怪談はなぜ静かに語られるのか?──美の壺が映す、小泉八雲と日本の面影

向かい合った男女が和ろうそくの明かりで怪談を語っている BLOG
ふっと心に残って離れない、そんな「日本の気配」を語っているのです。
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小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、明治の日本に暮らしながら、日本人が当たり前に見過ごしていたものに、何度も立ち止まりました。城のたたずまい、神社に集うキツネたち、古い写真に残る“面影”。そして、庭に満ちる虫の音――。

それらは派手な名所や出来事ではありません。けれど、ふっと心に残って離れない。八雲が言葉にしようとしたのは、そんな「日本の気配」だったのかもしれません。

現在放送中の朝ドラ「ばけばけ」で八雲の人生にあらためて光が当たるいま、NHK 美の壺『日本の心をつづる 小泉八雲』は、松江城やキツネの神社、19世紀の写真技術を追う写真家の視線などを通して、失われつつある“日本の面影”を静かに映し出します。

さらに、『怪談』初版本の装丁や、ちりめん本として出版された物語も登場し、八雲の言葉が「本」というかたちでも大切に守られてきたことが見えてきます。怖い話として消費されがちな『怪談』を、あえて「美」の番組が取り上げる理由。その手がかりを、番組内容とともにたどっていきます。

【放送日:2026年1月14日(水)19:30 -20:00・NHK BSP4K】

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小泉八雲が見つめた、明治日本の「面影」

小泉八雲が日本で暮らした明治の時代は、国のかたちも、人々の暮らしも、大きく変わりつつある過渡期でした。近代化の波が押し寄せる一方で、まだ各地には、長い時間をかけて育まれてきた風景や感覚が息づいていました。

八雲が強く心を惹かれたのが、島根・松江の城下町です。とくに、今も町の象徴として残る 松江城 を前にしたとき、彼はそれを「歴史的建造物」としてではなく、人の記憶や土地の時間をまとった“存在”として受け止めたといいます。

八雲のまなざしは、「新しいか、古いか」「便利か、遅れているか」といった尺度には向きませんでした。城も、町も、そこに暮らす人々も、長い時間の積み重なりが生み出した“気配”として感じ取ろうとしたのです。それは、日本を理想化する視線とも、失われゆくものを嘆く視線とも、少し違います。

八雲が見つめていたのは、変わっていく途中にある日本の、かすかな輪郭――言葉にしなければ、静かに消えてしまいそうな「面影」でした。この感覚こそが、のちに神社や民間伝承、虫の音、そして『怪談』へと向かっていく、八雲の思索の出発点だったのかもしれません。

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キツネの神社と、信じられてきたもの

松江城のほど近くに、境内いっぱいにキツネの像が並ぶ神社があります。近年では「写真映えする場所」として紹介されることもありますが、小泉八雲がここで感じ取ったのは、そんな視覚的な驚きだけではありませんでした。

八雲にとってキツネは、単なる“かわいらしい存在”でも、観光資源でもありません。人と同じ世界に生き、ときに人を惑わし、ときに人を守る――現実と異界のあいだを行き来する存在でした。

城山稲荷神社(出典:Googleマップ)
城山稲荷神社(出典:Googleマップ)

この神社に集う無数のキツネ像は、「信仰の強さ」を誇示するものではなく、人々が長い時間をかけて目に見えないものと折り合いをつけてきた痕跡のようにも見えます。

恐れるだけでもなく、完全に理解しようとするわけでもない。けれど、確かに「いる」と信じ、日々の暮らしの延長線上で手を合わせる。八雲が惹かれたのは、そんな日本の信仰のあり方でした。

今の私たちは、神社を「由緒」や「格」で語りがちです。けれど八雲の目には、そこがどれほど人の生活と地続きだったか、どれほど素朴で、自然だったかが映っていたのでしょう。

キツネの神社は、特別な場所というよりも、人が人でいるために、信じてきた場所。その感覚が、のちに八雲が民間伝承や『怪談』へと向かっていく、静かな入口になっていきます。

