文明が生まれるより、ずっと前の話から始めましょう。まだヒッタイトも、ローマ帝国も、オスマン帝国もありません。もちろん、「トルコ」という国もありません。人間が国境線を引き、町をつくり、交易を始めるより遥か昔――アナトリア半島の地下では、すでに壮大な物語が始まっていました。
北にはユーラシアプレート、南にはアフリカプレート、南東からはアラビアプレート。いくつもの巨大なプレートがせめぎ合うその場所で、大地は押され、隆起し、裂け、マグマが動き、長い時間をかけて現在のアナトリアを形づくっていきました。
なんだか、どこかの国と似ています。そう、日本です。日本もまた、複数のプレートがせめぎ合う大地の上にあります。地震や火山に何度も苦しめられながら、その一方で、山や温泉、豊かな水、そして大地がもたらすさまざまな恵みを受けながら暮らしてきました。
遠く離れた日本とトルコ。明治時代のエルトゥールル号遭難事故以来、助け合いの歴史が語られることの多い二つの国には、実はそれより何千万年も前から、「動く大地の上で生きている」という不思議な共通点があったのです。
そして、その激しく動く大地の上で、アナトリアには次々と文明が花開きました。鉄の利用で知られるヒッタイト。温泉の恵みを利用して都市を築いたローマ帝国。そして東西世界を結ぶ巨大帝国へ成長したオスマン帝国。なぜ、これほど多くの文明がこの土地を求め、栄えていったのでしょう?
アジアとヨーロッパの間にあるから? 東西交易の要衝だったから? もちろん、それも大きな理由でしょう。でも、もう少し深く――足元まで掘ってみたらどうでしょう。カッパドキアに立ち並ぶ「妖精の煙突」。大地を彩る「虹の丘」や「バラの谷」。雪山のように真っ白なパムッカレの石灰華。
私たちが「絶景」と呼んで眺めているものの向こう側には、気の遠くなるような地球の営みがあります。そして、その大地が生み出したものを、人間はいつしか資源として使い、水や温泉の恵みを受け、町を築き、道をつなぎ、文明を育てていきました。
だとしたら――。「文明の十字路」をつくったのは、本当に人間だったのでしょうか? 人間はむしろ、地球が何千万年もかけて用意した舞台へずっと後からやってきて、そこに自分たちの文明を築いたのかもしれません。
『体感!グレートネイチャー』「誕生!文明の十字路〜トルコ知られざるしゃく熱大地」。今回はヒッタイトやローマ、オスマンの歴史からではなく、その遥か下にある「地球の歴史」から、トルコ繁栄の秘密をたどってみましょう。
人間の歴史を何千万年も巻き戻してみたら、いったい何が見えてくるのでしょう。……なんだかオラぁ、ワクワクしてきたぞ!(笑)
【放送日:2026年8月23日(日)11:30 -13:00・NHK-BS】
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第一章 日本とトルコ、地下を覗けばよく似ている?──プレートがせめぎ合うアナトリア
日本からおよそ8000キロ離れたトルコ。文化も言葉も宗教も違う遠い国ですが、地図ではなく地下を覗いてみると、なんとなく日本と似た顔が見えてきます。日本は、世界でも地震や火山活動の活発な国として知られています。その理由の一つが、日本列島の周辺で複数のプレートがせめぎ合っていること。
では、トルコの地下はどうなっているのでしょう? 実はこちらも、なかなか大変なことになっています。トルコが位置するアナトリア周辺では、大きく見ると北側にユーラシアプレート、南側にアフリカプレート、南東側にアラビアプレートがあり、その間にアナトリアの地殻が挟まれています。
南東からアラビアプレートが北へ押してくるため、アナトリアはユーラシアとの間に挟まれ、西へ逃げるように動いているのです。なんだか満員電車で、「ちょっと、押さないでよ💦」と言いながら横へ押し出されていく人みたいです(笑)。
アナトリアは、今も西へ動いている
その巨大な動きを受け止めている代表的な場所が、北アナトリア断層と東アナトリア断層です。北アナトリア断層はアナトリアの北側を走り、東アナトリア断層は南東側を走る巨大な横ずれ断層。
近年の研究では、アナトリアという現在のプレート状のまとまり自体が、長い変形の末にこうした断層系がつながって形成されてきたと考えられています。つまりアナトリアは、完成してじっとしている大地ではありません。
