山に響け!アルプホルン♪全校10人の小学校が紡ぐ“音の継承”|あさイチ中継

卒業生をホルンの演奏で送る在校生 BLOG
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愛知県新城市の山あいにある小さな学校、新城市立鳳来東小学校。全校生徒およそ10人のこの学校では、1日の始まりを告げるのはチャイムではなく、スイスの伝統楽器アルプホルンの音色です。

長く伸びる木製の管から放たれた低音は、山に向かってまっすぐに響き、やがてこだまとなって返ってきます。

世代を超えて受け継がれるその音には、子どもたちの呼吸と、地域の思いが重なっています。小さな学校に息づく“音の継承”の物語をたどります。

【放送日:2026年2月19日(木)8:15 -9:55・NHK-総合】

新城市立鳳来東小学校とは?全校約10人の小さな学校

愛知県新城(しんしろ)市の山あいに佇む新城市立鳳来東小学校。周囲を豊かな自然に囲まれたこの学校は、全校生徒およそ10人という小規模校です。「少ない」と感じるかもしれません。けれど、そこにあるのは不足ではなく、濃さです。

一人ひとりの顔が見える。学年の枠を越えて関わる。上級生の背中をすぐ近くで見て、下級生が育つ。教室は静かかもしれません。でも、関係は濃い。

都市部の大規模校では、役割は分担されます。しかし鳳来東小では、行事も活動も“みんなで担う”。人数が少ないからこそ、誰かが観客になることはありません。

その日常の延長線上にあるのが、アルプホルンの演奏です。特別な音楽活動というよりも、学校の空気そのもの。山に囲まれた土地で、子どもたちが息を合わせる。小さな学校。でも、その音は決して小さくないのです。

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なぜアルプホルン?山の町・新城とスイスの共鳴

アルプホルンは、スイス・アルプス地方で生まれた木製の管楽器です。もともとは牧童たちが山と山のあいだで合図を送るために使っていました。遠くまで届く低音。そして、山から返ってくるこだま。山岳地帯で育った楽器は、「自然と対話するための道具」でもありました。

愛知県新城市もまた、三河山間部に位置する山の町。鳳来寺山をはじめとする緑深い地形に囲まれています。アルプスと三河。地理は遠くても、風景は似ている。山に向かって吹く。音が返る。耳で受け止める。この構造が、土地と楽器を結びつけたのかもしれません。

さらにアルプホルンは、バルブのない自然倍音の楽器。出せる音は限られ、誤魔化しが効かない。だからこそ、息を合わせることが何より大切になります。少人数の学校。顔の見える関係。呼吸を合わせる文化。偶然というより、必然のようにも思えてきます。

遠いスイスの山で生まれた楽器が、新城の山で鳴る。それは輸入ではなく、共鳴。山と山が、静かに手を結ぶような取り組みなのです。

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授業開始はアルプホルンの音色!?──1日の始まりを告げる低音

朝の山あいに、長く伸びる低音が響きます。それはチャイムの電子音ではありません。鳳来東小学校の1日は、アルプホルンの音色で始まります。

木製の長い管に息を吹き込み、自然倍音だけで鳴らすその音は、柔らかく、それでいて力強い。「ファーン」と伸びる低音は、校庭を越え、山へと向かい、やがてこだまとなって返ってくる。合図であり、あいさつであり、宣言でもある。今日も始まる。みんなで始める…。

アルプホルンはバルブのない楽器。出せる音は限られ、息づかいがそのまま音になる。だからこそ、吹き手の集中と呼吸がそのまま朝の空気を決めます。

ボタンひとつで鳴るチャイムとは違う。そこには「人の息」がある。学校の始まりを、人の呼吸で告げる。それは、とても贅沢なことかもしれません。音はただの合図ではなく、学校という場所の“鼓動”になっています。

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3・4年生へ受け継がれる音──難しい楽器に挑む理由とは?

アルプホルンは、見た目のインパクト以上に繊細な楽器です。バルブもキーもなく、出せる音は自然倍音のみ。音程は唇の振動と息の強さだけで決まります。少しでも力みすぎれば外れる。気持ちが揺れれば、音も揺れる。だからこそ、簡単ではありません。

鳳来東小学校では、3・4年生が新たな吹き手となり、上級生からその音を引き継ぎます。楽譜だけでなく、姿勢や呼吸、構え方まで学びながら…。

先輩の背中を見て、音を聴いて、息を合わせる。それは技術の継承であると同時に、“時間”の継承でもあります。卒業式では、在校生と卒業生が音を重ねることもあるといいます。倍音同士が重なり、和音になる瞬間。そこには、学年を越えた呼吸が生まれます。

難しい楽器だからこそ、合わせるために耳を澄ます。人数が少ないからこそ、一人の音が全体に響く。うまく吹けるかどうかよりも、「挑む」ことそのものが意味を持つのです。

きっと子どもたちは今、ただ一所懸命に吹いているだけかもしれません。でも、いつか振り返ったとき、あの山に向かって吹いた音が、自分の原点だったと気づく日が来る。継承とは、未来に渡すだけでなく、自分の中に残ることなのです。

