い、一部では焼却まで行われています。ここにある服を眺めていると、一つの疑問が浮かびます。この服は、本当に「着られなくなった」から、ここにあるのでしょうか。

「いらない服」を、必要な人に届ければいいのでは?

服は「衣食住」の一つです。世界には、新しい服を次々と買える人ばかりが暮らしているわけではありません。それなら、まだ着られる服を捨てるくらいなら、必要としている人のところへ届ければいい。そう考えたくなります。実際、世界では大規模な古着の国際流通がすでに存在しています。

UNECEとECLACによれば、世界で取引される中古衣料の量は過去数十年間で大きく増え、その流れは主に所得の高い国から低い国へ向かっています。2021年には中古衣料の国際取引額が93億ドルに達しました。つまり、「まだ着られるなら、別の誰かに着てもらえばいい」という仕組みそのものは、すでに世界規模で存在しているのです。では、なぜ砂漠に服の山ができるのでしょう?

古着としてやって来たのに、古着になれなかった

チリは、中古衣料を大量に輸入している国の一つです。2021年には約12万6000トンの繊維製品を輸入し、その約4割が北部のイキケを経由して入りました。そこで衣服は人の手によって選別され、再び商品として流通できるものは古着市場へ向かいます。そして中古衣料の販売は、現地の人々の雇用や収入にもつながっています。

ところが、すべての服に次の着る人が見つかるわけではありません。UNECEは、チリへ輸入された中古衣料の75%が再利用できないと判断され、約3万トンがアタカマ砂漠の一部を覆っていると報告しています。ここに、この問題の難しさがあります。古着を送ることそのものが悪いわけではありません。

まだ使える衣服が次の人へ渡り、仕事や暮らしを支えている場所もある。けれど、その地域で必要とされる量を超えたり、商品として価値を持たない衣服まで大量に流れ込んだりすれば、「再利用するための古着」が「処分しなければならないごみ」に変わってしまう。善意で「まだ着られるから」と手放した一着も、その先に必ず着てくれる人がいるとは限らないのです。

服の寿命は、いつ終わったのだろう

ここで、もう一度クローゼットの中に戻ってみましょう。服には分かりやすい寿命があります。布が擦り切れた。破れてしまった。伸びて形が崩れた。それなら「もう着られない」と判断できます。けれど、私たちが服を手放す理由は、それだけでしょうか?

「もう好みじゃない」
「流行が変わった」
「サイズが合わなくなった」
「似た服を買った」
「なんとなく着なくなった」

あるいは、「もう少し痩せたら、また着るかも」そう思って、何年もクローゼットにしまったままの服もあるかもしれません。服には、布としての「物理的な寿命」と、私たちがその服を着たいと思わなくなる「心の寿命」があるのではないでしょうか。そして、この二つは必ずしも同時には訪れません。

問題は「どこへ捨てるか」だけではない

アタカマ砂漠の服の山を見ると、「きちんとリサイクルすればいい」「必要な国へ送ればいい」と考えたくなります。もちろん、それも大切です。しかし世界で大量の中古衣料が流通し、その一部が再び服として使われているにもかかわらず、それでもなお大量の衣類が行き場を失っています。

アタカマ砂漠にできたファッションの墓場(出典:ナショナルジオグラフィック)
アタカマ砂漠にできたファッションの墓場(出典:ナショナルジオグラフィック)

国連の報告も、ファストファッションによるコレクションの短サイクル化や低価格化、過剰生産・過剰消費が、中古衣料の国際流通を膨らませてきた背景にあると指摘しています。だとすれば、出口だけを広げ続けても、入口から流れ込んでくる服が増え続ければ追いつかないのかもしれません。

「どう捨てるか」の前に、「なぜ、こんなにたくさん作り、こんなに早く手放すようになったのか」を考える必要があります。そして、それは少し不思議でもあります。

ほんの少し前まで、服は今よりずっと長く使われるものでした。小さくなれば、弟や妹へ。親戚へ。近所の子へ。破れれば繕う。さらに使えなくなれば、別の用途へ。「お古ばっかり嫌だ!」そう思っていた子どももいたでしょう。それでも服は、一人が着なくなったところで寿命を迎えたわけではありませんでした。

では、私たちはいつから、「まだ着られる」と「もういらない」を、別のものとして考えるようになったのでしょう。次は少し時間を巻き戻してみます。

新しい服が今ほど簡単には手に入らなかった時代、人々は一着の服をどこまで使っていたのでしょうか? 「お古」から「襤褸(ボロ)」まで。そこには、未来のファッションを考えるための、意外なヒントが残っているのかもしれません。

