こんにちは鳥巣です。7/23放送の「路線バスで寄り道の旅」では元競泳の岩崎恭子さんがゲストです。岩崎恭子さんといえば1992年のバルセロナオリンピックで女子平泳ぎでいきなり優勝した直後の、「今まで生きてた中で一番幸せです」と言った14歳の金メダリストのインタビューは、日本中を沸き立たせました。あれから30年以上が過ぎて、紆余曲折のあった岩崎恭子さんについて調べてみました。
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バルセロナ五輪で優勝したころは?
1992年といえばもう30年以上も前のことですが、あの時は14歳で優勝した岩崎恭子さんに日本中が喝采を送りました。テレビ中継で「今まで生きてた中で一番幸せです」の言葉は、多くの日本人の心に刺さりました。
オリンピックが終わって日本に帰国してからも”岩崎恭子フィーバー”が続いて、当時はまだSNS等がなかったにも関わらず、マスコミなどでもやっかみ半分で誹謗中傷する声も多く、ストーカーまがいの嫌がらせも受けたのは、中学生だった彼女には精神的に辛い時期だったのかもしれません。
三姉妹の次女だった彼女は、オリンピック前までは、同じく水泳選手だった3歳上の姉の敬子さんとの差は圧倒的で、中学時代にジュニアチャンピオン2冠や、高校時代にインターハイ2冠を果たしていた姉には「絶対に敵わない」と思っていたといいます。それがバルセロナオリンピックの予選で姉に勝って、オリンピック代表に選ばれたのですから、自分でも驚いたのではないでしょうか?
オリンピックでもノーマークの無名選手でしたが、200m平泳ぎの決勝でいきなり当時のオリンピック新記録で自分自身の生涯最高記録を叩き出して優勝しました。その後のフィーバーは今でも語りぐさになっています。
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故郷の沼津の実家は?離婚は?
岩崎恭子さんの実家は、静岡県沼津市です。実家は岩崎水道工業所という水道工事店を経営しています。子供の頃からご両親の躾が厳しかったらしく、水泳の他にもピアノや習字を習っていたといいます。小学校は地元の沼津市立開北小学校です。姉の影響もあって、この頃も地元のスイミングクラブに通っていましたが、さほど大きな活躍はしていなかったようです。
沼津市立第五中学校に進学してからは水泳選手としても成長して、それまでは1度も勝てなかった敬子さんも破って中学2年生の時にはバルセロナオリンピックに出場しました。おそらく姉の敬子さんをライバルとして切磋琢磨したことが結果につながったのではないでしょうか?
その後、1998年、20歳で感染症の発症を理由に現役を引退して、その後は競泳のコメンテーターやバラエティ番組などに出演するとともに、日本オリンピック委員会委員や日本水泳連盟競泳委員などに就いています。
2009年に元ラグビー日本代表の斉藤裕也さんと結婚して2011年に1児をもうけましたが、2018年に自分自身のBLOGで離婚を公表しています。
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ライバルだった姉は今どうしてる?
かつては岩崎恭子さんが「(水泳では)絶対に勝てない」と思っていた姉の敬子さんは今どうしているのでしょう?
バルセロナ五輪の代表選考会で妹の恭子さんに敗れ、妹の帰国後は、妹への嫌がらせ電話やストーカー行為などを目の当たりにして、競技へのモチベーションを失ってしまったのか、オリンピック終了後に競技生活を引退されています。
現在は静岡県内で会社員をしながら、水泳の指導者もされているようです。生涯を水泳の道で生きていくのもなかなか大変そうですし、金メダリストになった後の妹の苦労などを見ると、普通の会社員として生活して、自分の好きな道として水泳を選んだのかもしれません。
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岩崎恭子さんのまとめ
バルセロナ五輪で優勝したころは?
岩崎恭子さんは、バルセロナオリンピックでもノーマークの無名選手でしたが、200m平泳ぎの決勝で、いきなり当時のオリンピック新記録で自分自身の生涯最高記録を叩き出して優勝しました。その後のフィーバーは今でも語りぐさになっています。
故郷の沼津の実家は?離婚は?
岩崎恭子さんの実家は、静岡県沼津市です。実家は岩崎水道工業所という水道工事店を経営しています。水泳の他にもピアノや習字を習っていたといいます。2009年に元ラグビー日本代表の斉藤裕也さんと結婚して2011年に1児をもうけましたが、2018年に自分自身のBLOGで離婚を公表しています。
ライバルだった姉は今どうしてる?
現在は静岡県内で会社員をしながら、水泳の指導者もされているようです。