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写真に残された“日本の姿”と、失われゆく時間

写真は、本来「記録」のためのものです。けれど19世紀の写真には、今の私たちが慣れ親しんでいる“即時性”や“共有”とは、まったく違う時間の流れがありました。一枚の写真を撮るために、光を読み、構図を定め、長い露光のあいだ、被写体と向き合う。そこには、写す行為そのものに、祈りにも似た集中がありました。

番組では、アメリカ人写真家が当時の写真技術を用いて、日本の風景をあらためて撮影する姿が紹介されます。彼が追い求めているのは、「昔と同じ景色」ではありません。その場所に、かつて確かにあった時間の重なりです。

小泉八雲の文章も、写真とよく似た働きをしています。出来事を派手に切り取るのではなく、そこに漂う気配や沈黙を、言葉としてそっと定着させる。今の私たちは、目の前の風景を「映えるかどうか」で判断しがちです。けれど八雲や、19世紀の写真家たちが見つめていたのは、その場に佇む記憶の層でした。

異国から来た“異人”だからこそ、当たり前として流されていくものに立ち止まり、失われていく前に、そっと残そうとしたのかもしれません。写真に残された日本の姿は、過去を懐かしむためのものではなく、「何を見落としつつあるのか」を問いかける存在として、今も私たちの前にあります。

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虫の音を愛した八雲と、日本の庭

日本の夏の庭には、ときに音が満ちています。風の音でもなく、人の声でもない、名もない小さな生きものたちの響き。小泉八雲は、この虫の音を、単なる自然音として聞いてはいませんでした。彼にとってそれは、土地に根づいた暮らしや、人と自然との距離感を映し出す、ひとつの「声」だったのです。

番組では、八雲が暮らした旧家の庭が紹介され、彼が執筆の傍らに虫かごを置いていたというエピソードにも触れられます。虫の音を「背景」ではなく、思考に寄り添う存在として受け止めていたことが伝わってきます。

現代の私たちは、虫の音を「うるさいもの」や「ノイズ」として扱いがちです。けれどかつての日本では、それは季節の移ろいを知らせ、一日の終わりを告げる、暮らしの一部でした。

見えないものに耳を澄ませ、説明できない感覚を、そのまま受け取る。八雲が愛したのは、そんな日本の庭に流れていた時間そのものだったのかもしれません。

写真が“見る”行為だとすれば、虫の音は“聴く”行為。どちらも、立ち止まらなければ感じ取れないものです。この感覚が、やがて『怪談』に描かれる、静かで、切なく、余韻の残る物語へとつながっていきます。

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なぜ 怪談 は“怖い”より“美しい”のか?

『怪談』と聞くと、私たちはつい「怖い話」「不思議な話」を思い浮かべます。けれど小泉八雲が描いた怪談は、人を驚かせるための物語ではありません。そこにあるのは、静かな出来事と、避けられない運命、そして、どうにもならない別れや余韻。八雲の怪談は、声をひそめて語られる物語なのです。

その姿勢は、1904年にアメリカで出版された『怪談』初版本の装丁にも、はっきりと表れています。緑がかった黒の繻子風布張りの表紙。オレンジ、緑、金で施された繊細な型押し。天には金がほどこされ、武内桂舟による挿絵が静かに物語の世界へ導く。

「KWAIDAN」の初版本(出典:Iwcurrey)
「KWAIDAN」の初版本(出典:Iwcurrey)

この本は、恐怖を強調するための装飾ではなく、物語の気配を壊さないための佇まいを選んでいます。まるで、虫の声や夕暮れの庭のように、強く主張せず、そっとそこに在る。

八雲は、日本の民話や伝承を、異国向けに“面白く加工”することをしませんでした。奇妙なものは奇妙なまま、哀しみは哀しみのまま、歪めず、急がず、英語へと移し替える。だから『怪談』は、読む人の感情を揺さぶるより先に、心の奥に静かに沈んでいくのかもしれません。

怖いのではなく、どこか懐かしく、切ない。それは、日本の庭で聞いた虫の音のように、気づいた人だけが、「ああ、そこにあった」と思い出す美しさです。

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ちりめん本に託された、日本への敬意とは?