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第三章 「まだ着られる」は、いつまでだった?──お古と襤褸が教えてくれる服の寿命

「それ、もう着ないならちょうだい」
かつては、そんなふうに服が人から人へ渡っていくことが、今よりずっと身近にありました。兄から弟へ。姉から妹へ。親戚の子から、少し年下の子へ。近所の友達へ。

身体が大きくなって着られなくなった服でも、服そのものが壊れたわけではありません。だから、次に着られる人のところへ行く。いわゆる「お古」です。もちろん、もらう側がいつも喜んでいたとは限りません。兄弟の多い家庭では、「また兄ちゃんのお古か」「たまには新しい服が欲しい」と思った子どももいたでしょう。

それでも当時の親にしてみれば、まだ十分に使えるものを捨てて、新しい服を買う理由はありませんでした。ここには、今とは少し違う「まだ着られる」の感覚があったように思います。

服の持ち主が変わっても、服の寿命は終わらない

考えてみれば、お古はとても単純な仕組みです。一人の子どもが着られなくなった。でも、服はまだ着られる。ならば、着られる人が着ればいい。そこには、「私が着なくなった」=「この服はもういらない」という考え方がありません。服の寿命と、最初の持ち主が使う期間は別だったのです。

これは前の章で見た、世界を巡る古着の流通にも通じる考え方です。ただ、昔のお古には大きな違いがありました。次に着る人の顔が見えていたことです。「兄には小さくなったから弟へ」「従兄弟が着られなくなったから、今度は親戚のあの子へ」と、とても小さな範囲で、服がぐるぐる回っていました。

それでも着られなくなったら、今度こそ服の寿命なのでしょうか。昔の人たちは、そこでさえ終わりにしませんでした。

破れたら、服は「終わり」だったのか

布が擦り切れる。穴が開く。縫い目がほつれる。現代なら、「そろそろ買い替えようかな」と思うところでしょう。けれど、布そのものが貴重だった時代には、傷んだ衣服を繕いながら使うことが珍しくありませんでした。

穴が開けば布を当てる。弱くなった部分を補強する。ほどいて使える布を別のものへ仕立て直す。そうして一枚の布は、姿を変えながら使われていきます。特に木綿が貴重だった地域では、古布を重ね、刺し縫いしながら使い続けた衣類や布がありました。まだ日本各地に残っている「刺し子」などはその例でしょう。

長い年月の間に何度も補修され、さまざまな布が重なったものは、現在「襤褸(ぼろ)」と呼ばれることがあります。今ではその独特の風合いが評価され、美術品や工芸品のように見られることさえあります。しかし、それを使っていた人たちは「サステナブルな暮らしをしよう」と考えていたわけではないでしょう。

新しい布が簡単には手に入らない。だから、あるものを使う。破れたら直す。それでも使う。必要に迫られた暮らしの中で生まれた知恵だったはずです。

最後には「服」でなくなってもいい

そして面白いのは、衣服として使えなくなったからといって、布としての役割まで終わるとは限らなかったことです。使える部分を切り取る。別のものへ作り替える。最後には掃除などに使う布にする。

一着の服が、新品 → お古 → 繕った服 → 古布 → 別の用途と、少しずつ役割を変えていく。「捨てる」という最後の一点へ一直線に向かうのではなく、その途中にいくつもの出口があったのです。ここまで来ると、「服はいつ消耗品になったのだろう?」という問いそのものを、少し言い換えたくなります。

服は昔から消耗品でした。着れば擦れます。洗えば生地は少しずつ傷みます。いつかは使えなくなる。変わったのは、服が消耗することではありません。私たちが「もう消耗した」と判断する場所なのかもしれません。

今の服は、本当に寿命を迎えている?

では、現代のクローゼットを開けてみましょう。擦り切れるまで着たシャツ。ゴムが伸びてしまった下着。何度も洗って生地が薄くなった部屋着。ここまで使えば、「ありがとう。もう十分着たな」と手放せるかもしれません。

ところが、その隣には別の服があります。ほとんど傷んでいない。サイズも合う。まだ着られる。でも、なぜか着ていない。去年は気に入っていたけれど、今年は気分が違う。買ったものの、思ったほど似合わなかった。あるいは、「もう少し痩せたら、また着るかも」そう思って何年も残している。

ここまで来ると、服の寿命を決めているのは布の強さだけではありません。「私は、まだこれを着たいか」という気持ちも、服の寿命を決めています。

だから「昔のように擦り切れるまで着ればいい」と言うだけでは、きっと現代のファッションの問題は解決しないのでしょう。私たちは服に、身体を覆う機能だけを求めているわけではないからです。

