嬉野の肥前吉田焼は有田焼と違うの?歴史は?有田焼とは値段も違うの?【あさイチ】

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こんにちは鳥巣です。4/17のあさイチでは佐賀県嬉野から「肥前吉田焼」が中継されるようです。佐賀県北部の伊万里から有田、嬉野、波佐見あたりには江戸時代から続く焼き物(磁器)の産地があります。肥前吉田焼というのは知らなかったので調べてみました。

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伊万里焼と有田焼は同じなの?

有田焼(ありたやき)も伊万里焼(いまりやき)も、かつては肥前国(佐賀・長崎にまたがる地域)領内で焼かれていた焼き物で、江戸時代は区別なく肥前焼と呼ばれていました。

しかし今ではその地域が有田町と伊万里市に分かれているため、それぞれの名前をとって有田町の磁器が有田焼、伊万里市の磁器が伊万里焼と呼ばれています。

伊万里焼は、有田を中心とする地域で生産された磁器の総称です。製品の主な積み出し港が伊万里であったことから、消費地では「伊万里焼」と呼ばれました。有田の製品のほか、三川内焼、波佐見焼、鍋島焼なども含まれます。

Googleマップより
Googleマップより

江戸時代に生まれた肥前吉田焼もこの中に含まれると思われますが、吉田焼を「伊万里焼」と思う人は少ないと思います。私は焼き物に詳しくないので、普通に「伊万里焼」「有田焼」というときには、こんな感じで思い浮かべています。

古伊万里(1,320,000円税込)(有田焼・JTOPIAサイトより)
古伊万里(1,320,000円税込)(有田焼・JTOPIAサイトより)
有田焼(13,200円税込)(「まるぶん」サイトより)
有田焼(13,200円税込)(「まるぶん」サイトより)

古伊万里も有田焼の一種ですが色彩が派手ですね。この認識が合っているのかどうかはわかりませんので、こんな見方もあるということで考えていただければと思います。そんな中で現在の肥前吉田焼を見てみると、

肥前吉田焼(1,100円)(肥前吉田焼直販ショップより)
肥前吉田焼(1,100円)(肥前吉田焼直販ショップより)

というような湯呑みがあったりします。値段の桁が1つずつ違ったりしますがそれで勝ちが決まるものではありませんので悪しからず。

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肥前吉田焼の歴史は?

諸説ありますが、有田焼の歴史は戦国時代に豊臣秀吉の朝鮮出兵で、半島から九州に渡ってきた朝鮮出身の李参平(日本名:金ヶ江三兵衛)が、有田の泉山で磁器の原料となる陶石を発見して、1616年に有田東部の天狗谷窯で磁器焼造を始めたとされています。

この泉山で採掘された陶石(磁石・じせき)で、日本で初めて磁器の大量生産に成功しました。この磁器は国内諸大名などの賞賛を浴び、欧州各地の人々をも魅了し、有田焼400年の歴史を支え続けたといいます。

現在、ここでの採掘はほとんどなくなり、熊本県・天草の陶石などを使って、有田焼や肥前吉田焼は作られています。

泉山磁石(じせき)場(「中川正七商店の読みもの」より)
泉山磁石(じせき)場(「中川正七商店の読みもの」より)

肥前吉田焼(ひぜんよしだやき)は佐賀県嬉野市で焼かれている江戸時代から続く磁器です。

朝鮮出兵の際に多くの朝鮮陶工を連れ帰った佐賀県藩主の鍋島直茂は、1598年(慶長3年)に、そのうちのひとりを吉田へ送り、陶磁器を作らせました。

江戸時代後期(1801~1804年)に入るとさらに事業は拡大し、食器などの生活雑器を中心に肥前吉田焼は繁栄します。嬉野で最初の磁器は吉田で作られました。一般的には有田からは40年ほど遅れると言われています。

肥前吉田焼は古くから生活向けの食器類を焼いてきていて、確立されたスタイルは存在しません。 窯元によって伝統的な青磁から現代的なデザイン、伝承や物語をあしらった意匠のものなど様々で非常に自由な作風を持った陶磁器といえます。 また作品も湯呑み、茶碗、酒器からコーヒーカップ、花瓶まで幅広いのも特徴です。

肥前吉田焼窯元会館では、各窯元の代表的な作品を展示・販売したり、やきもの体験教室が開催されたりしています。また「えくぼとほくろ」も販売しています。

「えくぼ」は業界用語で、製造過程でどうしても発生してしまうピンホール(えくぼ)や、生地や釉薬に含まれる鉄分による黒点(ほくろ)について理解して購入できる直営ショップもあります。

また公式サイトにはオンラインショップもあって、各窯元の作品を購入できるようです。

肥前吉田焼窯元会館

佐賀県嬉野市嬉野町大字吉田丁4525-1
TEL:0954-43-9411
営業時間:8:30~16:30
定休日:年末年始
URL:https://yoshidayaki.jp/

肥前吉田焼
肥前吉田焼
肥前吉田焼

肥前吉田焼によく見られる昭和レトロを象徴するような水玉模様の湯呑みや土瓶ですが、実は私が子供の頃、横須賀のローカルデパート「さいか屋」の大食堂に山のように置かれていたものによく似ています。もしかしたらアレも肥前吉田焼だったのかもしれません。

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肥前吉田焼のまとめ

伊万里焼と有田焼は同じなの?

有田焼(ありたやき)も伊万里焼(いまりやき)も、かつては肥前国(佐賀・長崎にまたがる地域)領内で焼かれていた焼き物で、江戸時代は区別なく肥前焼と呼ばれていました。 しかし今ではその地域が有田町と伊万里市に分かれているため、それぞれの名前をとって有田町の磁器が有田焼、伊万里市の磁器が伊万里焼と呼ばれています。

肥前吉田焼の歴史は?

朝鮮出兵の際に多くの朝鮮陶工を連れ帰った佐賀県藩主の鍋島直茂は、1598年(慶長3年)に、そのうちのひとりを吉田へ送り、陶磁器を作らせました。

江戸時代後期になるとさらに事業は拡大し、食器などの生活雑器を中心に肥前吉田焼は繁栄します。嬉野で最初の磁器は吉田で作られました。一般的には有田からは40年ほど遅れるといわれています。

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