徳島市の東側、吉野川の流れに寄り添う“渭東(いとう)エリア”。ここで育つ青ねぎが、食通たちの間で密かに話題を集めています。――その名も「渭東ねぎ」。
一見ふつうの青ねぎに見えるのに、ひと口食べると広がる唯一無二の甘みと立ちのぼる香り。「こんなねぎ、初めて!」と驚く人があとを絶ちません。
食材ハンター・須田亜香里さんが訪れたのは、なんと “砂” の畑。ふかふかの砂の下から、まっすぐ伸びたねぎの白い茎が現れると、須田さんも思わず声を上げてしまうほど──。
その砂地の原点は、80年前の大地震。自然がつくり出した地層と、農家の知恵と努力が重なり、“渭東ねぎ”という特別な味を生みました。まどかとまさみちが、この香り高いねぎができるまでの物語を、やさしくご案内します。
砂が育てる“極上の香り”──渭東ねぎのふしぎな畑
まっ平らに広がる畑一面が、まさかの“砂”。徳島市・渭東(いとう)地域のねぎ畑を初めて目にすると、誰もが思わず足を止めてしまうほどの異質な風景です。
じつはこの砂地、80年前の大地震による地盤沈下と地中から一気に噴き出した砂が堆積してできた特異な土壌。普通の畑では考えられない“水はけのよさ”がねぎをしっかり鍛え、さらに“根が求めて伸びていく力”を自然と引き出します。
その結果──渭東ねぎは、驚くほど強い香りと、噛むほどにじんわり広がる奥行きのある甘みを持つようになりました。葉の青々しさ、肉厚でしっかりした食感。それでいてエグみは少なく、火を入れるととろりとした甘さに変わるのが特徴です。
「ねぎって、こんなに香るの?」
「甘みが濃いのにくどくない…!」
そう驚く食通が後を絶たないのも、砂が育てた独自の個性があるからこそ。渭東ねぎはただの“特産品”ではなく、大地震をきっかけに生まれた 土地の記憶そのもの なのです。
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砂地が育むねぎの甘みと香りの秘密は?──須田亜香里さんも驚いた砂の畑
ふっくらとした青ねぎの緑がまぶしい渭東(いとう)地域。食材ハンターの須田亜香里さんが訪れた畑は──思わず目を見張る「砂の大地」。足元には、黒土や粘土質の畑とはまったく違う、サラサラと音を立てる細かい砂。須田さんも、一歩踏み出した瞬間に“えっ!? 本当に砂?”と声を漏らしてしまうほど。

農家さんによると、渭東ねぎが持つ「すっきりした甘さ」や「香りの立ち方」は、この砂地が生んだ奇跡。水はけのよい砂は、ねぎの根にストレスを与えすぎず、それでいて栄養を深く引き込みます。そして昼と夜の寒暖差がさらに甘みを引き上げ、渭東ねぎならではの香りやみずみずしさを作りだすのです。
その説明を聞いた須田さんは、砂を手にすくって、光に透かしながら
「こんな環境で育つから、この香りになるんですね…!」
としみじみ驚いた様子。番組を見ている視聴者が「どうして徳島のねぎは特別なの?」と思う理由が、この“砂”という意外なキーワードで一気にほどけていく瞬間でした。
今回の食材レポーターを務める須田亜香里さんは女性アイドルグループSKE48の元メンバーで愛知県日進市の生まれです。小さい頃から前のめりな性格で、怪我をして何度も病院でCTやMRIを撮るほど活発な幼少期を過ごしていたのだそうです。

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渭東ねぎの味わい──家庭料理と創作料理の楽しみ
砂地が育てた渭東(いとう)ねぎは、ただ“香りが強い”とか“甘い”というだけの青ねぎではありません。
- シャキッと立ち上がる香り
- 口に入れた瞬間に広がる甘み
- 火を入れるとトロりと変化する食感
——そんな“独特の三拍子”がそろっているからこそ、家庭料理から創作料理まで、驚くほど幅広く活躍します。
■ 家庭で味わう、渭東ねぎの素朴なおいしさ
● 味噌汁の仕上げに
ひとかけ散らすだけで、普段の味噌汁がふわっと香り立つ一杯に。
蒸し暑い季節でも、寒い季節でも、渭東ねぎの香りはやさしく膨らみます。
● 卵焼きの具に
熱で甘みが引き出され、ふんわり卵との相性が抜群。
「何この甘さ…!」と家族が驚くタイプの美味しさ。
● 天ぷらにしてそのまま
外はカリッ、中はジュワッと甘みが立ち、
ねぎ一本が“主役”になる贅沢な逸品に。
■ 創作料理で広がる、渭東ねぎの底力
番組でも登場する料理人たちは、このねぎの“香りの立ちやすさ”にすぐに気づきます。
● 渭東ねぎのソテー × クリームチーズ
ねぎの甘みがとろりと際立ち、チーズのコクと重なって後を引く味に。
● 渭東ねぎのカルパッチョ風
軽く炙ってオイルと塩でいただくと、ねぎそのものの香りが主役に。
● 渭東ねぎの“ねぎまみれ”うどん
極細の刻みをたっぷり散らせば、
湯気とともに甘い香りがふわっと立ち上がり、麺がすすむすすむ!
