こんにちは鳥巣です。5/19の帰れマンデーのゴールは、箱根の巨石温泉宿のようです。箱根は、地元ということもありますが、学生時代に車の免許を取って以来、何百回も走り回ってきました。その中でも”巨石”、”温泉宿”といったら、思いつくところはたぶんここしかないと思います。
箱根の巨石の中にある謎の温泉宿とは?
これは箱根・塔ノ沢温泉にある「紫雲荘」でしょう。お正月に行われる”箱根駅伝”のコースでもある国道1号線沿いにあって、箱根湯本からちょっと走ったところにある、「箱根七湯」の一つで、江戸時代から知られた箱根の温泉地、塔之沢温泉にあります。
箱根の玄関口でもある箱根湯本駅からは1kmほどの場所ですが、国道1号からは入口にある巨石と、それに穿たれた洞窟と門が見えます。ただ登山電車は、川向こうを通っているので巨石は見えませんし、広くもない国道からは一瞬で通り過ぎてしまうので、気づかない方も多いかもしれません。

まだ小学校に上がる前にはスバルのR360(軽自動車)の窓から眺めては、「あの入口の先には何があるんだろう?」といつも不思議に思っていたことが思い出されます。たぶんその頃はまだホテルになっておらず、鶴彦翁大蔵男爵だった大倉喜八郎氏の別邸跡地だったのだと思われます。

結局、この歳になるまで一度もこのホテルには泊ったことがなく、謎ばかりが深まっていました。もっとも箱根は家から車で30分ほどなので、わざわざ泊まりに行くところではありませんでした。
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江戸時代から続く「紫雲荘」の歴史とは?
箱根・塔ノ沢温泉の「巨大岩」とは、一般的に「勝驪山(しょうりざん)」と呼ばれて、箱根のシンボル的な岩山を指すそうです。この岩山は、紫雲荘の入口にそびえ立っていて、江戸時代の浮世絵にも描かれるほどの場所です。

恐らく画面左側に描かれている岩山が、熊野神社が祀られていた「勝驪山(しょうりざん)」です。手前にある橋は、今でも国道1号に残っている「玉の緒橋」です。たぶん橋の向うの右側に建っているのが「一の湯旅館」だと思われます。
ただ車でこの橋に差し掛かると、塔ノ沢温泉で1630年創業、400年近い歴史を刻み、国の登録有形文化財にも登録されている、木造4階数寄屋造りの「一の湯」本館の威容が見えるので、それに目を奪われて巨石を見逃してしまう方も多いのではないでしょうか?
勝驪山(しょうりざん)という名前は、江戸時代の初期に、かの徳川光圀(水戸黄門)が明国の儒学者であった朱舜水(しゅすんすい)を伴って塔ノ沢を訪れた際に、この地の風景について舜水が「唐の玄宗皇帝が離宮を立てた温泉場である驪山(りざん)より優れた所である」と絶賛したことから、勝驪山と名付けられたと言われています。
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鶴彦翁大蔵男爵の元別邸跡地に建つ紫雲荘ですが、鶴彦翁大蔵男爵(大倉喜八郎氏)は、明治・大正期に貿易や建設、化学や製鉄などの企業を数多く興した日本の実業家です。中堅財閥である大倉財閥の設立者で、鹿鳴館や帝国ホテル・帝国劇場などを設立しました。紫雲荘の内部には、「鶴彦」の名にちなんで、天井には鶴のシャンデリアが美しく輝いています。そのようなことから別名鶴井の宿(かくいのやど)とも呼ばれているそうです。

紫雲荘
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箱根湯本から宮ノ下温泉に至るこの道沿いには、大平台温泉、堂ヶ島温泉などの古湯もあって、堂ヶ島温泉の「晴遊閣大和屋ホテル」には、利用客専用の「夢のゴンドラ」があって、何十年も前から有名だったのですが、残念ながら2013年に大和屋ホテルは廃業してしまい、夢のゴンドラも撤去されてしまいました。

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まとめ
箱根の巨石の中にある謎の温泉宿とは?
これは箱根・塔ノ沢温泉にある「紫雲荘」でしょう。お正月にやる”箱根駅伝”のコースでもある国道1号線沿いにあって、箱根湯本からちょっと走ったところにある、「箱根七湯」の一つで、江戸時代から知られた箱根の温泉地、塔之沢温泉にあります。
江戸時代から続く「紫雲荘」の歴史とは?
明治時代に大倉財閥を興した、鶴彦翁大蔵男爵の元別邸跡地に建つ紫雲荘ですが、鶴彦翁大蔵男爵(大倉喜八郎氏)は、明治・大正期に貿易や建設、化学や製鉄などの企業を数多く興した日本の実業家です。勝驪山(しょうりざん)という名前は、江戸時代の初期に、かの徳川光圀(水戸黄門)が明国の儒学者であった朱舜水(しゅすんすい)を伴って塔ノ沢を訪れた際に、この地の風景について舜水が「唐の玄宗皇帝が離宮を立てた温泉場である驪山(りざん)より優れた所である」と絶賛したことから、勝驪山と名付けられたと言われています。