こんにちは鳥巣です。4/23のあさイチでは岡山・倉敷から地下足袋(じかたび)が中継されるようです。「新地下足袋」とはどんなものなのでしょうか?
岡山は古くから繊維産業の町だった!?
岡山県の倉敷市周辺では、干拓によって塩分に強い綿花の栽培が行われてきました。この綿を原料に、足袋などの繊維製品が製造されたという歴史があります。
以前放送されていたNHKの朝ドラ、「カムカムエヴリバディ」(現在、再放送中)にも出てきた「雉真(きじま)繊維」という会社のモデルは分かりませんが、元々は”足袋”の製造を生業としていた会社という建付けでした。
ドラマの中では孫のひなたが務める時代劇の映画村(恐らくは京都の太秦(うずまさ)がモデル)で、ハリウッドの映画チームが、「履きやすい足袋が欲しい!」ということになって、岡山の雉真繊維に足袋を発注するストーリーでした。
現在では、倉敷といえばデニムの町としても有名ですが、戦時中に学生服から軍服の生産に軸足が移り、戦後になって倉敷では、国内初のジーンズが生産され、「国産ジーンズ発祥の地」として知られるようになりました。
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倉敷で地下足袋が生まれたわけは?
地下足袋の発祥地は、一般的に岡山県倉敷市とされています。1919年に「株式会社丸五」が倉敷市で創業し、足袋にゴム底を縫い付けた地下足袋を開発しました。
第一次世界大戦中、日本は輸出超過で膨大な外貨を獲得して経済は発展し、国民生活も向上しました。しかし、当時の日本の勤労者の履物は依然「わらじ」でした。
しかし、わらじでは足に十分な力が入らないため作業効率を妨げ、釘やガラスの破片を踏み抜きやすく危険でもありました。しかも、耐久性が無いため、わらじだと一日に一足は履きつぶしてしまいます。
農家では夜なべでわらじを生産していましたが、買えば5銭(1銭は1円の100分の1)はするものでした。そのうえわらじと一緒に履く足袋も必要となると月に1円50銭、年に18円もの履物代がかかり、勤労者にとって決してバカにできない負担となっていました。
当時の賃金は日給1円程度が標準的なものだったので、わらじよりもはるかに耐久性に富むゴム底足袋に対する潜在的需要は膨大でした。
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ゴム地下足袋の元祖はブリジストンじゃなかった!?
ゴム引き地下足袋というと、二股ソケットの発明で莫大な富を築いた松下電器(現パナソニック)とともに、タイヤメーカーとして有名なブリジストン(旧・日本足袋)の名前が思い出されます。
しかし、実はブリジストンがゴム引き地下足袋を販売する前には、既に倉敷ではゴム引き地下足袋が売られていました。ブリジストンが元祖だったわけではありません。
ゴム底足袋は、1902年ころから岡山県などで生産されていました。にもかかわらず、第一次世界大戦後までわらじに取って代われなかったのは、ゴム底縫付け技術が開発されないままだったので、縫糸が切れやすく耐久力が無いという欠点を解決できなかったからでした。
日本足袋では、岡山や広島のゴム会社からゴム底を買い入れて加工したといいます。しかし、日本足袋にでもゴムを縫い付けた縫糸が切れやすくて、耐久性がないという技術的困難に突き当たりました。
その頃、1922年(大正11年)に、三越百貨店で米国製テニス靴を見つけて購入してきました。日本足袋はこのテニス靴にヒントを得て、それまでのゴム底縫付け方式から貼り合わせ方式に転換することで問題を解決しました。つまりブリジストンは、地下足袋の耐久性を増すことで、大ヒット商品にしたわけです。
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進化系の地下足袋とは?
近年では学生服も少子化によって、繊維産業も右肩下がりになっているため、帆布や畳縁など、多様な繊維製品が製造されています。そんな中でかつての足袋の文化から、進化系の足袋も作られています。
中継では、江戸時代からの倉敷の伝統産業だった足袋の進化系の製品が紹介されるのではないかと思われますが、その中でも日本で初めて「ゴム地下足袋」を作ったという「株式会社丸五」の直売店である「MARUGO KURASHIKI」の進化系ゴム地下足袋を紹介してみます。
このお店は、倉敷で有名な観光スポットでもある「倉敷美観地区」の運河沿いにありますから、ご覧になった方も多いのではないでしょうか?
これは親指が分かれた(2本指ソックスのような)形のジョギングシューズで、走ったり歩いたりするときに、親指に力が入りやすいというものです。足袋のいいところをジョギングシューズに取り入れた感じでしょうか?他にも足首が固定されやすいハイカットタイプや、2本指靴下やストッキングなども取り揃えてあるようです。
全国の履物店や、公式サイトのオンラインショップでも扱っているようです。

MARUGO KURASHIKI
- 岡山県倉敷市中央1丁目4-13
- TEL:086-489-6948
- 営業時間:10:00~18:00
- 定休日:なし
- URL:https://marugo-wellness.jp/
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まとめ
岡山は古くから繊維産業の町だった!?
岡山県の倉敷市周辺では、干拓によって塩分に強い綿花の栽培が行われてきました。この綿を原料に、足袋などの繊維製品が製造されたという歴史があります。
倉敷で地下足袋が生まれたわけは?
地下足袋の発祥地は、一般的に岡山県倉敷市とされています。第一次世界大戦中に、日本は輸出で膨大な外貨を獲得して経済は発展し、国民生活も向上しました。しかし、当時の日本の勤労者の履物は依然「わらじ」でした。しかし、わらじでは足に十分な力が入らないため作業効率を妨げ、釘やガラスの破片を踏み抜きやすく危険でもありました。当時の賃金は日給1円程度が標準的なものだったので、わらじよりもはるかに耐久性に富むゴム底足袋に対する潜在的需要は膨大だったのです。
ゴム地下足袋の元祖はブリジストンじゃなかった!?
ゴム引き地下足袋というと、タイヤメーカーとして有名なブリジストン(旧・日本足袋)の名前が思い出されます。しかし、実はブリジストンがゴム引き地下足袋を販売する前から、既に倉敷ではゴム引き地下足袋が売られていました。福岡・久留米のブリジストンは、地下足袋の耐久性を増した製品を作って、大ヒット商品にしたわけです。
進化系の地下足袋とは?
親指が分かれた(2本指ソックスのような)形のジョギングシューズで、走ったり歩いたりするときに、親指に力が入りやすいというものです。足袋のいいところをジョギングシューズに取り入れた感じでしょうか?他にも足首が固定されやすいハイカットタイプや、2本指靴下やストッキングなども取り揃えてあるようです。
