滋賀県東近江市にある赤神山は、1400年以上ものあいだ、山そのものが御神体として信仰を集めてきた。中腹には「太郎坊宮」が建ち、人々は古くから、この山を見上げながら暮らしてきた。
けれど赤神山が支えてきたのは、祈りだけではない。人生の途中で立ち止まった人。誰かを失い、それでも前へ進こうとした人。退職後に、新しいつながりを見つけた人。
この山の周りには、赤神山に背中を支えられるようにして生きてきた人たちの時間が流れている。先々代の思いを受け継ぎ、人が集まる場所を作ろうとする宮司。
山を歩く楽しさを知り、仲間たちと登山道を整備する元会社員。そして突然夫を亡くしながらも、名物のだんご屋を営み、子どもを育て上げてきた女性――。
「小さな旅」が訪ねるのは、派手な観光地ではない。そこにある山に支えられながら、静かに暮らしを重ねてきた人々の物語である。
【放送日:2026年5月10日(日)8:00 -8:25・NHK-総合】
【放送日:2026年5月15日(金)11:05 -11:30・NHK-総合】
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なぜ赤神山は“神の山”なのか?|1400年続く信仰
滋賀県東近江市にある赤神山は、古くから“神の山”として人々に信仰されてきた。1400年以上前から、山そのものを御神体として崇めてきたという。
日本には、社殿よりも先に“山そのもの”を拝む信仰が各地に残っている。巨大な岩。深い森。霧のかかる山肌。人々はそこに、人の力を超えた何かを感じてきたのだろう。赤神山の中腹に建つ「太郎坊宮」も、そうした信仰の中で受け継がれてきた場所だ。
山を登り、石段を進み、振り返ると近江の景色が広がる。その道のりそのものが、どこか“心を整える時間”のようにも感じられる。
けれど赤神山は、ただ神秘的な山というだけではない。地域の人たちにとっては、昔から“人生の節目に立ち寄る場所”でもあった。嬉しい時。苦しい時。迷った時。人々は山を見上げ、静かに手を合わせてきた。――山は何も語らない。それでもそこにあり続けることで、人を支えてきたのかもしれない。
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山に集う場所を守る|太郎坊宮と宮司の思い
赤神山の中腹に建つ太郎坊宮には、今日も多くの人が足を運ぶ。
参拝のために訪れる人。登山の途中で立ち寄る人。ただ静かな景色を見たくて来る人。ここは“祈る場所”であると同時に、人がふっと心を休める場所でもあるのだろう。
そんな太郎坊宮を守る宮司は、先々代から受け継がれてきた思いを大切にしている。神社とは、ただ古い建物を守るだけの場所ではない。人が集い、言葉を交わし、また帰ってこられる場所でありたい。その思いから、太郎坊宮では人々が自然に集まれる場づくりにも力を入れているという。
赤神山は、昔から地域の人たちの暮らしの近くにあった山だ。遠くから“特別な場所”として眺めるだけではなく、日々の中で見上げる山。だからこそ太郎坊宮にも、どこか“開かれた空気”が流れている。
厳かなだけではない。少し疲れた時に立ち寄りたくなるような、やさしい空気がある。――人はきっと、祈るためだけではなく、“心を整えるため”にも山へ向かうのだろう。
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退職後に見つけた山の時間|登山道を整備する仲間たち
長く会社勤めを続け、定年を迎えたあと、ふと時間の流れが変わったように感じる人は少なくない。
毎日通っていた場所。忙しく過ぎていった時間。役割の中で生きていた日々。そこから離れた時、「これから、どう生きようか」と考える人もいるのだろう。赤神山で登山道を整備している男性も、そんなひとりだった。
退職後に山を歩く楽しさを知り、やがて仲間たちとともに、登山道を整える活動を始めた。落ち葉を掃き、傷んだ場所を直し、訪れる人が安全に歩けるよう手を入れていく。派手な仕事ではない。けれどその時間には、“誰かのために山を守る”静かな喜びが流れている。
そして山の作業は、人を自然とつなげていく。