そして、その動きが私たちの目に最も恐ろしい形で現れるものの一つが地震です。2023年2月にトルコ南東部を襲った大地震も、アナトリア・アラビア・アフリカという三つのプレートが集まる地域に近い東アナトリア断層系で発生しました。
ここまで聞くと、複雑なプレートと地震に慣れた日本人なら、「ああ……そりゃ地震も起きるよね」と思ってしまうかもしれません。
日本とトルコは「同じ」ではない
ただし、日本とトルコの地下構造が同じというわけではありません。ここは少し注意が必要です。日本列島では海洋プレートが別のプレートの下へ沈み込む場所が大きな特徴になっています。
一方のアナトリアでは、アラビアプレートとユーラシア側の衝突によって押されたアナトリアが、巨大な横ずれ断層に沿って横方向へ逃げていく運動が目立ちます。南西側ではアフリカ側のプレートが沈み込む複雑な運動も加わっています。密度(体重)のよく似た大陸プレート同士の横綱相撲を見ているようです。
仕組みは違う。けれど共通していることがあります。それは「動き続ける地球の上で、人間が暮らしている」ということです。そしてもう一つ、日本人ならよく知っていることがあります。そんな大地は、私たちに災害だけをもたらすわけではありません。
山をつくる。火山をつくる。温泉を生む。複雑な地形をつくる。そして長い時間の中で、人間が利用するさまざまな大地の恵みにもつながっていきます。だから日本では、地震や噴火を恐れながら、その一方で温泉につかり、火山がつくった絶景を眺め、大地の恵みを受けながら暮らしています。トルコもまた、そんな「動く大地」とともに歩んできた国なのです。
災いをもたらした大地が、文明の舞台にもなった
ここからが今回の物語の面白いところです。もしアナトリアが、これほど激しい地球の活動とは無縁の静かな土地だったとしたら――。私たちが現在「トルコの絶景」と呼んでいる風景は、同じ姿で存在したのでしょうか? そして、ヒッタイト、ローマ、オスマンと続く文明の歴史も、同じものになっていたのでしょうか?
地震を起こす大地。火山を生み出す大地。山を隆起させる大地。人間から見れば、ときに恐ろしい存在です。しかし何百万年、何千万年という地球の時間で見れば、その激しい活動こそが、後に人間が暮らし、資源を利用し、都市を築く「舞台」そのものを形づくっていったとも考えられます。
日本とトルコ。明治時代以降、助け合いの歴史が語られてきた二つの国には、それより遥か昔からもう一つの共通点がありました。大地に揺さぶられながら、大地の恵みを受けて生きてきたこと。
では、その激しく動くアナトリアの大地は、地上にどんな風景をつくったのでしょう。次に待っているのは、「妖精の煙突」「虹の丘」、そして「バラの谷」。今度は地下から地上へ出て、地球が何百万年もかけてつくった作品を見に行きましょう。
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第二章 マグマは絶景をつくった──「妖精の煙突」「虹の丘」「バラの谷」
地下でプレートがせめぎ合うアナトリア。では、その巨大な地球の動きは、地上にどんなものを残したのでしょう。難しい地質の話はいったん忘れて、まず景色を見てみましょう。
そこに広がっているのは、とても同じ国の風景とは思えないほど奇妙で、美しい世界です。空へ向かって何本もの岩塔が伸びる「妖精の煙突」。赤やピンク、白などの色彩が大地を染める「バラの谷」。そして、まるで誰かが絵の具を重ねたような「虹の丘」。
「トルコって、こんな景色まであるの?」そう思ってしまいます。けれど、これらは人間がつくった庭園でも、テーマパークの巨大なオブジェでもありません。地球が、とてつもなく長い時間をかけてつくった風景です。
妖精がつくった?──カッパドキアの奇岩
なかでも有名なのが、トルコ中央部のカッパドキア。地面からニョキニョキと伸びた岩の柱。その上に帽子をかぶせたような岩が乗っているものまであります。あまりにも不思議な姿から、こうした奇岩は「妖精の煙突(Fairy Chimneys)」と呼ばれるようになりました。
もちろん、本当に妖精がつくったわけではありません。その物語を遥か昔まで巻き戻すと、周辺で繰り返された大規模な火山活動へ行き着きます。火山から噴き出した大量の火山灰などが積もり、長い時間をかけて凝結して大地をつくる。
しかし、それで完成ではありません。今度は雨や川、風、寒暖差などによる侵食が始まります。比較的削られやすい部分は失われ、煙突のてっぺんにある硬い部分だけが残っていく。それが気の遠くなるような時間をかけて繰り返され、現在の奇妙な岩塔群が形づくられていったのです。