好きなものを着たい。素敵に見せたい。新しい自分にもなってみたい。その楽しさを失わずに、一着の寿命をもう少し延ばす方法はないのでしょうか? その答えを探して、今度は過去から未来へ一気に時間を進めてみましょう。

破れた布を人の手で繕っていた時代から、使い終えた服を、もう一度「素材」に戻そうとする時代へ。さらに、生きものの力を借りて、新しい繊維そのものを作ろうとする研究まで始まっています。「まだ着られる」のその先をつくろうとしている、最先端の技術を見てみましょう。

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第四章 捨てる服から、新しい服を作れるのか?──リサイクルと微生物が変える「つくる」の未来

着古した服を手放すとき、「資源回収」に出したことがある人もいるでしょう。けれど、回収袋の中へ服を入れながら、こんな疑問を感じたことはないでしょうか。「この擦り切れた服が、本当に“資源”になるの?」まだ誰かが着られる服なら、古着として再利用することができます。では、擦り切れてしまった服はどうでしょう。

穴が開いたシャツ。生地が薄くなったズボン。もう衣服としては使えないものを、もう一度「服」に戻すことはできるのでしょうか?

「回収された」と「新しい服になった」は同じではない

現在、多くの自治体や衣料品店などで古着の回収が行われています。回収された衣服には、いくつもの行き先があります。そのまま着られるものなら、古着として誰かが着るリユース。衣服として使えなくても、別の用途に利用できるものもある。さらに、繊維をもう一度原料として利用する方法も研究されています。

しかし、ここには難しい問題があります。私たちが着ている服は、一種類の素材だけでできているとは限らないからです。綿とポリエステルを混ぜた生地。伸縮性を持たせるために加えられた繊維。染料。縫い糸。ボタン。ファスナー。一着の服を便利で美しいものにするために、さまざまな素材や部品が組み合わされています。

ところが捨てる段階になると、その「よくできた一着」が、今度はリサイクルを難しくすることがあります。

服をつくるときには、いろいろなものを組み合わせる。再び資源へ戻すには、それをもう一度「ほどかなければならない」。未来のリサイクルには、「つくる技術」と同じくらい「ほどく技術」が必要なのかもしれません。

古い服を「服」に戻す

これまでの繊維リサイクルでは、古い衣服を別の用途へ利用する方法も大切な役割を担ってきました。けれど、それだけでは新しい衣服をつくるために、また新しい原料が必要になります。そこで目指されているのが、服から服へ。使い終えた繊維を原料へ戻し、そこからもう一度、新しい繊維をつくる循環です。もしそれが広く実現すれば、原料を採る→服をつくる→着る→捨てる。という一方通行だった流れを、

「原料 → 服 → 着る → 回収する → 原料 → 新しい服 → 着る →…」

という輪へ近づけることができます。
第三章で見た昔の人々は、古くなった衣服をほどき、繕い、別のものへ作り替えながら布の命をつないでいました。未来では科学が、もっと小さな「素材」のところまで戻って、その続きをしようとしているのです。

服の素材を、微生物につくってもらう

そして今、「服を何からつくるのか」という常識そのものを変えようとする研究も進んでいます。その主役の一つが、微生物です。たとえば日本で開発されているBrewed Protein™ファイバーは、植物由来の糖などを栄養源として微生物を発酵させ、タンパク質をつくらせます。それを抽出・精製し、繊維へ加工することで、新しい衣服の素材にするのです。

つまり畑で綿を育てる。羊から毛を得る。石油から化学繊維をつくる。そうした従来の方法とは違う、「微生物に素材をつくってもらう」という新しい選択肢が生まれようとしています。しかも、これは研究室だけの未来物語ではありません。

すでにBrewed Protein™ファイバーを使ったシャツやニット、アウターなどが製品化されています。「未来の服」は、少しずつ私たちのクローゼットへ近づき始めているのです。

捨てた服を、微生物が食べる未来?

さらに、その先にはもっと面白い未来が考えられています。
使い終えた衣服を分解する。そこから得られた物質を、微生物が発酵するときの栄養源として利用する。そして微生物が、再び新しい素材をつくる。もしそんな循環が広がれば、古い服が、新しい服を育てる。そんな時代がやって来るかもしれません。

江戸時代の人が見たら、どんな顔をするでしょう。「古い着物をほどいて使えばいいじゃないか」と言うかもしれません。それに対して未来の研究者は、「私たちは、もっと小さなところまでほどいてみました」と答えるのでしょうか。方法はまったく違います。でも、考えていることは案外似ています。まだ使えるものを、ここで終わりにしない。

リサイクルできれば、いくら買ってもいい?