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砂地が育てる理由──奇跡の地質と80年前の大地震
渭東ねぎの“唯一無二の香りと甘み”の根っこには、徳島の土地そのものが生んだ奇跡のような地質があります。渭東地区は、ふつうの畑とはまったく違う“砂の畑”。ここでは、手で握ってもすぐに崩れてしまうほど水はけがよく、ねぎの根が深く、自由に、のびのびと伸びることができる砂の畑なんです。
でも、この砂地はもともと自然に出来たものではありません。約80年前に起きた「昭和南海地震」が引き金になって、吉野川の堆積が変わり、土地の構造が大きく変化したことで生まれた特異な地形です。
地元の人にとって大きな災害だった出来事が、長い時間を経て、渭東ねぎという“宝物”を育てる大地に変わっていった──そんな背景を知ると、一本のねぎに込められた自然の力と、人の営みの積み重ねがより深く感じられます。
そして、砂地だからこそ育つねぎは、余計な水分が残らず味が凝縮し、“シャキッ”としながらも甘みが際立つ、あの独特の味わいになるのです。
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渭東ねぎの未来──作り手と食べ手で守る徳島の食文化
渭東ねぎの味わいを支えるのは、ただ“砂の畑”という特殊な環境だけではありません。その背景には、80年前の地震で地層が変化した歴史、手間のかかる砂地での収穫作業、そして「この味を次の世代に残したい」という生産者たちの強い想いがあります。
砂地は保水性が低いため、ねぎを育てるには丁寧な水管理が欠かせません。根がしっかり張らなければ倒れてしまいやすく、風の強い日はとくに気を遣います。それでも生産者がこの地を選ぶのは、「同じ味をどこでも作れるわけじゃない」──そう確信しているからです。砂の畑が生む豊かな香りと甘み。渭東ねぎが“唯一無二”と呼ばれる背景には、生産者だけでなく 地域全体で守り続けてきた歴史 があります。
徳島市・渭東地域では、戦前から続くこの砂地の畑を「土地そのものが財産」と考え、代々の農家が丁寧に耕し、受け継いできました。
しかし近年、農地の減少や後継者不足が大きな課題になっています。そんな中でもなんとか新しい担い手が少しずつ増え、“渭東ねぎの味を残したい” と願う人たちが地元の学校や飲食店と一緒に、食文化の未来を育てる取り組みを続けているのです。
「食べてもらわないと、文化はつながらないから」
そう話す生産者の表情には、畑を守ってきた人にしか出せない深い愛情が刻まれていました。食べ手もまた、その未来を支える大切な存在です。徳島の家庭では、渭東ねぎをたっぷり使った味噌汁や炒め物が“日々のごちそう”。
創作料理として県外にも広がりつつあることで、渭東ねぎは“地域の宝”から“全国が注目する食材”へと歩み始めています。渭東ねぎの未来は、生産者の挑戦と、料理人・家庭の食卓が積み重ねていく日々の愛情が支えている──その温かい循環こそが、徳島の食文化をこれからも輝かせ続ける力になるのです。
一本のねぎを通してつながる、“土地・人・未来”という三つの物語。渭東ねぎの未来は、今日も静かに、この砂の畑から育ち続けています。
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渭東ねぎが教えてくれる“土地と人の物語”──まとめ
砂の畑で育つ、香り豊かな渭東(いとう)ねぎ。その一本には、ただの“食材”では語り尽くせない、土地と人が積み重ねてきた物語が宿っています。80年前の大地震がもたらした“偶然の砂地”。そこに希望を見いだし、毎日ていねいに畑に向きあってきた生産者たち。
そして、その味に驚き、楽しみ、新たな可能性を見つけていく料理人たち──。やわらかい甘さと清々しい香りの奥には、“徳島の風土そのもの”が息づいているようにも思えます。
渭東ねぎは、土地の記憶をまるごと抱えながら、今日も静かに畑の中で育ち続けています。その一本を味わうことは、その土地を守り、つないできた人々の想いに触れること──なのかもしれません。