つまり――マグマが材料を用意し、風と水が彫刻した。そう考えると、「妖精の煙突」という名前も、なんだか似合っているように思えてきます。
大地に色まで塗った地球
そして地球の作品は、「形」だけではありません。カッパドキアのバラの谷(Rose Valley)では、赤みやピンクを帯びた岩肌が連なります。朝夕の光が当たれば、その色はさらに変化して見えます。一方、番組に登場する「虹の丘」では、異なる色を持つ地層が重なり、大地そのものが縞模様に彩られています。
どうして大地に、こんな色が生まれるのでしょう。その鍵になるのが、火山活動によってもたらされたさまざまな物質や、岩石に含まれる鉱物です。たとえば鉄を含む鉱物は酸化することで赤や褐色を帯びることがあります。堆積した時代や環境、含まれる成分が違えば、岩や地層の色も変わる。そして地殻変動によって隆起した大地が削られることで、それまで地下に隠れていた色の異なる地層が地表へ姿を現すことがあります。
つまり私たちが、「きれいだなぁ」と眺めている大地の色にも、地球が歩んできた時間が刻まれているのです。
でも人間は、眺めるだけでは終わらなかった
ここまでは「絶景」の話です。ところが、アナトリアの物語が面白くなるのはここから。人間が、この大地へやってきます。カッパドキアを形づくる火山由来の岩石には、比較的加工しやすいものがあります。
だったら――。「ここ、掘れるんじゃない?」人間という生き物は、やっぱりそれを思いつく(笑)。岩をくり抜いて住居をつくる。教会をつくる。さらに地下へ地下へと空間を広げ、地下都市まで築いていきました。
ここで、第一章で見た「地球の力」と、これから追いかける「人間の文明」が初めて手をつなぎます。火山が大地をつくった。風と水がそれを削った。そして人間が、その大地を暮らしへ変えた。
人間は何もないところから文明をつくったわけではありません。すでにそこにあった地球の作品を見つけ、自分たちの知恵で利用していったのです。そして大地が人間に与えたものは、住む場所だけではありませんでした。
もっと直接的に、文明そのものを支えることになる「資源」も、人間は足元から見つけていきます。鉄の利用で知られるヒッタイト。そして、地下から湧き出す温泉のそばに都市を築いたローマ。次は絶景を見る目を少し変えて、「この大地から、人間は何を受けとったのだろう?」と考えてみましょう。
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第三章 大地の恵みを、人は文明に変えた──鉄のヒッタイト、温泉のローマ
カッパドキアでは、火山が残した大地を人間が掘り、住居や教会、さらには地下都市までつくっていきました。しかし、人間が大地から見つけたものは「住む場所」だけではありません。足元にあるものを、「これは使える」と見抜いたのです。その代表としてアナトリアの歴史に登場するのが、紀元前2千年紀に大帝国を築いたヒッタイトです。
「鉄の帝国」ヒッタイトは、本当に鉄で勝った?
ヒッタイトと聞いて、まず「鉄」を思い浮かべる人も多いでしょう。かつては、「ヒッタイトは優れた製鉄技術を独占し、青銅器しか持たない周辺諸国を鉄製武器で圧倒した」という説明が広く知られていました。学校の世界史で、そんなふうに覚えた人もいるかもしれません。
ところが研究が進んだ現在では、話はもう少し複雑だったと考えられています。ヒッタイトが鉄を利用していたことは確かですが、その時代に鉄器が青銅器を一気に駆逐したわけではありません。そもそも鉄は、鉄なら何でも青銅より硬くて強いという単純なものでもありません。
製錬し、鍛え、炭素を取り込み、適切な熱処理を施す。そうした技術があって初めて、鉄は優れた道具や武器になっていきます。だから、「鉄があったからヒッタイトは強かった」というより、「人間が大地に眠る素材を見つけ、試行錯誤しながら使いこなしていった」と考えたほうが、今回の物語には似合いそうです。
大地に鉄が眠っているだけでは、剣にも農具にもなりません。そこへ人間の知恵が加わって初めて、資源は文明の力へ変わるのです。
1000年以上あと、ローマ人が見つけた「大地の使い方」
そこから時間を1000年以上進めてみましょう。今度はローマの時代です。アナトリア南西部にあるパムッカレ。トルコ語で「綿の城」を意味する名前の通り、山肌には雪でも積もっているかのような、真っ白な世界が広がっています。
