鳥取県・岩井温泉。山陰最古といわれ、1200年以上の歴史を刻んできた名湯だ。ここで体験できるのは、少し変わった入り方。
深さおよそ一メートルの浴槽に、立って浸かる「立ち湯」。肩まで湯に包まれながら、足元からじんわりと水圧がかかる感覚は、座って入る温泉とはまったく違う。
さらに、この地には「湯かむり」という独特の風習が残る。頭に手ぬぐいを乗せ、ひしゃくで湯をかむる。唄とともに受け継がれてきたその所作は、温泉が“ただの入浴”ではなかった時代を今に伝えている。
「ゆったり温泉ひとり旅」では、ココリコ・田中直樹さんが、そんな岩井温泉の奥行きを静かにたどる。湯に立ち、時間に浸かる。岩井の温泉は、体だけでなく、歴史の層まで温めてくれる。
【放送日:2026年2月26日(木)14:41 -15:10・NHK-BS】
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岩井温泉とは?山陰最古といわれる1200年の湯
鳥取県東部に湧く 岩井温泉 は、山陰最古といわれる古湯だ。開湯はおよそ1200年前。平安の頃にはすでに湯が湧き、人々が浸かっていたと伝えられる。もちろん、正確な記録がすべて残っているわけではない。けれど、これだけ長く“湯のある暮らし”が続いてきた事実は重い。
岩井温泉の特徴は、派手さよりも“続いてきたこと”。豪華な大型旅館が並ぶ温泉地とは違い、町並みはどこか素朴で、静かだ。
温泉は観光資源である前に、生活の一部だった。寒い冬、冷えた体を温める。湯に浸かりながら、近況を語り合う。湯気の向こうで、人と人が向き合う。温泉は、単なる入浴ではなく、コミュニティの中心だった。
1200年という時間は、湯の成分だけでは生まれない。人が守り、人が使い、人が語り継いできた時間だ。立ち湯や湯かむりといった独特の文化も、その長い歴史の中で形づくられた。
岩井の湯に入るということは、過去の誰かと同じ湯気の中に立つということ。体を温めながら、時間にも浸かる。それが、岩井温泉のはじまりだ。
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深さ一メートルの「立ち湯」とは?身体で感じる水圧の不思議
岩井温泉の名物は、深さおよそ一メートルの浴槽。座らない。沈まない。立って浸かる。最初は少し戸惑う。湯の中で足裏が床に触れ、肩までしっかりと湯に包まれる。この姿勢が、体感を変える。
水の中では、水圧がかかる。深さ一メートルなら、足元には約1/10気圧の圧力が生まれる。それが下半身をじんわりと締めつけ、血液を心臓へと押し戻す。自然のマッサージ。
座って入る温泉では、重力に身を預ける感覚が強い。立ち湯では逆に、自分の体を感じる。背筋が伸び、呼吸が整う。湯に“支えられている”のに、どこか自立している。この感覚が不思議だ。
そして、立っているからこそ、湯の温度や揺らぎが全身に均等に伝わる。足元から肩へ、ゆっくりと温もりが上がっていく。
岩井の立ち湯は、ただ深いのではない。姿勢ごと、体験を変える。1200年続いた理由は、この“違い”にあるのかもしれない。湯に立つ。それは、時間の上に立つことでもある。
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”湯かむり”の唄に宿るもの──温泉はコミュニケーションだった!?
岩井温泉には「湯かむり」という独特の風習がある。頭に手ぬぐいを乗せ、ひしゃくで湯をすくい、静かに頭へとかむる。湯を“浴びる”のではなく、湯を“受ける”。そこには所作がある。そして、唄がある。
湯かむりの唄は、この地で長く歌い継がれてきた。それは観光向けのパフォーマンスではなく、共同体の記憶。温泉は、昔から社交場だった。湯に浸かりながら、日々の出来事を語り合う。
ひしゃくを渡し、湯をかむり、唄を合わせる。そこには上下も肩書きもない。湯気の中では、人はみな同じ高さになる。岩井の温泉は、身体を温める場所であると同時に、人と人をつなぐ場所だった。
“湯をかむる”という行為は、自分ひとりのためだけではない。同じ湯を分かち合うという意思表示。温泉が単なる入浴施設になった現代では、少し忘れられがちな感覚。でも、1200年続いた湯には、そうした時間の層が今も残っている。
立ち湯で姿勢を整え、湯かむりで心をひらく。岩井温泉は、湯を通して人を結んできた。
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田中直樹さんが歩く“静かな湯の町”とは?
岩井温泉の町並みは、派手ではない。大きな歓楽街も、きらびやかなネオンもない。あるのは、低い軒先と、湯気の匂い。そんな町を歩く旅人が、田中直樹 さんというのは、なんだかしっくりくる。声を張り上げる旅ではない。静かに見て、静かに感じる旅。
立ち湯で背筋を伸ばし、湯かむりの唄に耳を澄ませる。そのあと、石畳の道をゆっくり歩く。旅のテンポが、岩井の時間に合っている。温泉街というより、“湯のある町”。日常の延長線に、湯がある。
観光客が主役ではなく、湯と暮らしてきた人たちがいる。番組の映像も、きっと派手な演出ではなく、湯気の揺らぎや、光の反射を丁寧にすくい取るはずだ。
立ち止まることが、贅沢になる場所。騒がない旅人だからこそ、この町の静けさが浮き上がる。岩井温泉は、“何もない”のではなく、“余計なものがない”。だから、深い。
湯に立ち、町を歩き、また湯に戻る。その往復の中で、体だけでなく、時間の流れもゆるむ。湯冷めしないように。急がない。岩井の町は、そうやって温めてくれる。
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山陰の味覚──カニとともに味わう湯上がりの時間
立ち湯でじんわり温まり、町を歩いて冷たい空気を吸う。そのあとに待っているのが、山陰の海の恵み。松葉ガニ。
冬の王様といわれるその身は、繊維がきめ細かく、上品な甘みが広がる。派手な味ではない。でも、深い。そしてベニズワイガニ。水分を多く含み、とろけるようなやわらかさ。湯上がりの体に、すっと入る。
カニは豪華な料理というより、冬の風景そのもの。湯気と蟹の香りが混ざると、それだけで山陰だ。温泉と海の幸は、理にかなっている。塩分を含む湯で温まり、海の旨みを味わう。体の外と中で、日本海を受け取る。
関東からは確かに遠い。でも、遠いからこそ、たどり着いたときの静けさがある。岩井温泉は、観光地というより“辿り着く場所”。湯に立ち、唄に耳を澄まし、最後はカニで締める。派手じゃない。でも、満ちる。
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まとめ|立って浸かり、時間に包まれる
岩井温泉は、派手な名湯ではない。深さ一メートルの立ち湯に立ち、1200年という時間の層に身をゆだねる。湯かむりの唄が響き、湯気の向こうで人と人がつながる。温泉は、体を温めるだけの場所ではなかった。
立つという姿勢は、少しだけ意識を変える。背筋が伸び、呼吸が整い、自分の重さを感じる。そのまま、静かに時間が流れる。湯から上がれば、日本海の幸が待っている。松葉ガニも、ベニズワイガニも、大きな声で自慢はしない。でも、確かにうまい。
遠いからこそ、たどり着いたときの静けさがある。立って浸かり、時間に包まれる。岩井温泉は、体と歴史を同時に温める場所。次に立ち湯に入るとき、その深さの向こうに、誰かの1200年があることを思い出すかもしれない。