「今日は暑いなぁ」
「この前より歩きやすなったな」
そんな言葉を交わしながら、少しずつ仲間が増えていく。
退職後の人生は、何か大きなことを始めなければいけないわけではない。好きな山を歩き、誰かと時間を分け合う。その積み重ねの中に、新しい生きがいが生まれていくこともあるのだろう。――赤神山は今日も、人生の途中にある人たちを、静かに受け入れている。
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だんご屋に流れる祈り|山に支えられて生きる
登山道の石ひとつ、階段の角度ひとつにも、整備した人の思いやりがにじむことがある。
「ここで滑りやすかったんやろな」
「この場所で休めるようにしたんやな」
山を歩いていると、そんな“見えないやさしさ”に気づく瞬間がある。赤神山のふもとで、名物のだんご屋を営む女性にも、どこかそれに似た空気が流れている。
夫を突然亡くし、子どもを育てていかなければならなくなった日々。簡単ではなかったはずだ。それでも彼女は、赤神山のそばで店を続けてきた。だんごを焼く香り。立ち寄る人との何気ない会話。
「気ぃつけて登りぃや」
「今日は暑いなぁ」
そうした時間を重ねながら、山の近くで暮らしをつないできたのだろう。
ふる里
- 滋賀県東近江市小脇町1288−9
- TEL:0748-23-4362
- 営業時間:8:00~16:00
- 定休日:なし
- URL:https://tabelog.com/shiga/A2503/A250302/25011332/
太郎坊宮へ向かう人たちにとって、そのだんご屋は、ただ小腹を満たす場所ではないのかもしれない。少し休んで、言葉を交わして、また山へ向かう。そんな“途中の居場所”になっている気がする。――山に支えられて生きる。それはきっと、特別な奇跡ではなく、人と人が小さなやさしさを分け合いながら暮らしていくことなのだろう。
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人生の途中で、山に支えられる|赤神山と人々の時間
赤神山は、何か特別な力を誇るような山ではない。けれど1400年以上ものあいだ、人々はこの山を見上げながら暮らしてきた。祈る人。働く人。迷いながら日々を生きる人。山は何も語らない。それでも変わらずそこにあり続けることで、人の心を支えてきたのかもしれない。
太郎坊宮を守る宮司。登山道を整える仲間たち。だんご屋を営みながら暮らしをつないできた女性。みんなそれぞれに、人生の途中で赤神山と向き合ってきた。苦しいことがなかったわけではない。立ち止まる日もあっただろう。それでも山のそばで、少しずつ前へ進んできた。
赤神山には、“願いを叶える場所”というより、“人が心を整える場所”のような空気が流れている。山道を登り、風の音を聞き、静かに景色を見下ろす。
その時間の中で、人はもう一度、自分の歩幅を取り戻していくのかもしれない。――人生の途中で、山に支えられる。赤神山は今日も、人々の小さな祈りや暮らしを、静かに見守り続けている。
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神の山は、今日も人を見守っている|小さな旅の余韻とともに
赤神山の朝は、静かに始まる。山肌をなでる風。石段に落ちる木漏れ日。遠くから聞こえる鳥の声。その風景は、きっと何百年も前から大きくは変わっていない。人々は山を見上げ、祈り、働き、暮らしてきた。時代が変わっても、人生のかたちは変わっても、赤神山は変わらずそこにあり続ける。
太郎坊宮へ向かう人。登山道を歩く人。だんごを手に笑い合う人。この山には今日も、さまざまな“人生の途中”が集まっている。
神の山とは、遠い存在ではないのかもしれない。苦しい時に立ち止まり、嬉しい時に空を見上げ、また歩き出そうと思える場所。赤神山はそんなふうに、人々の暮らしのすぐそばで、静かに時間を重ねてきたのだろう。
――山は、何も語らない。それでもそこにあるだけで、人の心をそっと支えてくれる。赤神山は今日も、訪れる人たちを静かに見守っている。