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卒業式で響く和音と呼吸──世代をつなぐ“音の継承”

一年の節目、卒業式。

体育館に並ぶ椅子。少人数だからこそ、空間は広く感じるかもしれません。けれど、その場に満ちる緊張と温度は、決して小さくありません。

アルプホルンが構えられます。長い木製の管。床に置かれたベルの先。息を吸い込む静かな瞬間。そして、低音が鳴る。一人ではありません。在校生と卒業生が、それぞれの倍音を選び、音を重ねます。

自然倍音の和音は、完璧に整ったピアノの三和音とは少し違います。わずかに揺れ、わずかに生々しい。だからこそ、人の息が見える。

数年間、同じ校舎で過ごした時間。朝の始まりを告げてきた音。先輩から教わった構え方。それらが、たった数秒の和音に凝縮される。山に向かって吹いた音は、やがてこだまとなって返ってくる。でもこのとき返ってくるのは、山からの反響だけではありません。

思い出。練習の時間。叱られた日。うまく鳴らなかった悔しさ。音は空気を震わせ、同時に、記憶を震わせる。人数が少ないからこそ、一人の音は埋もれない。だから卒業式の和音は、“誰かの音”ではなく、“みんなの呼吸”になる。

この学校にとってアルプホルンは、音楽の授業の一部ではありません。時間をつなぐ装置。世代を渡す橋。継承とは、伝統を守ることではなく、息を受け渡すこと。その一音が鳴るたびに、この小さな学校は、確かに未来へ進んでいます。

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スイスRSIも注目──小さな学校が世界とつながる瞬間

2017年、スイスの放送局RSIが、鳳来東小学校の取り組みを取材に訪れました。アルプホルンの本場、アルプスの国から。それだけで、どこか物語のようです。

遠い日本の山あいで、自国の伝統楽器が受け継がれている。その光景を、スイスの人たちはどんな思いで見たのでしょうか?

アルプホルンは、もともと山の暮らしの中で生まれた楽器。牧童が遠くの仲間に合図を送り、山々のあいだで音を交わした。その文化が、海を越え、愛知県新城市の小さな学校で根づいている。これは模倣ではありません。敬意と理解の上に成り立つ“継承”。

スイスから見れば、遠い異国で大切に吹かれている自分たちの音。新城から見れば、世界とつながる窓。音は国境を持たない。倍音は物理法則に従うけれど、響きは心に届く。

全校約10人の学校が、世界と同じ楽器を共有している。それは大きな交流イベントではなく、日常の延長線上にある静かな国際交流です。小さな学校。けれど、その音は確かに世界へ届いているのです。

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小規模校だからこそできる教育──人数ではなく密度

全校約10人。数字だけを見れば、小さな学校です。けれど教育の価値は、人数の多さでは測れません。鳳来東小学校のアルプホルンの取り組みが長く続いている背景には、「密度」があります。

全員が顔を知っている。
全員が音を知っている。
誰かが吹けば、誰かが支える。

人数が少ないからこそ、一人の責任は大きい。けれど同時に、一人の存在も大きい。大規模校では、役割が分業化されることもあります。部活動の選抜、担当の固定。それは効率の面では合理的です。一方で、鳳来東小では文化活動が「みんなのもの」になる。観客ではいられないのです。

アルプホルンは難しい楽器です。自然倍音だけで音程を合わせるには、耳を澄まし、呼吸を合わせる必要があります。この「合わせる」という行為は、教育そのものです。自分の音だけを出すのではなく、相手の音を聴く。自分の息を主張するのではなく、全体の響きを考える。それは音楽の技術を超えた学びです。

小規模校の教育は、ときに不安視されることもあります。しかし、人数が少ないことは弱さではありません。密度が高い関係の中で、文化を実際に担い、体験する。その経験は、数字では測れない価値を持ちます。鳳来東小学校のアルプホルンは、音楽活動であると同時に、“共同体を学ぶ時間”でもあるのです。

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山に向かって吹くということ──音が返ってくる学校

アルプホルンは、山に向かって吹く楽器です。正面に観客がいる舞台ではなく、目の前には広い空と森。音はまっすぐ進み、やがて山肌に触れ、少し遅れて返ってくる。そのわずかな時間差が、吹いた人に「届いた」という実感を与えます。

鳳来東小学校の子どもたちも、きっと何度もその瞬間を経験しているはずです。息を込めて吹いた音が、遅れて返ってくる。それは、いまこの瞬間だけの出来事ではありません。

先輩が残した音。卒業式で重ねた和音。朝の始まりを告げた低音。それらもまた、時間を経て返ってくる。子どもたちが大人になったとき、ふとした山の風景や、テレビから流れる音楽に、あのアルプホルンの響きを思い出す日が来るかもしれません。

放送を見ている私たちも同じです。遠い新城の山あいから届いた音は、画面を越えて胸に触れ、静かに残る。すぐに拍手は起きないかもしれない。けれど心のどこかで、小さなこだまが返る。

小さな学校。少ない人数。それでも、山に向かって吹いた音は、確かに世界へと広がっていきます。そしてまた、どこかから、静かに返ってくるのです。

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