北朝鮮で生まれ育ち、命がけで脱北したキム・ヨセフさん。現在は日本で暮らしながら、自身が体験した北朝鮮での生活や脱北までの道のりを語っています。
北朝鮮と聞くと、ミサイル問題や拉致問題、独裁体制など政治的なニュースを思い浮かべる人も多いかもしれません。しかし、そこには私たちと同じように家族がいて、食べることに悩み、自由を求めながら暮らしてきた人々の日常があります。
キム・ヨセフさんは、配給制度が崩れた時代の暮らし、密告社会の恐ろしさ、韓国ドラマを命がけで見ていた記憶、そして一度は失敗しながらも再び脱北を決意した経験を語っています。
この記事では、YouTube動画で語られたキム・ヨセフさんの体験をもとに、北朝鮮での生活、娯楽や言論統制、脱北までの道のり、そして万景峰号や帰国事業にもつながる日本との関わりについて紹介します。
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キム・ヨセフさんとは?北朝鮮から日本へたどり着くまで
キム・ヨセフさんは、北朝鮮で生まれ育ち、命がけの脱北を経験したあと、中国、韓国を経て現在は日本で暮らしています。現在は流ちょうな日本語で自身の体験を発信し、YouTubeなどを通じて北朝鮮での暮らしや脱北の実情を伝えています。
ヨセフさんが育った時代の北朝鮮では、深刻な経済危機と食糧不足が続き、多くの人々が厳しい生活を送っていました。父親は食糧難の混乱の中で北朝鮮を脱出し、韓国で新たな生活を始めていましたが、ヨセフさん自身は北朝鮮に残り、日々を過ごしていたといいます。
18歳頃、一度目の脱北を試みましたが、国境を越える前に拘束され、厳しい取り調べや拷問を受けることになりました。それでも「このまま北朝鮮で人生を終えるくらいなら、もう一度自由を目指そう」と決意し、再び脱北に挑戦。二度目は多くの人の助けを受けながら国境を越え、中国を経由して韓国へたどり着くことができました。
脱北には多額の費用が必要だったとされ、その資金は韓国で暮らしていた父親の支えによって用意されたそうです。そして韓国で生活したのち、約11年前に来日。現在は日本を拠点に活動し、自らが体験した北朝鮮での日常や脱北の実情を、できるだけ多くの人へ伝え続けています。
キム・ヨセフさんの体験は、ニュースだけではなかなか知ることのできない「北朝鮮で暮らす一人の人間の視点」です。だからこそ、その言葉には、私たちが知らない現実を考えるきっかけが詰まっているのかもしれません。
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北朝鮮での暮らしはどんな生活だった?
キム・ヨセフさんの話で特に印象的だったのは、北朝鮮での暮らしが「自分で働いて給料をもらい、好きなものを買う」という日本の感覚とは大きく違っていたことです。
北朝鮮では、基本的に住む家や食料、衣服などは国から支給される仕組みだったといいます。仕事をしても日本のように十分な給料がもらえるわけではなく、ヨセフさんの話では、一日働いても数円程度にしかならないような金額だったそうです。
そのため、子どもの頃から「自分でお金を稼いで、好きなものを選んで買う」という感覚はほとんどなかったと語っています。生活に必要なものは国から与えられるものであり、個人が自由に選ぶ余地はとても限られていたようです。ですから「ショッピング」という概念も脱北してから知ったのだと言います。
一方で、北朝鮮にも「チャンマダン」と呼ばれる市場のような場所があり、そこで物を買うこともできたといいます。ただし、十分な収入がない一般の人々にとって、自由に買い物を楽しむというより、生きるために必要な調味料などのものを何とか手に入れる場所だったのかもしれません。
さらに、1990年代から2000年代にかけては食糧配給制度が崩れ、多くの人が飢えに苦しむ時代もあったと語られています。ヨセフさんの話では、この時期に数百万人もの非常に多くの人が餓死したとされ、北朝鮮の一般の人々にとって、食べることそのものが大きな問題だったことがうかがえます。キムさんのお父さんもこの時のどさくさで脱北したと思われます。
