富山県東部に連なる立山連峰。その山は古くから、「地獄と極楽が同じ場所にある」と信じられてきた。噴気が立ちのぼる地獄谷。剣のように鋭い岩峰。そして主峰・雄山は極楽浄土の象徴とされた。
荒々しい自然と、救いを求める祈り。相反するように見える二つの世界が、ひとつの山に重なっている。江戸時代には「一度登れば極楽往生できる」と語られ、多くの参拝者が山を目指した。
その信仰を支えたのが、麓の集落・芦峅寺の人びとである。近代化の波に押され、立山信仰は次第に衰えた。それでも初夏、登山客が集い始めるころ、山に寄り添い暮らす人びとの物語は静かに息づいている。
地獄と極楽は、本当に同じ山にあるのだろうか? 立山が映し出すのは、自然の厳しさだけではない。人が山に託してきた祈りのかたちでもある。
【放送日:2026年2月23日(月)6:30 -7:15・NHK-BS】
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なぜ立山は“地獄と極楽”と呼ばれたのか?
立山に足を踏み入れると、まず感じるのは荒々しさだ。地獄谷。白い噴気が立ちのぼり、硫黄の匂いが漂う。岩肌はむき出しで、植物もまばら。火山活動によって生まれたこの光景は、古代の人びとにとって“この世のものではない場所”に映った。噴き出す蒸気。煮え立つような地面。命を拒むような景色。そこに「地獄」を見たのは、自然なことだ。
一方で、主峰・雄山。晴れた日に山頂から見渡す景色は、雲海の上に浮かぶような静寂。白い雪渓と青空。澄んだ空気。こちらには「極楽浄土」のイメージが重ねられた。
同じ山域に、恐怖と救いが共存する。これは偶然ではない。山は、人間の力を超えている。だからこそ、そこに死後の世界を重ねる発想が生まれた。
立山は、ただ高い山だったのではない。火山のエネルギーと、天上のような景観を同時に持っていた。地獄と極楽。相反する二つの概念が、一つの山に重なった。その二重性こそが、立山信仰の出発点だったのかもしれない。
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江戸時代の立山参り──“一度登れば極楽往生”の意味とは?
江戸時代、立山は単なる名山ではなかった。
「一度登れば極楽往生できる」
そう語られ、多くの人びとが参拝を目指した。いまのように舗装された登山道も、ロープウェイもない。道は険しく、天候は急変する。まさに命がけの巡礼だった。それでも人は山へ向かった。なぜか? 当時の人びとにとって、立山は“あの世とこの世の境界”だったからだ。
地獄谷は死後の裁きの場。山頂は極楽浄土への入り口。山を登ることは、疑似的に“死後の世界”を体験することでもあった。険しい道を進み、汗を流し、恐怖と向き合う。それ自体が“浄化”の儀式だったのかもしれない。
また、立山信仰は修験道や浄土思想とも結びついていた。山岳信仰と仏教が重なり、立山は宗教的な聖地となっていく。江戸の人びとは、観光ではなく、救いを求めて登った。立山参りは、“登山”ではなく“祈り”だったのだ。
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芦峅寺という信仰の拠点──山を支えた人びと
立山信仰を全国に広めたのは、麓の集落・芦峅寺(あしくらじ)の人びとだった。彼らは単なる山の住民ではない。布教を担い、参拝者を導き、宿を提供し、祈りを仲介する役割を果たした。いわば、立山と世間をつなぐ“橋”。
江戸時代、芦峅寺の人びとは各地へ赴き、立山信仰を広めた。ここで思い出すのが、伊勢や富士の御師(おし/おんし)文化。実際、立山にも同様に、参拝者を世話する役割の家が存在していた。
山に登る前の祈祷。宿坊での宿泊。山中での案内。立山参りは、芦峅寺の人びとの働きなしには成立しなかった。つまり、信仰は自然発生ではない。山という圧倒的な自然を、“物語”として社会に届けた人びとがいた。
立山は聖地だった。でも同時に、生活の場でもあった。近代化の波で信仰は衰えた。しかし芦峅寺の人びとは、先祖が守ってきた文化を今も静かに受け継いでいる。山はそこにある。だが山だけでは信仰にならない。人がいて、初めて聖地になる。
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近代化と衰退──立山信仰はなぜ弱まったのか?
明治以降、日本社会は急速に変わった。鉄道が敷かれ、山岳地帯にも交通網が伸びる。教育制度が整い、科学的世界観が広がる。さらに明治政府は、神仏分離政策を進めた。修験道や山岳信仰は大きな影響を受ける。立山も例外ではなかった。
それまで一体化していた仏教的要素と山岳信仰は分断され、信仰の構造そのものが揺らいだ。そしてもう一つの変化。山は“修行の場”から“観光の場”へと意味を変えていく。かつては命がけで登った山に、やがて観光客が訪れる。ロープウェイが整備され、山はアクセス可能な景勝地になる。
すると何が起きるか。「登れば極楽往生」という切迫した動機は、薄れていく。でもね、「人が信仰を捨てた」、というより、“救いの形が変わった”と考えたほうが近い。
科学が発達し、医療が整い、社会保障が広がる。死後の保証より、現世の安定を求める社会へ。それは神を否定したのではなく、不安の質が変わったということ。
それでも、山は残った。地獄谷の噴気は止まらない。雄山の風景も変わらない。信仰が衰退しても、自然の二重性は消えない。だから今も、山に何かを感じる人はいる。
信仰は“制度”としては弱まった。でも“感覚”としては消えていない。立山は、観光地になってもなお、どこかで地獄と極楽を抱え続けている。
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それでも山は残る──初夏、立山に寄り添う暮らし
近代化の波を受け、立山信仰はかつての姿を失った。巡礼の列も、御師の往来も、いまはない。けれど山は変わらず、そこにある。
初夏。雪渓がまだ白く残るころ、立山には登山客が集い始める。かつては極楽往生を願って登った山。いまは景色を求めて登る人が多い。だが、芦峅寺の人びとの暮らしには、いまも山への敬意が息づいている。古い資料を守り、行事を続け、先祖が語り継いできた物語を手放さない。
山は観光地になったかもしれない。それでも、ただの風景にはならない。地獄谷の噴気を見れば、自然の力を思い出す。雄山に立てば、なぜここに極楽を重ねたのか、少しだけわかる気がする。
信仰は形を変えた。だが、山に対する“姿勢”は消えていない。立山に寄り添って生きる人びとの暮らしは、そのことを静かに教えてくれる。
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地獄と極楽は同じ場所にある?──立山が映す人間の祈り
地獄谷の噴気を前にすれば、自然の力は人間を圧倒する。雄山の頂から雲海を見渡せば、世界は静まり返る。同じ山に、恐れと安らぎがある。それは輪廻転生の教えそのものというより、人が自然の中に“死”と“救い”の両方を見出した証だ。
生きることは、不安と隣り合わせ。だからこそ人は、どこかに極楽を求める。しかしその極楽は、地獄の向こう側にしかない。立山は、それを地形で示している。
荒々しい岩峰。硫黄の匂い。険しい道の先に、静かな頂。江戸の巡礼者も、現代の登山者も、山に向き合うとき、ほんの少しだけ自分を見つめる。信仰が制度として衰えても、祈りは消えない。地獄と極楽は、遠い世界の話ではない。
自然の中にも、そして私たちの内側にも、同時に存在している。立山は、それを映す鏡のような山なのかもしれない。