うまいッ!|地域の絆が育てた極上のごぼう―― 岡山・井原市「明治ごんぼう」

民家の居間でごぼうの煮物を食べる女性 BLOG
「明治ごんぼう」は、その一本に、人の手の積み重ねを抱えている。
スポンサーリンク

ごぼうは、派手さのない野菜だ。だが、土の違いも、人の手の違いも、正直に映し出す。岡山県井原市で江戸時代から育てられてきた「明治ごんぼう」。

急斜面の畑、粘土質の赤土、そして地域の人たちの呼吸が重なり、太く、やわらかく、香り豊かな一本が生まれてきた。地味だからこそ、誤魔化せない。その土地で、その人たちが育ててきた味が、ここにある。

【放送日:2026年1月18日(日)11:30 -11:54・NHK総合】

“地味”な野菜ほど、土地の性格が出る

ごぼうは、見た目で語る野菜ではない。色も形も控えめで、料理の主役になることも多くはない。けれど、土の違いも、水の違いも、育て方の癖も、そのまま味と香りに表れてしまう、正直な野菜だ。

柔らかさが足りなければ、土が浅い。香りが弱ければ、育ちが急すぎる。ごぼうは、土地と人の関係を、隠さずに映し出す。だからこそ、長く同じ場所で育てられてきたごぼうには、その土地の性格が、はっきりと刻まれる。

岡山県井原市で育つ「明治ごんぼう」も、その一本に、土地の条件と、人の手の積み重ねを抱えている。急斜面の畑、粘土質の赤土、そして、代々受け継がれてきた育て方。“地味”という言葉は、目立たないという意味ではない。誤魔化しがきかない、という意味だ。

ごぼうは、その土地がどう生きてきたかを、静かに、しかし確かに語る野菜なのである。

<広告の下に続きます>

江戸時代から続く「明治ごんぼう」

岡山県井原市では、江戸時代からごぼうが育てられてきた。山あいの土地は平らではなく、畑は急斜面に広がる。土は粘り気のある赤土。掘りやすい条件ではないが、だからこそ、ごぼうは深く根を伸ばし、香りを蓄えていった。

「明治ごんぼう」という名は、近代に入ってから定着した呼び名だという。だがその実体は、名前よりもずっと古い。代々、同じ土地で、同じ作業を繰り返してきた結果が、一本のごぼうに宿っている。

斜面の畑では、力任せに掘ることはできない。土の状態を見極め、道具を選び、手順を守る。その積み重ねが、太さとやわらかさを両立させてきた。

歴史とは、特別な出来事の連なりではない。同じ季節に、同じ畑へ向かい、同じ土に触れ続けること。明治ごんぼうの歴史は、そうした変わらない手つきの中で、静かに受け継がれてきた。

<広告の下に続きます>

急斜面と赤土が生んだ味

井原市の畑は、なだらかではない。斜面に広がり、足場は不安定で、作業はいつも慎重さを要する。けれど、その斜面が、ごぼうにとっては都合がいい。水はけがよく、余分な水分が溜まらない。

根は下へ、下へと伸び、土の中で自分の居場所を探すように育っていく。赤土は粘り気があり、ミネラル分を多く含む。軽すぎず、重すぎないこの土が、ごぼうに時間を与え、香りを蓄えさせる。

急斜面と赤土。どちらも、作る側にとっては楽な条件ではない。だが、その不便さを受け入れてきたことで、太くても、やわらかく、噛むほどに味が広がるごぼうが生まれた。

土を変えず、畑をならさず、土地に合わせて育ててきた結果が、そのまま一本の味になっている。明治ごんぼうの風味は、工夫の積み重ねというより、土地との折り合いが生んだものだ。

<広告の下に続きます>

重機と人の呼吸が合うとき

急斜面の畑で、すべてを人の手だけで掘り続けるのは難しい。そこで井原市の畑には、特製の重機が入る。だが主役は、機械そのものではない。重機が土を起こし、人が、その瞬間を逃さず、ごぼうを引き抜く。夫が掘り、妻が受け取る。互いの動きを確かめ合うように、作業は進む。

(出典:JA岡山)
(出典:JA岡山)

早すぎれば折れる。遅れれば土に戻る。だから必要なのは力よりも、だ。機械は土を動かす。人は、土の様子と、ごぼうの声を読む。どちらか一方では成り立たない。

(出典:JA岡山)
(出典:JA岡山)

昔ながらの畑に、現代の道具を持ち込む。それは、やり方を変えることではなく、続けるために整えることだった。重機と人の手が噛み合ったとき、急斜面の畑は、今も収穫の場として息づく。明治ごんぼうは、こうして現在の時間とも、静かに折り合いをつけている。

<広告の下に続きます>

地域の絆が、料理になるということ

収穫された明治ごんぼうは、畑の外で、もう一度、人の手に委ねられる。切り方、火の入れ方、味の付け方。それぞれの家の台所で、少しずつ表情を変える。

太く、やわらかいごぼうは、煮ても、焼いても、香りを失わない。余計な手を加えなくても、土の味が、料理の芯になる。

この土地では、ごぼう料理は特別な一品ではなく、人が集まる場に、自然と並ぶ味だ。分け合い、確かめ合い、「いつものやり方」で仕上げていく。

畑での連携が、台所での段取りに引き継がれる。誰かが前に出るのではなく、それぞれの役割が、静かにつながる。

地域の絆は、声高に語られるものではない。同じ味を知っていること。同じ香りに、うなずけること。明治ごんぼうは、そうした関係性の中で、今日も料理になっていく。

<広告の下に続きます>

ごぼう一本が語るもの

明治ごんぼうは、特別なことを語らない。派手な名前も、目を引く色もない。ただ、土に入り、時間をかけて育ち、人の手を経て、食卓に並ぶ。

急斜面の畑も、赤土も、重機と人の呼吸も、地域で分け合う台所のやり方も。すべてが一本のごぼうに、静かに重なっている。それは、努力を誇るための作物ではない。工夫を声高に語るための食材でもない。続けてきた結果が、そのまま形になっただけだ。

地味だからこそ、嘘がつけない。毎年同じように育て、同じように食べ、同じように次の年へ渡していく。ごぼう一本が語るのは、土地と人が折り合いをつけながら生きてきた時間。

そして、その関係を、これからも手放さずにいるという意思だ。井原の畑で育つ明治ごんぼうは、今日も変わらず、暮らしの中の当たり前として掘り上げられている。

タイトルとURLをコピーしました