「ちりめん本」とは、明治時代に外国人向けに作られた、日本の物語の翻訳絵本です。独特のしぼを持つ和紙を使い、木版画の挿絵とともに、英語やフランス語などで物語が綴られました。

けれどそれは、日本文化を“わかりやすく簡略化した土産物”ではありませんでした。むしろ、紙の質感、色合い、挿絵の余白――日本の物語が生まれた空気ごと手渡そうとする試みだったと言えます。

ちりめん本(出典:ebay)
ちりめん本(出典:ebay)

小泉八雲がちりめん本という形式を選んだのも、内容だけを翻訳すれば足りる、とは考えなかったからでしょう。物語は、言葉だけでできているのではない。語られる場所、読まれる手触り、ページをめくる速度――そうしたすべてが、物語の一部だと理解していたからです。

和ろうそく(出典:wanknot)
和ろうそく(出典:wanknot)

日本の昔話や怪談を、派手に脚色することも、異国趣味として消費させることもせず、「このまま渡したい」という気持ちを、本のかたちにまで反映させる。ちりめん本は、八雲にとって翻訳の手段であると同時に、日本文化への敬意そのものだったのかもしれません。

現代の私たちは、効率よく、早く、軽く情報を届けることに慣れています。けれど八雲は、時間がかかっても、手間が増えても、伝わるべきものが削れない方法を選びました。その姿勢は、『怪談』の装丁や、虫の音へのまなざしと同じく、日本の心を、そのまま信じていた証のように思えます。

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いま 美の壺 が小泉八雲を取り上げる理由

情報があふれ、速さと効率が価値になった現代。私たちは、意味や評価を先に探し、目に見える結果ばかりを追いがちです。そんな時代に「美の壺」が小泉八雲を取り上げたのは、彼の作品や人生が、“感じ取ること”の大切さを思い出させてくれるからかもしれません。

城を見て、格や称号ではなく、そこに積み重なった時間を想像すること。神社で、由緒やご利益だけではなく、人々が信じてきた気配に耳を澄ますこと。写真や物語を、消費ではなく、記憶として受け取ること。八雲は、日本の文化を「説明」しようとはしませんでした。

その場に身を置き、光や音、沈黙まで含めて受け取り、言葉にする前に、まず感じる。その姿勢こそが、今の私たちに最も必要な態度なのかもしれません。

和ろうそくの灯り一つで語られる怪談は、暗さを怖がらせるためではなく、周囲の気配に意識を向けさせるための舞台装置。八雲が求めていたのは、物語の正解ではなく、物語が生まれる瞬間の空気だったのでしょう。

「美の壺」が映し出す小泉八雲は、過去の偉人ではありません。忙しさの中で見落としてきたものに、もう一度立ち止まって目を向けるための、静かな案内人です。見ること、聞くこと、感じること。そのすべてを取り戻す先に、八雲が愛した「日本の心」が、今も変わらず息づいているのかもしれません。

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まとめ|小泉八雲が遺したもの、私たちが受け取るもの

小泉八雲が見つめていた日本は、特別な名所や、声高に語られる価値の中にあったわけではありません。城のたたずまい、神社に集うキツネたち、写真に残る風景、庭に響く虫の音――そのどれもが、暮らしのすぐそばにあるものでした。

八雲は、それらを「説明」する前に、まず立ち止まり、耳を澄まし、感じ取ろうとしました。怪談も、写真も、ちりめん本も、彼にとっては日本を語るための題材ではなく、日本の気配をそのまま手渡すための方法だったのかもしれません。

NHK「美の壺」が今回、小泉八雲を取り上げたのは、その姿勢が、いまの私たちに問いかけてくるものがあるからでしょう。速さや効率、分かりやすさを優先するあまり、私たちは、感じ取る前に評価してしまっていないか。見えるものの奥にある“面影”を、見落としてはいないか。

和ろうそくの灯りのもとで語られる怪談のように、少しだけ明かりを落とし、静かに耳を澄ませてみる。そんな時間の中にこそ、八雲が愛した「日本の心」は息づいているのかもしれません。

「美の壺」は、過去を懐かしむ番組ではなく、いまを生きる私たちの感覚を、そっと呼び戻す番組。小泉八雲のまなざしを通して、自分の足元にある美しさを、あらためて見つめ直すきっかけを与えてくれます。

もしかしたらそんな心で朝ドラ「ばけばけ」を見てみると、これまでと違った八雲の視点が見えてくるかもしれません。

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