しかし、白いものの正体は雪ではありません。地下から湧き出した温泉水に含まれる炭酸カルシウムが沈殿し、長い時間をかけてつくり上げた石灰華です。
そして古代の人々は、この大地の恵みも見逃しませんでした。パムッカレの上には、古代都市ヒエラポリスが築かれました。ローマ時代には温泉地として繁栄し、浴場などの施設も造られていきます。
ヒッタイトが大地に眠る鉱物へ目を向けたのだとすれば、こちらでは地下から湧き出してくる水と熱を、人間の暮らしへ取り込んだのです。なんだか日本人には、とても理解しやすい話ではないでしょうか。地震や火山活動に悩まされながら、「でも温泉は気持ちいいんだよねぇ♨️」と言っている私たちと、少し似ています(笑)。
大地は「文明」をつくったわけではない
ここで一つ、大切なことがあります。鉄も温泉も、そこに存在しているだけなら自然の一部です。鉄を取り出し、道具へ変えたのは人間。湧き出す温泉を利用して、そこに都市や文化を築いたのも人間です。だから、「地球が文明をつくった」と言ってしまうのは、少し違うのでしょう。
地球が用意したのは、文明が生まれる可能性でした。大地から何を見つけるのか。それをどう利用するのか。そして、どんな暮らしや文化へ発展させるのか。そこから先は、人間の知恵です。
ヒッタイトとローマ。1000年以上離れた二つの文明は、それぞれ違う方法で、大地の恵みを「文明」に変えていきました。まさに、人は、大地がつくった舞台に文明を築いた。ということなのかもしれません。
それでも、まだ一つ疑問が残る
ところが、ここまででは説明できないことがあります。大地の恵みが豊かだった場所なら、世界にはほかにもたくさんあります。
それなのに、なぜアナトリアでは、ヒッタイトが栄え、ギリシャやペルシャの勢力が交わり、ローマが支配し、東ローマ帝国が続き、そしてオスマン帝国が巨大な版図を築く――これほど多くの文明が、同じ土地を求め続けたのでしょう。その答えを探すには、もう一度足元だけを見るのをやめて、アナトリア半島全体を上空から眺める必要があります。
西にはヨーロッパ。東にはアジア。北には黒海。南には地中海。そして、その間を結ぶ細い海峡。そこで初めて見えてくるのが、「文明の十字路」というアナトリアのもう一つの顔です。次は、「なんでみんな、そんなにここが欲しかったの?」を追いかけてみましょう。
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第四章 なぜ、みんなここを欲しがった?──大地がつくった「文明の十字路」
ヒッタイトは大地に眠る資源を利用しました。ローマ時代には、地下から湧き出す温泉の恵みを利用して都市が栄えました。けれど、それだけではまだ説明できません。アナトリアの歴史を眺めていると、一つの素朴な疑問が浮かんできます。
「どうして、みんなそんなにここが欲しかったの?」
ヒッタイト、ペルシャ、ギリシャ・ヘレニズム世界、ローマ、東ローマ、セルジューク朝、そしてオスマン帝国。支配者は何度も入れ替わりました。これだけを見れば、アナトリアはまるで「奪い合われ続けた土地」のようにも見えます。でも地図を少し引いて眺めれば、その理由の一つが見えてきます。
アジアとヨーロッパの間にある
アナトリア半島は、西へ行けばヨーロッパ、東へ行けば西アジア。北には黒海、南には地中海があります。そして現在のイスタンブール付近には、黒海とマルマラ海をつなぐ細長いボスポラス海峡があります。
ここが面白いところです。人間の目には、「アジア大陸とヨーロッパを隔てる海」に見えますし、実際にそのように認識されています。しかし別の見方をすれば、「アジアとヨーロッパが最も近づく場所」でもあります。さらに海上交通で考えれば、黒海と地中海世界を結ぶ通り道にもなる。
つまりこの一帯では、東西を結ぶ陸上交通と、南北を結ぶ海上交通が交差する。これなら「文明の十字路」と呼ばれる理由が少し見えてきます。
海峡は「邪魔」なのか、それとも「価値」なのか
地図を見ていると、こんな疑問も浮かびます。アジアからヨーロッパへ行きたいなら、「わざわざ流れのある海峡を渡らなくても、黒海をぐるっと回ればいいんじゃない?」と。もちろん、黒海沿岸を経由する交易ルートも存在しました。
しかし黒海を北側から大きく迂回するとなれば、距離は伸びます。船を使えば積み替えも必要になる。陸路には山や川もある。古代の交通では、現代の高速道路のように「ちょっと遠回りすればいい」と簡単にはいきません。