もちろん、北朝鮮のすべての人が同じ生活をしていたわけではありません。平壌で暮らす政府関係者や特権層の生活は、一般の国民とは大きく異なっていた可能性があります。しかし、ヨセフさんの体験は、少なくとも地方や一般庶民の暮らしを知るうえで、非常に貴重な証言といえるでしょう。
ニュースでは見えにくい北朝鮮の現実は、こうした一人の生活の記憶の中にこそ、はっきりと残されているのかもしれません。
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韓国ドラマや日本の映像は命がけの娯楽だった
キム・ヨセフさんの話の中で、特に日本の若い世代が驚きそうなのが、北朝鮮での娯楽やメディア事情です。
現在の日本では、スマホがあればYouTubeやドラマ、映画、ゲームなどをすぐに楽しむことができます。しかし、ヨセフさんが暮らしていた頃の北朝鮮では、スマホはなく、自由にインターネットへ接続することもできませんでした。テレビも一家に1台あるかないかという状況で、映像を楽しむこと自体が限られたものでした。
韓国ドラマは言葉が通じるため、北朝鮮でも密かに人気があったといいます。しかし、政府が許可していない海外の映像を見ることは非常に危険な行為でした。見ていたことが密告されたり、秘密警察に知られたりすれば、投獄や死刑・拷問などの厳しい処罰につながる可能性があったそうです。
それでも人々は、外の世界を知りたいという思いから、非合法に持ち込まれたビデオをこっそり見ていたといいます。ヨセフさんも、再生機器を持っている元在日朝鮮人帰国者の家へ行き、友人たちと秘密で韓国ドラマや海外の映像を見せてもらったことがあったそうです。そこには、見つからないように息をひそめながら楽しむ、命がけに近い娯楽の現実がありました。
また、ゲームについても、日本のように家庭用ゲーム機やスマホで遊ぶ環境はほとんどありませんでした。そもそもゲームをするための機械が身近になく、「動画を見る」「ゲームで遊ぶ」という日常的な楽しみは、北朝鮮の一般の人々にとって遠い世界のものだったようです。
日本では、好きな動画を見ることも、ゲームで遊ぶことも、ごく普通のことです。しかしヨセフさんの体験からは、娯楽ですら自由ではなく、外の世界を知ることが危険と隣り合わせだった北朝鮮の現実が見えてきます。
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「昼に言ったことは鳥が聞き、夜に話したことはネズミが聞く」密告社会とは?
キム・ヨセフさんの話の中で、北朝鮮の暮らしを象徴する言葉として印象的だったのが、「昼に言ったことは鳥が聞き、夜に話したことはネズミが聞く」ということわざです。
これは、どこで誰が聞いているかわからないという密告社会の怖さを表した言葉だといいます。家の中で話したこと、友人との何気ない会話、冗談のつもりで口にした言葉であっても、それが誰かに密告されれば、大きな問題になる可能性がありました。
特に、政治体制への批判や最高指導者への批判は、絶対に口にしてはいけない言葉だったと語られています。キム総書記や政府に対する否定的な発言は、たとえ軽い気持ちや間違いで言ったものであっても、大きな罪として扱われる可能性があったそうです。
また、北朝鮮では秘密警察のような存在だけでなく、一般の人々の中にも情報を伝える役割を持つ人がいるとされ、家族の中でさえ誰が監視する側なのか分からない不安が日常にあったといいます。そのため、人々は本音を話すことを避け、家族や親しい相手の前でも言葉を選びながら暮らしていたのかもしれません。
日本でも戦前・戦中には、特高警察や憲兵が、思想や発言を取り締まりの対象とした時代がありました。しかし、現在の日本では、政治について意見を言ったり、政府を批判したりすることは基本的に自由です。だからこそ、ヨセフさんが語る「言葉を口にするだけで危険になる社会」は、今の私たちには想像しにくい現実でもあります。
