鎌倉の開運スポットってどこ?長谷の巳年関連神社は蛇神様を祀る銭洗弁天?!【帰れマンデー】

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こんにちは鳥巣です。1/27の帰れマンデーでは湘南の江の島・鎌倉の開運スポットを巡る旅が特集されるようです。子供のころは鎌倉・藤沢で育ったので江の島や鎌倉には毎週のように行っていましたが、子供のころは神社仏閣にほとんど興味がなかったので、江の島の岩屋に行っても「帰りの階段がかったるいな」と思うだけでなんの思い入れもありませんでした。

江島神社の発祥は”裏江の島”の岩屋?!

江の島といえば橋を渡ってそのまままっすぐ進むと江島神社に突き当たります。ここでお参りをして帰る方がほとんどですが、江の島の魅力はここから先にもたくさんあります。

山の上まで階段を上るのが億劫だという方には「エスカー」という有料エスカレータもあります。これは50年前にも既にありましたが、いつも親から「子供は歩け!」と言われて泣く泣く歩いていた覚えがあります。

頂上まで行くと灯台や植物園もあって、最近ではクリスマスイルミネーションなどもやっているようです(自宅のベランダからも見えます)。以前は灯台然とした灯台だったのですが、いつの間にかお洒落なタワーに建て替えられていました。

新旧の江の島灯台(出典:江ノ島電鉄)
新旧の江の島灯台(出典:江ノ島電鉄)

灯台の横を通り過ぎると山を下って江の島の裏側(相模湾側)に降りていく階段になります。この階段を下り切ったところに「岩屋」と呼ばれている洞窟があります。

岩屋(出典:yoritomo-japan.com)
岩屋(出典:yoritomo-japan.com)

これは波の浸食作用によってできた洞窟で、一時は崩落のために立ち入り禁止になっていましたが、先日久しぶりに訪れた際には綺麗に修復されて公開されていました。

弘法大師や日蓮が修行したといわれています。第一岩屋(奥行152m)と第二岩屋(奥行56m)の二つの洞窟から成っていて、江の島弁財天信仰の発祥の地と考えられているそうです。1182年(養和2年)には、源頼朝が奥州平泉の藤原秀衡征伐を祈願したと伝えられています。子供のころには、「この洞窟は富士山麓の洞窟と繋がっている」という都市伝説もありました(笑)

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銭洗弁天は宇賀神(蛇神)様を祀っている神社?!

宇賀神(うがじん)様は、福徳や財運、知恵、五穀豊穣などの御利益をもたらす神様で、食物神や農業神とも呼ばれます。弁財天と同一視されることも多く、有名なところでは上野公園・不忍池にある弁天堂でも祀られています。

頭の上に宇賀神(頭は白髪の老人や若い女性、胴体は蛇がとぐろを巻いている像)が乗った「宇賀弁財天」と呼ばれる像もあります。鎌倉の銭洗弁天は正式には、「銭洗弁財天宇賀福神社」と言われていて、こちらでも宇賀神様が祀られています。

長谷寺の裏側の素掘りのトンネルのその奥には有名な銭洗弁天がありますが、その横には弘法大師が籠って祈願をした洞窟だと伝えられている「弁天窟」と呼ばれる洞窟があります。

洞窟の壁面には弁財天とその従者である十六童子が彫られていて、また、入り口近くには弁財天と同じ神様とされている宇賀神(人頭蛇身)が祀られています。もちろん開運像に自分の名前を刻むなんてことが出来るはずもありません(苦笑)

弁天窟(出典:そらいろネット)
弁天窟(出典:そらいろネット)

銭洗弁天には、お守りではありませんが、巳年限定の根付け(着物の帯に挟んで印籠などを持ち歩くためのもの)が置かれているようです。巳年限定のお守りは分かりませんでした。巳年限定の白蛇の根付けは、小判の穴から中を覗くと銭洗弁財天の写真が見られるようになっているのだそうです。

白蛇の根付け(出典:鎌倉まめヴィアージュ)
白蛇の根付け(出典:鎌倉まめヴィアージュ)

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巳年限定の御守りは葛原岡神社?

葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)は、銭洗弁天のさらに奥にある山の上にあります。

葛原岡神社は後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基(ひのとしもと)卿をお祀りする神社です。俊基卿は大変有能な人物であったので、後醍醐天皇から見出されて、優秀な側近として活躍されました。

当時、鎌倉幕府は悪政を続けていて、後醍醐天皇は政治を正しい姿へと導くために、幕府を打倒する決意を固め、計画を練りました。その計画が鎌倉幕府に知られ、幕府の手によって鎌倉の葛原岡にて悲劇の最期を迎えました。

その間、後醍醐天皇による幕府打倒計画は着々と進められ、楠木正成、新田義貞らの活躍により、約一年後の元弘三(1333)年、ついに鎌倉幕府は滅亡しました。そんな鎌倉幕府の敵でもあった日野俊基卿を祀る神社ですから、このような山奥に追いやられたのかもしれません。葛原岡神社は、開運・学問・縁結びにご利益があるとされています。

縁結び石(出典:鎌倉寺社めぐり)
縁結び石(出典:鎌倉寺社めぐり)

しかしここでも巳年限定のお守りは見つけられませんでした。

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まとめ

江島神社の発祥は”裏江の島”の岩屋?!

江の島といえば橋を渡ってそのまままっすぐ進むと江島神社に突き当たります。江島神社脇の石段を登っていくと山頂の灯台にたどり着きます。灯台の横を通り過ぎると山を下って江の島の裏側に降りていく階段になりますが、この階段を下り切ったところに「岩屋」と呼ばれている洞窟があります。弘法大師や日蓮上人が修行したといわれていて、江の島弁財天信仰の発祥の地と考えられているそうです。

銭洗弁天は宇賀神(蛇神)様を祀っている神社?!

銭洗弁天は正式には、「銭洗弁財天宇賀福神社」と言われていて、こちらには宇賀神様が祀られています。長谷寺の裏側の素掘りのトンネルのその奥に有名な銭洗弁天がありますが、その横には弘法大師が籠って祈願をした洞窟だと伝えられている「弁天窟」と呼ばれる洞窟があります。洞窟の壁面には弁財天とその従者である十六童子が彫られています。また、入り口近くには弁財天と同じ神様とされている宇賀神(人頭蛇身)が祀られています。

巳年限定の御守りは葛原岡神社?

葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)は、銭洗弁天のさらに奥にある山の上にあります。葛原岡神社は後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基(ひのとしもと)卿をお祀りする神社です。葛原岡神社は、開運・学問・縁結びにご利益があるとされていますが、巳年限定の開運御守りは分かりませんでした。

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