だから狭い海峡は、必ずしも単なる障害ではありませんでした。むしろ、交通が集まる場所だからこそ、支配者にとってみれば、「そこを押さえることに価値が生まれる」のです。海峡そのものが文明を繁栄させたというより、海峡を含む地理的条件を、人間が交易・港・軍事・都市へ変えていったのでしょう。
コンスタンティノープルは、そこに築かれた
その価値を象徴する都市が、現在のイスタンブールです。ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が4世紀、古代都市ビュザンティオンを帝国の新たな都として整備し、コンスタンティノープルが誕生します。
ここからなら黒海へも地中海世界へもつながる。アジアにもヨーロッパにも目を向けられる。そして海に囲まれた地形は、防御にも利用できます。後の東ローマ帝国にとって、この都市は長く帝国の中心となりました。
そして1453年。今度はオスマン帝国のメフメト2世がコンスタンティノープルを征服します。支配する帝国は変わっても、この場所そのものの価値は消えなかった。むしろ、それこそがアナトリアの歴史を象徴しているのかもしれません。
「文明の十字路」は、人間だけがつくったのだろうか
ここまでなら、普通の世界史の話です。アナトリアはアジアとヨーロッパの間にあった。だから交易が盛んになり、多くの文明がこの土地を求めた。
「なるほど。地理的に便利だったからね」
で終わってもいいでしょう。でも今回の『体感!グレートネイチャー』では、もう一段深く潜ってみます。そもそも――その地理をつくったのは誰なのでしょう?
人間はボスポラス海峡を掘ったわけではありません。アナトリア半島をアジアとヨーロッパの間へ置いたわけでもありません。山々も、谷も、海も、人間が文明を築く遥か以前から存在していました。私たちは地図を見ると、つい国境を見てしまいます。「ここからトルコ」「こちらがヨーロッパ」「こちらがアジア」と。
でも地球には、そんな線はありません。あるのは、動き続ける大地です。プレートが動く。大地が押される。隆起する。裂ける。海が生まれ、山ができ、川が流れる。そうして何百万年、何千万年という時間をかけて形づくられた場所へ、ずっと後になって人間がやってきました。
そして、「ここなら人や物が行き交える」と気づいた。道をつくった。港をつくった。町をつくった。国をつくった。そして、その場所を巡って争うようにもなりました。だとすれば「文明の十字路」は、人間がゼロからつくったものではなかったのかもしれません。
地球がつくった地形の上に、人間が道を引いた。そう考えると、今回のタイトルが少し違って見えてきます。人は、大地がつくった舞台に文明を築いた。ヒッタイトも、ローマも、オスマンも。それぞれの時代の人々が、この土地に別々の文明を築きました。けれど舞台だけは、ずっと同じ場所にあり続けたのです。
そして物語は、人間より遥か昔へ
しかし、まだ最後の謎が残っています。
第一章で見たように、アナトリアの地下では現在も巨大な地球の力が働いています。そして番組が最後に追いかけるのは、その地下で動くマグマの源。それは、私たちが今見ているトルコの大地だけでは説明できないほど、遥か彼方から続いてきた地球規模の物語へつながっていくといいます。
ヒッタイトより前。ローマより前。オスマンより前。もちろん、人類が文明を築くより前。文明の十字路が生まれるずっと前から、地球はその舞台をつくり始めていた。では、その力はいったいどこからやってきたのでしょう。最後は人類史の時計をいったん止めて、もう一度、地球の時間へ戻ってみましょう。
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最終章 文明が生まれる前、大地はすでに動いていた──繁栄の源を遥か彼方へ追う
ヒッタイトが鉄を利用するより前。ローマ人が温泉に都市を築くより前。オスマン帝国がアジアとヨーロッパにまたがる巨大な国を築くより、さらに遥か昔。もちろん、「トルコ」という国もありません。
人間が文明を築くどころか、現在の私たちが知る世界とはまったく違う姿をしていた時代から、地球はすでに動いていました。私たちが暮らす時間とは、桁が違います。100年でもない。1000年でもない。1万年でもない。数千万年、あるいはそれ以上という地球の時間です。
地上の絶景をたどったら、また地下へ戻ってきた