北朝鮮での暮らしの怖さは、食料不足や貧しさだけではありません。自分の考えを自由に話せないこと、誰かに聞かれているかもしれないと常に警戒しなければならないこと。そうした見えない緊張感もまた、普通の人々の日常を大きく縛っていたのではないでしょうか。
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日本やアメリカ、韓国はどのように教えられていた?万景峰号や帰国事業にも触れる
キム・ヨセフさんの話では、北朝鮮では海外の情報が自由に入ってくることはほとんどなく、日本やアメリカ、韓国についても、国の教育や報道を通して限られた形で伝えられていたといいます。
特にアメリカについては、朝鮮戦争で北朝鮮と敵対した国として教えられ、「悪い国」というイメージを持たされていたそうです。教科書などでは、アメリカ人が大きな鼻を持つオオカミのような存在として描かれることもあり、実際に外国人を見る機会の少ない人々は、そのイメージをそのまま信じていたと語られています。
日本についても、過去に朝鮮半島を植民地支配した国として、否定的に教えられることが多かったようです。また韓国は、アメリカの手先として影響を受けた「敵」として扱われ、信じてはいけない存在のように教えられていたといいます。
一方で、ヨセフさんが日本に関心を持つきっかけの一つになったのが、北朝鮮に渡った在日朝鮮人の存在でした。かつて日本から北朝鮮へ向かった帰国事業では、多くの在日朝鮮人やその家族が海を渡りました。その人たちの中には、日本にいる知人や親族からお金や物資を送ってもらっている人もいて、ヨセフさんの周囲では「在日=お金持ち」という印象もあったそうです。
新潟と北朝鮮を結んでいた万景峰号も、こうした日本と北朝鮮の関係を象徴する存在の一つでした。帰国事業や在日朝鮮人の歴史、そしてその後の日本との関係を考えると、北朝鮮は印象として遠い国でありながら、日本とも決して無関係ではなかったことがわかります。
もちろん、北朝鮮をめぐっては拉致問題をはじめ、今も解決されていない深刻な問題があります。その一方で、ヨセフさんのように、北朝鮮という国の中で自由を知らずに生きてきた普通の人々がいることも忘れてはいけません。
国家や体制の問題と、そこで暮らす一人ひとりの人生は同じではありません。キム・ヨセフさんの体験を通して見えてくるのは、ニュースの向こう側にある、北朝鮮の人々の暮らしと、自由を求める切実な思いなのかもしれません。
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まとめ
今回は、脱北者キム・ヨセフさんが語った北朝鮮での生活や、命がけの脱北体験についてご紹介しました。北朝鮮という国については、ミサイル問題や拉致問題、独裁体制など、政治的なニュースとして語られることが多くあります。もちろん、それらは決して軽く扱ってよい問題ではありません。
しかし同時に、その国の中には、食べることに苦しみ、自由に話すこともできず、外の世界を知ることさえ危険と隣り合わせだった普通の人々が暮らしていることも忘れてはいけないのではないでしょうか。
キム・ヨセフさんの体験談から見えてくるのは、政治体制の大きな問題だけでなく、その中で生きてきた一人ひとりの人生です。配給制度、密告社会、命がけの娯楽、そして自由を求めて命がけで国を出る決断。そのどれもが、私たちの暮らしとは大きく異なる現実を伝えています。
一方で、こうした証言や海外情勢については、断片的な情報や憶測だけで判断するのではなく、できるだけ冷静に受け止めることも大切です。国家や体制に対しては毅然とした視点を持ちながらも、そこで暮らす人々の苦しみや人生には、静かに目を向けていきたいものです。
ニュースの向こう側にいるのは、名前のある一人の人間です。キム・ヨセフさんの言葉は、私たちが北朝鮮という国を考えるとき、政治だけでは見えない「暮らし」と「自由の重さ」を知るきっかけになるのかもしれません。