2025年12月31日放送の美の壺「国宝」スペシャルは、日本に伝わる“国宝”を、ただの名品としてではなく、人の手で守り、受け継がれてきた「時間の集積」として描き出す90分です。
志野の名茶碗、聖なる刀剣、弘法大師空海ゆかりの巨大曼荼羅。そして、それらを支える森や職人たち。この回では、国宝の輝きの裏側にある知られざる営みと、未来へつなぐための技に光が当てられます。
(放送日:2025年12月31日(水)15:20 -16:49・NHK BSP4K)
刀剣と神話(信仰としての国宝)
国宝としての刀剣は、美術品である以前に、信仰の対象として存在してきました。日本神話に登場する草薙剣に象徴されるように、刀は「武器」であると同時に、神の力を宿すもの、人と神をつなぐ依り代として語り継がれてきた存在です。
日本神話では、三種の神器のひとつである草薙剣(くさなぎのつるぎ)が、天皇の正統性を象徴する神宝として語り継がれてきました。この剣は単なる武器ではなく、神の力を宿し、国や人々を守る存在として信仰の対象となってきたものです。
番組では、そうした神話や信仰の背景を踏まえながら、国宝に指定された刀剣がなぜ特別な意味を持ち続けてきたのかを丁寧にひもといていきます。刃文の美しさや造形の完成度だけではなく、長い年月の中で、祈りや畏れとともに守られてきた歴史。それこそが、刀剣を「国宝」たらしめている理由だと伝わってきます。
ここで描かれる国宝は、展示ケースの中にある静かな名品ではありません。人々の心の中で生き続け、語り継がれてきた物語そのものです。
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志野の名茶碗(大地と陶工)
志野の名茶碗が語りかけてくるのは、華やかさや技巧の誇示ではありません。そこにあるのは、日本の大地と、人の手が出会った痕跡です。
やわらかな白釉の下に透ける土の表情、歪みや揺らぎを残したかたち。それらは偶然の産物ではなく、土と向き合い、火と対話してきた陶工の経験が生んだものです。
番組では、志野の茶碗を「名品」として切り取るのではなく、その背景にある土が採れた土地、焼かれた窯、作り手の感覚へと視線を広げていきます。
完成された美の裏には、何度も失敗を重ね、思い通りにならない素材と向き合ってきた時間がある。志野の茶碗は、そうした人の営みそのものを抱え込んで、今に残されてきた国宝なのだと伝わってきます。

刀剣が信仰と物語を宿してきた存在だとすれば、志野の茶碗は、大地と暮らしの延長線にある国宝。ここで一度、国宝という存在が、ぐっと私たちの足元に引き寄せられます。
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巨大曼荼羅の修理(見えない仕事)
番組で密着するのは、弘法大師空海ゆかりの巨大な曼荼羅の修理現場です。
曼荼羅は、仏の世界や宇宙の成り立ちを、誰にでも目で理解できるよう描いた宗教画。言葉では伝えきれない教えを、絵として差し出す——そこには、見る人に寄り添おうとする強い意志があります。
その曼荼羅を未来へ伝えるために行われる修理は、決して派手な作業ではありません。色を足しすぎることもなく、新しく描き直すこともせず、「壊さず、変えず、そっと支える」ことが求められます。
番組では、表に出ることのない修復の工程や、わずかな違和感も見逃さない職人の目と手が映し出されます。完成した姿だけを見ていては気づかない、気の遠くなるような積み重ねが、一枚の曼荼羅を支えているのです。
信仰の世界を分かりやすく示すために描かれた曼荼羅が、今度は、見えない人の仕事によって守られている。その重なりこそが、国宝という存在の本質なのかもしれません。
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まとめ|国宝という“文化のバトンリレー”
美の壺の「国宝」スペシャルは、名品を並べて価値を語る番組ではありません。草薙剣神話に象徴される信仰としての刀剣、大地と人の手が生んだ志野の名茶碗、そして、未来へ渡すために静かに手を添え続ける巨大曼荼羅の修理。
それぞれに共通しているのは、「残そう」と強く主張することではなく、受け継ぐために手をかけ続ける行為でした。国宝とは、過去の栄光を飾るものではなく、人から人へ、時代から時代へと渡されていく壮大な文化のバトンリレー。
そのバトンを、目立たない場所で支えてきた人たちの存在に目を向けたとき、国宝は、ぐっと私たちの暮らしの近くに感じられるようになります。静かで、深くて、あたたかい。年の終わりにふさわしい、“美”と向き合う90分です。