離島の暮らしは、なぜこんなにあたたかいのか|ゴリと長濱ねるが見つめた“人が戻れる場所”

離島を案内する女性 BLOG
離島の暮らしは、遠い世界の話ではない。人が生きていく道しるべであり、そっと照らしてくれる存在かもしれない…
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年末になると、なぜか「うまく生きている人」よりも、淡々と暮らしている人の姿が心に残る。効率がいいわけでも、派手な成功があるわけでもない。それでも、家族がいて、仕事があって、集まれる場所があって、今日も一日がちゃんと終わっていく――そんな暮らしが、静かに、力強く映る。

ゴリと長濱ねるが紹介するのは、日本のいくつかの離島。そこにあったのは「理想の田舎暮らし」ではなく、役割が重なり合い、人が人を支え合って続いてきた現実の生活だった。

年の終わりにこそ、見ておきたい“ほんわか”の正体。この番組は、離島の話でありながら、きっと私たち自身の暮らしにも、そっと問いかけてくる。(放送日:12月30日・NHK-BSP4K)

暮らしが“家族単位”で回る島(熊本・湯島)

島の暮らしは、仕事と生活がきれいに分かれていない。むしろその境界線が、最初から引かれていないようにも見える。熊本・湯島で出会うのは、三女二男を育て上げた母を中心に、家族そのものが一つの“営み”として機能している姿だ。

海鮮丼の食堂は仕事場であり、家族の居場所でもある。厨房に立つことも、客を迎えることも、特別な役割分担ではなく、日常の延長として続いてきた。娘は釣り船の船頭となり、息子は島おこしを夢見ながら、今できることを一つずつ積み重ねる。「継がされた」のでも、「選ばされた」のでもない。

暮らしの中に自然に役割が生まれ、それぞれが引き受けてきた、そんな時間の重なりが、この島にはある。効率や合理性だけで見れば、もっと楽なやり方はいくらでもあるはずだ。それでもこの家族は、家族で営み、家族で支え合う形を続けてきた。

ゴリとねるが向けるまなざしは、その姿を“美談”にしようとしない。ただ、島で生きるということが、人を増やすことではなく、関係を深めることなのだと、静かに伝えてくる。

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一人が“五役”を担う島の強さ(佐賀・唐津高島)

唐津湾に浮かぶ高島は、宝くじが当たると噂される 宝当神社 で知られている。唐津の港から定期船でわずか10分。参拝客も多く、島はどこか明るく、にぎやかな表情を見せる。けれど、この島の本当の“当たり”は、観光の先にある日常のほうにある。

番組が映し出すのは、土産店、宿、カフェ、海産物の加工、そして漁業。一人の女性が、五つの役割を担いながら島を回している姿だ。忙しさを誇るわけでも、苦労を語るわけでもない。必要だからやっている。それだけのことのように、淡々と続けている。

高島では、仕事は「職業」よりも「役目」に近い。誰かがやらなければ島が回らないから、できる人が引き受ける。肩書きよりも、関係性が先にある暮らしだ。

印象的なのは、離島留学で来た小学生たちと一緒に作る魚しょう。教える人と教えられる人、大人と子どもという境界も、ここではやわらかい。島の営みの中に、自然と居場所が用意されている。

効率だけを考えれば、一人で“五足のわらじ”を履くのは無理がある。けれど高島では、それが無理ではなく、強さとして機能している。ゴリとねるが見つめるのは、頑張りすぎた姿ではなく、役割を引き受け合うことで、島が静かに持ちこたえてきた時間だ。

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毎夕の宴がつなぐ島の居場所(岡山・六島)

瀬戸内海に浮かぶ 六島 は、岡山県最南端にある小さな島だ。海は穏やかでも、本土や四国からは物理的にも心理的にも、少し距離がある。だからこそ、この島では「人が集まる理由」が、とてもはっきりしている。

毎夕、島で開かれるのが“ドラム缶会議”。名前だけ聞くと騒々しいが、実態はもっとゆるやかで、あたたかい。ドラム缶を囲み、島の人も、観光客も、そこに居合わせた人が自然と輪に入る。

決まった議題があるわけではない。島の出来事を話し、今日あったことを笑い、ときには何も決めないまま夜が終わる。それでも、この“宴”は毎日続く。

印象的なのは、この場に魅了されて島へ戻ってきた人の存在だ。かつて島を離れ、別の場所で働いていた元役員は、今では二拠点生活という形で島と関わっている。

完全に移住しなくてもいい。毎日いなくてもいい。それでも、「戻ってきてもいい場所」があるという感覚が、この島には用意されている。

六島の強さは、仕事の多さでも、役割の重なりでもない。人が人としていられる時間を、毎日きちんとつくってきたことにある。

ゴリとねるが見つめる六島は、にぎやかさよりも、居心地の良さが先に立つ島だ。離島であることは、孤立を意味しない。むしろここでは、集まる理由が暮らしの中心にある

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まとめ:離島の暮らしが教えてくれること

今回の特集で描かれた三つの島は、それぞれ条件も距離も、暮らし方も違っていた。けれど、そこに共通していたのは、「人が人として戻ってこられる場所」が、ちゃんと用意されているということだった。

熊本・湯島では、家族という単位がそのまま暮らしを支え、仕事と生活が切り離されることなく続いていた。佐賀・唐津高島では、一人がいくつもの役割を引き受けることで、島全体がしなやかに回っていた。岡山・六島では、毎夕ひらかれる宴が、島に関わる人すべての居場所になっていた。

どの島も、「理想の田舎暮らし」を見せようとはしない。不便さも、忙しさも、そのままそこにある。それでも、靴を脱ぐ場所が空けられているような、戻ってきていい空気が、暮らしの中に息づいている。

ゴリと長濱ねるが寄り添うように見つめるのは、特別な成功や劇的な変化ではない。役割を分け合い、集まれる場所を守り、今日をきちんと終わらせていく日常だ。
離島の暮らしは、遠い世界の話ではない。人が生きていくうえで、何を残し、何を手放してきたのかを、そっと照らしてくれる。年の終わりにこの番組を見て、心に残るのは、「こうでなければならない」という答えではなく、「こういう場所があってもいい」という余白なのかもしれない。

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