こんにちは鳥巣です。11月9日の23:50からのブラタモリでは、以前にも放送された「京都・大原」特集が放送されます。以前の放送では、古くから大原地区が赤紫蘇の産地だったことから、ナスやきゅうり、ミョウガなどを赤紫蘇の葉と一緒に塩漬けされた漬物です。
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しば漬けの歴史って?
しば漬けは、平安時代の後期に、壇ノ浦の合戦で我が子を失いながらも、唯一生き残った建礼門院を慰めるために、大原の名刹・三千院の僧侶・聖応大師が発案し、地元民がしそを使った漬物を献上したと伝えられています。
京都市左京区の大原地区は「赤しそ」の産地として知られています。発色や香りの評価が高く、府内外から高い需要があります。大原地区の赤しそは、800回以上繰り返し栽培されてきたことと、盆地のため地域外からの花粉の飛来がないこと、などから最も原品種に近いとされています。
あざやかな紫色にちなんで「紫葉漬け(むらさきはづけ)」と名付けられました。このような背景から、大原地区の家庭では、「しば漬け」が常備菜の定番になっています。
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若狭街道(鯖街道)が通る大原とは?
夏目漱石の小説「虞美人草」の冒頭で、主人公の宗近くんと甲野くんが、京都の街中から比叡山に登ろうと山道を歩きながら道に迷いかけているとき、「君見たようにむやみに歩行(ある)いていると若狭の国に出てしまうよ」という会話をしています。
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大原は京都と若狭の小浜を結ぶ「若狭街道」の途中にあります。京都の宝ヶ池あたりから叡山鉄道の叡山本線沿いに、叡山ケーブル方面に進み、比叡山の麓の細い川沿いの道を10kmほど進んだ先の、盆地になっているところが大原です。
やや山間部に分け入った盆地ですから、冬になれば朝晩の冷え込みは厳しいところです。しかし逆に、若狭方面から京都に向かう商人や旅人にとっては、「もうすぐ京都だ」とホッとできる場所だったのかもしれません。
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若狭から京都までは70kmほどの距離があって、かつては「鯖街道」と呼ばれたように、若狭で獲れた鯖やカレイなどの海産物を塩漬けにして、一昼夜で京都まで運んで売っていたそうです。
若狭街道はいくつかあった鯖街道の中でも、物資の輸送量が一番多かったといいますから、大原を通る人もたくさんいたのでしょう。京都から若狭に帰る商人たちも大原で「しば漬け」を買って帰ったのかもしれません。
また京都から適度に離れていたことから、平家の落人だった建礼門院も、静かな余生を送れると思ったのかもしれません。実際にはそんなに甘いものではなかったといいますが、この辺りは番組の中でも触れられていたような気がします。
昔の漫画「湘南爆走族」の中では、修学旅行で大原の三千院を訪れていましたが、私の通っていた中学校の修学旅行では、鹿苑寺・金閣や慈照寺・銀閣、二条城あたりをバスでグルっと周り、そのまま嵐山に行ってしまったので、いまだに三千院には行ったことがありません。
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大原のまとめ
しば漬けの歴史って?
京都市左京区の大原地区は古くから「赤しそ」の産地として知られており、平安時代の後期に壇ノ浦の合戦で我が子を失った建礼門院を慰めるために、大原の名刹・三千院の僧侶・聖応大師が発案し、地元民がしそを使った漬物を献上し、喜ばれたと伝えられています。
若狭街道(鯖街道)が通る大原とは?
若狭から京都までは70kmほどの距離があって、かつては「鯖街道」と呼ばれたように、若狭で獲れた鯖やカレイなどの海産物を塩漬けにして、一昼夜で京都まで運んで売っていたそうです。
若狭街道は、いくつかあった鯖街道の中でも、物資の輸送量が一番多かったといいますから、大原を通る人もたくさんいたのでしょう。また京都から適度に離れていたことから、平家の落人だった建礼門院も、静かな余生を送れると思ったのかもしれません。