今回の旅は、アナトリアの地下から始まりました。北にはユーラシアプレート。南にはアフリカプレート。南東からはアラビアプレート。それらが複雑にせめぎ合い、アナトリアの大地は現在も動き続けています。そして番組が最後に追いかけるのが、アナトリアで起きてきたマグマ活動の源です。
地下深くで生まれたマグマが火山活動を起こし、地上へ大量の火山灰や溶岩などをもたらす。それが長い時間をかけて固まり、隆起し、風や雨に削られる。そうして生まれたものの一つが、私たちが「絶景」と呼んで眺めてきたカッパドキアの奇岩でした。
でも、ここで新しい疑問が生まれます。「では、そのマグマを生み出した地球の動きは、どこから始まったのでしょう?」番組は、その答えを現在のトルコだけに求めません。アナトリアから遥か離れた場所まで視野を広げ、地球規模で動くプレートと、その地下で起きてきた壮大な変化を追っていきます。
ここは番組で明らかになる具体的な仕組みを見てから、もう一度詳しくたどってみたいところです。ただ一つ、今の段階でも見えてくることがあります。現在の国境だけを見ていては、地球の歴史は分からないということです。
地球は国境なんて知らない
考えてみれば当たり前です。地球の内部では、今もプレートが動いています。でも、「ここからトルコです」「こちらはギリシャです」「ここはシリアです」なんてことを、地球が気にしているはずはありません(笑)。
国境をつくったのは人間です。それも地球の歴史から見れば、ごく最近のこと。プレートはそんな線を無視して動き、大陸を押し、海をつくり、山を隆起させ、ときにはマグマを生み出してきました。その途方もなく長い営みの結果として生まれた大地へ、ずっと後になって人間がやってきたのです。
そして人間は、「ここには鉄がある」「ここには温泉がある」「この岩なら掘れる」「ここなら海を渡れる」「ここなら東と西を結べる」と、大地が持っていた可能性を一つずつ見つけていきました。そして、文明を築いた。そう考えると今回のこの記事のタイトル、「人は、大地がつくった舞台に文明を築いた」という言葉の意味が、ようやく見えてくるような気がします。
文明の十字路は、何千万年もかけて準備されていた
歴史の教科書を開けば、そこに登場する主役は人間です。王が現れる。戦争が起きる。国が滅びる。新しい帝国が生まれる。だから私たちはつい、「人間が歴史をつくってきた」と思ってしまいます。もちろん、それは間違いではありません。
でも、さらに時間を巻き戻してみたらどうでしょう。王が生まれる前に、大地がありました。国が生まれる前に、海がありました。交易路ができる前に、山や谷がありました。そして文明が生まれる遥か以前から、地下では地球が動き続けていました。人間が歴史を始めるよりずっと前から、その舞台の歴史は始まっていたのです。
そう思って世界史の地図を眺めてみると、少しだけ違って見えるかもしれません。「なぜ、この場所で文明が生まれたんだろう?」「なぜ、この都市をみんなが欲しがったんだろう?」そんな疑問の答えは、王様の名前や戦争の年号だけではなく、地図のさらに下――地球そのものに隠れていることもあるのです。
そして、日本へ
遠くトルコまで旅してきました。でも最後に、もう一度私たちの足元を見てみましょう。日本もまた、複数のプレートがせめぎ合う場所にあります。地震に苦しめられてきました。火山の噴火にも苦しめられてきました。その一方で、山があり、温泉があり、複雑な海岸線があり、その大地の上で人々は暮らし、文化を育ててきました。
日本とトルコ。明治時代以降、エルトゥールル号遭難事故などをきっかけに、両国の友情や助け合いの歴史が語られてきました。けれど今回、アナトリアの地下まで覗いてみたら、その歴史より遥か昔から続く、もう一つの共通点が見えてきました。
どちらも「動く大地」の上で生きてきた国だった。大地は、ときに私たちの暮らしを壊します。けれど同じ大地が、山をつくり、温泉を生み、絶景をつくり、人間が文明を築く舞台にもなってきました。それは、どちらか一方だけではありません。
私たちは今も、その両方を抱えた地球の上で暮らしています。トルコの「文明の十字路」をたどる旅は、最後には人間の歴史を飛び越え、何千万年も続く地球の物語へとつながりました。
そして遠いアナトリアから帰ってきて、ふと日本の大地に立ってみると――。いつもと変わらない足元の、その遥か下でも。今日も地球は、ゆっくりと動き続けています。
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