かつて「プリンセス・メグ」と呼ばれ、日本代表としてコートに立っていた栗原恵。その圧倒的な身長は、いつ、どのようにして育まれたのだろう。
再放送される鶴瓶の家族に乾杯では、元トップアスリートとしてではなく、一人の母として、そして今を生きる人としての栗原恵の姿が映し出される。この記事では、Wiki的な経歴やインタビューを手がかりに、身長の成長過程や学生時代、バレーボール人生を振り返りながら、彼女が歩んできた「時間」にそっと目を向けてみたい。
【放送日(再放送):2026年1月10日(土)10:40 -11:25)・NHK総合】
元バレー日本代表・栗原恵ってどんな人?
栗原恵は、女子バレーボール日本代表として活躍し、長く注目を集めてきた選手だ。テレビで試合を見ていた人なら、まず思い浮かぶのは――やっぱりあの「高さ」。ネット際でボールを叩き込むスパイクは、当時の中継でも象徴的だった。
ただ、彼女の魅力は身長だけでは語れない。高い打点から強打を決める“わかりやすい強さ”がある一方で、ラリーの中で流れを変える一撃や、相手ブロックを見て選ぶ判断など、「試合の空気」を動かすアタッカーでもあった。
また、注目度の高さはプレーだけが理由ではない。華やかなイメージで語られがちでも、実際には代表のプレッシャーやケガ、コンディションとの闘いといった、表に出にくい時間も抱えてきた。だからこそ今、旅番組で見える“母としての表情”や“人としての柔らかさ”が、ただのギャップではなく、積み重ねの先にあるものとして響いてくる。
今回の「家族に乾杯」は、バレーの技術解説というより、栗原恵という人が 「どんな時間をくぐって、いまここにいるのか」 を静かに確かめる回になるはずだ。
栗原恵(本名も同じ)
- 出身地:広島県佐伯郡能美町(現江田島市)
- 誕生日:1984年7月31日(41歳・2026年1月現在)
- 身 長:187cm
- 血液型:B型
- 配偶者:大越光貴さん(モデル兼フォトグラファー・2024年9月に結婚)
- 子 供:長男・陽太(ひなた)くん(2024年12月22日生まれ)
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身長はいつから伸びた?小・中・高校時代を振り返る
栗原恵の身長については、多くの人が一度は気になったことがあるだろう。けれど、その高さは、最初から「完成された武器」だったわけではない。小学生の頃は、周囲より少し背が高い程度。この時点では、後に日本代表として活躍する姿を、本人も、周囲も、まだ具体的には思い描いていなかったという。バレーボールとの出会いも、ごく自然な延長線上にあった。
転機は、中学生の頃。この時期に身長が目に見えて伸び始め、中学1年時には身長が176cmを超えたという。2年時には「もっとバレーが上手くなりたい!」という気持ちから兵庫県姫路市の大津中学校にバレー留学をしている。
コートの中での存在感が変わっていく。ネット際でのプレーが増え、「高さ」を意識される選手になっていったのも、この頃だ。ただし、身長が伸びることは、必ずしも良いことばかりではない。体の変化にプレーが追いつかず、思うように動けない時期もあったという。成長期特有の戸惑いは、その後のインタビューでも、たびたび語られている。
高校時代になると、身長と技術が徐々に噛み合い始める。山口県防府市の三田尻女子高校(現・誠英高校)に進学し、1年生時にインターハイ・国体・春高バレー優勝の高校3冠を経験する。高い打点を活かしたスパイクだけでなく、試合の流れを読む力や、自分の役割を理解する視点も育っていった。この頃にはすでに、将来を嘱望される選手として注目を集めていた。
「背が高かったから活躍できた」そう一言で片付けられがちだが、実際には、成長のスピードに向き合いながら、時間をかけて自分の体を理解していった過程がある。今振り返ると、その“伸びていく途中の時間”こそが、後の栗原恵を形づくる大切な土台だったのかもしれない。
そして高校3年の2002年、日米対抗戦に出場して日本代表にデビュー。2003年にはVリーグのNECレッドロケッツに入団した。
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バレーボール選手としての経歴と挫折
