美の壺|手を動かし、祈りを残す――東北の手仕事

曇天の気仙沼港を見ている女性 BLOG
ただ、今日を生き、明日を迎えるために、人々は黙々と手を動かしてきた。
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手を動かすことは、祈ることに似ている。東北の手仕事を見ていると、そう感じる瞬間がある。誰かに見せるためでも、流行を追うためでもない。ただ、今日を生き、明日を迎えるために、人は黙々と手を動かしてきた。

切り紙に込められた願い。木を削ぎ、編み上げるための長い時間。何度倒れても、また起きあがる小さな人形。身を包む布に、そっと託された温もり。それらはすべて、声高に語られることはない。

けれど確かに、祈りと暮らしをつなぎ、時を越えて、今もここに残っている。今夜の「美の壺」は、そんな東北の手仕事を、そっとすくい上げる。

【放送日:2026年1月25日(日)23:00 -23:30・NHK E-テレ】

手仕事は、祈りから始まった

東北の手仕事をたどっていくと、その多くが「役に立つもの」である前に、「願いを込めるもの」だったことに気づく。神社に伝わる切り紙――秋田や津軽の一部地域では、神事や年中行事のたびに、紙を折り、切り、重ねながら、目に見えないものへ思いを託してきた。それは装飾でありながら、祈りそのものでもあった。

番組で紹介される、91歳の元宮司が作る切り紙「オカザリ」は、技術を誇るためのものではない。一枚一枚に込められているのは、「今日も無事でありますように」という、ごく静かな願いだ。

東北の暮らしは、自然と常に隣り合わせだった。厳しい冬、予測できない災い、思うようにならない日々の中で、人は手を動かしながら、心を整えてきた。

祈りは、言葉だけでは足りない。だから人は、形を与えた。紙を切り、木を削ぎ、糸を編み、「大丈夫だ」と、自分自身に言い聞かせるように。東北の手仕事の始まりには、いつもそんな、声にならない祈りがそっと置かれている。

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削ぎ、編み、受け継ぐ——東北の素材と知恵

東北の手仕事は、決して素材を「支配」しようとしない。むしろ、素材の癖や限界に耳を澄ませながら、どうすれば共に生きられるかを探ってきた歴史だ。

たとえば、秋田のイタヤ細工。イタヤカエデの若木を冬に伐り、蒸し、薄く削いだ素材を、折るように、編むように形にしていく。切りすぎれば折れ、乾かしすぎれば割れる。だからこそ、手の感覚だけが頼りになる。この「削ぐ」「編む」という行為は、効率のためではなく、素材を無駄にしないための知恵だった。

寒さの厳しい土地で、資源はいつも貴重だったからだ。会津若松の起き上がり小法師も、同じ流れの中にある。転んでも起き上がる、あの単純な構造。そこには、災害や貧しさに何度も倒されながら、それでも立ち上がってきた土地の記憶が宿っている。

そして、岩手のホームスパン。羊毛を紡ぎ、織り、布にするまで、すべてが人の手と時間に委ねられている。戦争未亡人たちの生活を支えたその布は、強くて、やさしくて、何よりあたたかい。

東北の手仕事は、「新しいものを生み出す」ための技ではない。削ぎ、編み、直し、受け継ぐことで、暮らしを続けていくための知恵の積み重ねだ。だから今も、その形は変わりながら残っている。使う人がいる限り、その土地の時間は、静かに編み直されていく。

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縁起物に宿る、立ち上がる力

会津若松の起き上がり小法師は、見た目はとても小さく、素朴な人形だ。ころりと倒しても、ゆらゆら揺れて、また起き上がる。ただそれだけの仕組みなのに、長いあいだ、人の心を離さずにきた。

この人形は、子どものおもちゃでも、土産物でもある。けれど本当は、「何度転んでも、また立ち上がれるように」という願いを、形にしたものだった。

雪深い土地で、思うようにならないことが幾度もあった東北では、倒れない強さよりも、起き上がり続ける力が大切にされてきた。起き上がり小法師は、技術を見せるために作られたわけではない。難しい理屈もない。それでも人の手で作り続けられてきたのは、そこに込める願いが、暮らしの実感と深く結びついていたからだ。