ただし、ここで一つ立ち止まる必要があります。もしすべての服をリサイクルできるようになったら、私たちは好きなだけ服を買い、飽きたら好きなだけ捨ててもいいのでしょうか?

おそらく、それは違います。回収するにもエネルギーが必要です。運ぶ必要もあります。分別し、加工し、新しい素材へ戻す工程も必要です。どれほど技術が進歩しても、「捨てる」という行為そのものが完全に消えてなくなるわけではありません。

だから未来のファッションには、二つの変化が必要なのでしょう。服をつくる側が、変わること。そして、服を着る私たちも、少しだけ変わること。

新しい素材を開発する研究者。古い服を再び資源へ戻そうとする技術者。そしてクローゼットの前で、「これ、まだ着られるな」と思う私たち。どれか一つだけでは、きっと循環は完成しません。

では10年後。私たちは、どんな服を着ているのでしょう? 微生物がつくった服かもしれません。昔の服から生まれ変わった一着かもしれません。でも、もしかすると――。今すでに持っている、お気に入りの一着をまだ着ているかもしれません。最後はもう一度、「欲しい」と思う私たち自身へ戻ってみましょう。

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最終章 10年後、その服をまだ好きでいられる?──「欲しい」を諦めないファッションの未来

「あなたは10年後、何を着ているだろうか?」
今回の『フロンティア』は、そんな問いから始まります。10年後。微生物がつくった新しい素材の服を、当たり前のように着ているかもしれません。着古した衣服を原料へ戻し、そこから生まれた新しい一着を選んでいるかもしれません。今では想像もできない素材やデザインが、街を歩いているかもしれません。

けれど、もう一つの未来もあります。今、あなたが着ているその服を、10年後も着ている。そんな未来です。

新しいものをつくることだけが「未来」なのだろうか

ファッションには流行があります。新しい色、新しい形、新しい素材…。今までになかったものを生み出し続けるからこそ、私たちはファッションを楽しむことができます。けれど、とても気に入った服を長く着て、いよいよ擦り切れてしまったとき、「同じものをもう一度買いたい」と思った経験はないでしょうか。

ところが店へ行ってみると、もう売っていない。モデルチェンジされていたり、廃番になっていたりする。新しいものが欲しいときもある。でも、「新しくなくていいから、これと同じものが欲しい」と思うときだってあります。

新しいものを次々と生み出すことだけが進歩なのでしょうか。長く愛されたものを、長くつくり続ける。それもまた、これからのファッションにあっていい豊かさなのかもしれません。

「欲しい」をなくさなくていい

ここまで、大量につくられ、大量に手放される衣服について考えてきました。では私たちは、新しい服を欲しがることをやめればいいのでしょうか? きっと、そうではありません。

「可愛い!」
「格好いい!」
「これを着て出かけたい!」

新しい服を見て心が動くことは、ファッションの楽しさそのものです。第一章で考えたように、私たちは服という「物」だけではなく、その服を着た少し先の自分まで想像しているのかもしれません。だから「欲しい」を悪者にする必要はない。

ただ、その次にほんの一拍だけ置いてみる。「それ、本当に欲しい?」それでも欲しいと思えたなら、選んだ一着を楽しめばいい。そしてできるなら、少し長く付き合ってみる。そんな小さな変化なら、ファッションを諦めなくても始められそうです。

「まだ着られる」を、もう一度

クローゼットには、もう一つの未来があります。しばらく着ていない服です。買ったときには気に入っていた。でも、いつの間にか着なくなった。流行が変わったから。なんとなく飽きたから。あるいは、「もう少し痩せたら着よう」と思ったまま、何年も経ってしまったから…。

そんな一着を見つけたら、捨てる前にもう一度袖を通してみてもいいのかもしれません。「あれ、これ結構いいじゃない」そう思えた瞬間、その服の寿命は少しだけ延びます。新しい技術もいりません。新しい資源もいりません。必要なのは、クローゼットを開けることだけです。

昔の知恵と未来の技術が、同じ場所を目指している

かつて服は、人から人へ渡りました。お古になり、破れれば繕われ、それでも使える布は別の用途へ生かされました。そして今。使い終えた衣服を再び原料へ戻そうとする技術が研究され、微生物の力で新しい繊維素材を生み出す試みまで始まっています。

方法はまったく違います。昔の人は、布をほどいた。未来の研究者は、素材までほどこうとしている。けれど、その根っこにある思いは案外同じなのかもしれません。「まだ使えるものを、ここで終わりにしなくてもいい。」

私たちができることも、その輪の中にあります。長く着る。直す。誰かに譲る。役目を終えたら、適切な方法で回収へ託す。その先ですべてが理想通りに循環するとは限りません。だからこそ技術も、制度も、私たちの選び方も、少しずつ変わっていく必要があるのでしょう。

10年後、その服をまだ好きでいられる?