栗原恵の競技人生は、華やかな場面だけを切り取れば、成功の連続に見える。日本代表として国際舞台に立ち、高い打点からのスパイクで観客を沸かせた。当時の試合を覚えている人にとって、その存在感は今も印象に残っているだろう。
一方で、その道のりは決して平坦ではなかった。トップレベルで戦い続ける中で、ケガやコンディション不良に悩まされる時期が訪れる。思うように体が動かないこと、期待に応えられないもどかしさ。注目される選手であればあるほど、その重圧は静かに積み重なっていく。
競技の世界では、「結果を出し続けること」が当然のように求められる。だが実際には、休むこと、立ち止まることもまた、選手にとって重要な選択になる。栗原恵も、そうした時間を経て、自分の体と向き合い直してきた。
挫折は、キャリアの終わりを意味するものではなかった。むしろそれは、競技者としての在り方を見つめ直すきっかけとなり、「どう続けるか」を考える時間へと変わっていく。強さだけで押し切らない姿勢は、後年のインタビューや発言からも感じ取れる。
2003年11月のワールドカップでは、大山加奈と共に『メグカナ』と呼ばれ、全国的人気を博す。2004年にはアテネオリンピックに出場して5位入賞を果たした。ただ2004年10月には「NECのバレースタイルと、自分のスタイルが合わない」とNECレッドロケッツを退団し、2004年11月にはパイオニアレッドウィングスに入団した。
結果だけを見れば、華やかな代表選手の物語だ。けれどその裏側には、表に出ない時間と、自分自身との対話が積み重なっている。その経験があったからこそ、今の穏やかな表情や、人に寄り添う言葉が生まれているのかもしれない。
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母になった栗原恵と「家族に乾杯」の旅
栗原恵が登場する鶴瓶の家族に乾杯の旅は、アスリートの過去を振り返るためのものではない。映し出されるのは、いまの栗原恵が、どんな距離感で人と向き合っているか、という姿だ。
舞台となったのは、北海道の 苫小牧市。2024年9月に結婚、2024年12月には長男・陽太(ひなた)くんを出産して母となった栗原は海と港、そして日常の暮らしがすぐ隣にある街で、「子育て仲間を探す」というテーマを胸に、鶴瓶とともに人々の輪の中へ入っていく。
旅の途中で出会うのは、オーシャンビューの家に暮らす夫婦や、公園で遊ぶ親子、漁港で働く兄弟漁師たち。どの場面でも、栗原は前に出すぎず、相手の話をよく聞き、自然にその場に溶け込んでいく。新米ママとしての立場は、会話のきっかけにはなるが、特別な肩書きにはならない。同じ目線で悩みや日常を共有し、時に高校生の言葉に、素直に耳を傾ける姿も印象的だ。
トップアスリートとして、常に結果を求められてきた時間から、誰かと「同じ場所に立つ」時間へ。苫小牧の旅は、その変化を、無理なく伝えてくれる。高身長や輝かしい経歴よりも、人の輪の中で、穏やかに笑う姿が残る。「家族に乾杯」が映したのは、母になった栗原恵の、いまの等身大の居場所だった。
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背の高さよりも、そばにいる姿が印象に残る理由
栗原恵と聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのは、その高い身長や、ネット際での力強いプレーかもしれない。現役時代、彼女は確かに「高さ」と「強さ」を武器に戦ってきた。けれど、「家族に乾杯」で映し出される姿は、そのイメージとは少し違う。
旅先で目立とうとせず、相手の話をよく聞き、同じ目線でうなずく。そこにあるのは、誰かのそばに自然に居られる人の姿だ。母になったことも、現役を退いたことも、彼女を別の人間に変えたわけではない。ただ、積み重ねてきた時間が、表に出る場所が変わっただけなのだろう。
身長は、数字で測れる。経歴も、年表に並べられる。けれど、人と人との距離感や、場の空気をやわらかくする力は、データには残らない。苫小牧の旅で印象に残るのは、背の高さではなく、そばにいるときの安心感だ。それは、トップアスリートとしての時間と、挫折をくぐり、いまの暮らしへとつながる道の途中で、静かに育まれてきたものなのだと思う。
再放送という形であらためて見るこの回は、過去を懐かしむためだけのものではない。「いまをどう生きているか」を見つめることで、その人の歩んできた時間が、より立体的に浮かび上がってくる。