おばあちゃんが教えてくれた作り方。紙を丸め、重りを入れ、形を整える。その時間は、何かを「生産する」ためのものではなく、一緒に過ごす時間そのものだったのだと思う。

起き上がり小法師は、震災のあと、復興の象徴としても語られるようになった。けれど本来、それは特別な状況のためのものではない。日々の中で、「またやり直せる」と自分に言い聞かせるための存在だ。

商業化され、効率やコストが前に出る時代になっても、この小さな人形が持つ力は変わらない。倒れても、起き上がる。声高に語らず、ただ、そうあり続ける。その静かな強さこそが、東北の縁起物に宿る力なのだと思う。

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身を包むことで、生き直す——岩手のホームスパン

岩手に伝わるホームスパンは、見た目はとても質素な織物だ。派手な柄もなく、軽やかさもない。けれど手に取ると、不思議なほど、体のほうが先に安心する。

その布を支えてきたのは、戦争で夫を失った未亡人たちだった。生きるために、声を上げることも、競うこともできなかった時代。彼女たちは、羊毛を洗い、紡ぎ、織り、黙々と布をつくり続けた。ホームスパンは、「仕事」ではあったけれど、それ以上に、自分を立て直すための時間だったのだと思う。

糸を紡ぐ指の動き。織り機の規則正しい音。一段ずつ、布が形になっていく過程は、壊れてしまった日常を、少しずつ編み直す行為でもあった。

寒さの厳しい東北では、布は身を包むためのものだ。けれど同時に、心を包むものでもあった。誰かに見せるためではなく、売るためだけでもなく、今日を生きるために織られた布

その布が、今もなお評価され、「美しい」と言われるのは、技巧や希少性のためではない。そこには、声にならない時間と、耐えることでしか残せなかった尊厳が、きちんと織り込まれているからだ。

ホームスパンは、過去の悲しみを飾らない。ただ、あたたかく、重く、着る人を受け止める。それはきっと、東北の人たちが選び続けてきた生き直し方そのものなのだと思う。

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外から来た色が、新しい手仕事になる——気仙沼

気仙沼と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、フカヒレや港町のにぎわいかもしれない。けれど、この町には、もうひとつの顔がある。東日本大震災のあと、全国から支援として届けられた毛糸。その中には、ドイツ製の、鮮やかで華やかな色の毛糸も含まれていた。それは、これまで東北の手仕事が選んできた落ち着いた色合いとは、少し違っていた。

最初は戸惑いもあったという。この色は、気仙沼の暮らしに合うのだろうか。この鮮やかさは、悲しみのあとに、早すぎはしないか。それでも、人は手を止めなかった。毛糸に触れ、編み、ほどき、何度も試しながら、形を探していった。やがて生まれたのは、これまでの東北の手仕事にはなかった、明るさを宿した編み物だった。

それは、過去を否定するものではない。外から来た色を、無理に馴染ませるのでもない。ただ、この土地の時間の中に、そっと置いてみただけだ。手仕事は、閉じた世界では続かない。受け継ぐだけでも、守るだけでもなく、必要なときには、外の風を受け入れる。

気仙沼の新しい手仕事は、復興の象徴として声高に語られることは少ない。けれど、そこには確かに、「もう一度、手を動かしてみよう」という静かな意思が編み込まれている。

外から来た色は、この町の時間と混ざり合い、新しい日常の一部になっていった。それは、失われたものを取り戻すためではなく、これからを生きるための手仕事だったのだと思う。

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まとめ|手を動かすことで、人は何を残してきたのか?

東北の手仕事を見つめていると、そこには「残そう」とした意志よりも、「今日を生きるために、そうしてきた」という時間の重なりがあることに気づく。

祈りを形にした切り紙。素材と向き合い、削ぎ、編まれた籠。何度倒れても起き上がる小さな人形。身を包み、心を立て直すための布。そして、外から来た色を受け入れながら生まれた、新しい手仕事。

それらは、特別な誰かのためのものではなかった。名を残すためでも、評価を得るためでもない。ただ、暮らしの中で手を動かし続けた結果として、静かに今へと手渡されてきた。

東北の手仕事には、「こうあるべきだ」と語る強さはない。その代わり、思うようにならない日々の中でも、それでも続けてきた人の時間が、そっと染み込んでいる。

祈りは、言葉だけでは足りない。だから人は、手を動かし、形を与え、やがてそれを、次の誰かに渡してきた。美の壺がすくい上げたのは、完成された工芸品だけではない。手を動かし続けてきた時間そのものだったのかもしれない。

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