アタカマ砂漠に積み上がった大量の衣服。そこにある一着一着にも、最初は誰かの、「欲しい」があったはずです。そして私たちのクローゼットにも、「まだ着られる」服があります。ファッションの未来は、この二つの言葉の間にあるのかもしれません。

新しい服を欲しくなる気持ちをなくすのではなく、欲しいと思った一着と、少し長く付き合う。つくる側は、長く使えるものをつくる。使い終えたものを、できるだけ次へつなぐ。そして科学は、その「次」をもっと豊かにする方法を探していく。

10年後、あなたは何を着ているでしょう? まだ見たことのない、未来の素材でしょうか。それとも――。今日、鏡の前で、「これ、やっぱり好きだな」と思った、その一着でしょうか。未来のファッションとは、新しい服が次々と生まれることだけではなく、好きな服を、好きなままでいられる時間を長くすること。そんな未来も、悪くないような気がします。

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あとがき|「欲しい」と「まだ着られる」の間にある未来

「なぜ、まだ服があるのに次が欲しくなる?」
今回は、そんな素朴な疑問からファッションの未来を考えてきました。服は、人間が生きていくために必要なものです。けれど私たちは、身体を覆うためだけに服を着ているわけではありません。

「可愛い」「格好いい」「これを着てみたい」そんなふうに心が動き、その服を着た少し先の自分まで想像する。だから、まだ服を持っていても次の一着が欲しくなるのでしょう。それはきっと、ファッションの楽しさでもあります。

だから「欲しい」を無理になくす必要はありません。ただ、その「欲しい」の先には、もう一つの現実がありました。チリ・アタカマ砂漠に積み上がった、大量の衣服です。そこにある服のすべてが、擦り切れるまで使われたわけではありません。

まだ着られる服もある。世界では古着が国境を越えて流通し、次の誰かに着てもらう仕組みもあります。それでも、その循環からあふれてしまうほど大量の衣服がつくられ、手放されています。

そこで少し時間を巻き戻してみました。かつては兄や姉の服が弟や妹へ渡り、親戚や友達の間でも「お古」が行き来していました。「いつもお古ばっかりで嫌だ」そんな子どもの気持ちもあったでしょう。それでも、一人が着なくなったからといって、その服の寿命が終わったわけではありませんでした。

破れれば繕う。使える布は別の用途へ回す。襤褸になるまで使われた布もありました。服は昔から消耗品です。変わったのは、「もう消耗した」と私たちが判断する場所なのかもしれません。

そして今、科学はその続きを別の方法で始めようとしています。使い終えた衣服をもう一度原料へ戻すリサイクル技術。微生物の力を借りて、新しい繊維素材を生み出す研究。昔の人は、古い服を人の手でほどきました。未来の研究者は、それをもっと小さな素材のところまでほどこうとしています。

何百年も離れた二つの時代が、「まだ使えるものを、ここで終わりにしなくてもいい」という同じ場所で出会っているようにも見えます。もちろん、技術だけですべてが解決するわけではないでしょう。

リサイクルできるから、いくら買ってもいい。資源回収に出せば、いくら捨ててもいい。それでは、また別の場所に負担を移すだけになってしまうかもしれません。だから私たちにも、できることがあります。新しい服を見て「欲しい」と思ったとき、ほんの一度だけ、

「それ、本当に欲しい?」

とちょっとだけ立ち止まって考えてみる。それでも欲しいなら、買えばいい。そして、その一着を楽しむ。少し長く着てみる。

着なくなった服を、もう一度クローゼットから出してみる。誰かに譲る。直してみる。それでも役目を終えたなら、次の資源になれる場所へ託す。一つひとつは、とても小さなことです。けれど、ファッションの未来は、最先端の研究所だけでつくられるものではありません。

私たちのクローゼットの中にも、その入口があります。10年後、あなたは何を着ているでしょう。微生物から生まれた新しい素材でしょうか。昔の服から生まれ変わった一着でしょうか。それとも、今日も着ているお気に入りでしょうか。

新しいものを好きになる。今あるものも、大切にする。その二つは、きっと両立できます。「欲しい」と「まだ着られる」。その間を、少しだけゆっくり歩くこと。それが、おしゃれを諦めずにファッションを未来へつないでいく、私たちなりの答えなのかもしれません。


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