実はいままで、ボクは東京に憧れたことはない。
生まれも育ちも神奈川。東京は特別な場所ではなく、用があれば日帰りで行く隣町だった。学校や職場では東京に通ったことはあるけれど、「夢の街」という言葉には、どこか距離を感じていた。
けれど東京には、故郷を思いながら集う人々がいる。父母が暮らす町、歌でよみがえる景色、戦禍の中にある帰れない場所——さまざまな事情を抱えながら、遠きにありて思う故郷を胸に生きる人たち。その思いが交差する場所が「望郷酒場」だという。
新日本風土記「東京望郷酒場」は、故郷を離れた人々の心の奥を照らしながら、同時に“東京という街”の姿を映し出す。
夢の街か、仮住まいか? その問いの向こうに見えてくるのは、誰の心にも眠る“ふるさと”のかたちなのかもしれない。
【放送日:2026年2月23日(月)21:00 -22:00・NHK-BSP4K】
【放送日:2026年2月24日(火)20:00 -21:00・NHK-BS】
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東京は“夢の街”なのか、それとも“交差点”なのか?
昼の東京は時間の流れが速い。高層ビルの谷間を縫うように人が流れ、改札は無言のまま回転し続ける。肩書きと役割で動く街。成果と効率で測られる時間。
けれど夜、仕事を終えた帰り道。ネオンの明かりが滲み、ふと足取りがゆるんだ瞬間、別の景色が胸の奥から立ち上がる。夕焼けに染まる田んぼの匂い。母の声。駅前の小さな商店街。もう閉店したはずの店の灯り。都会で生きる人の多くは、故郷を背負っている。憧れて出てきたはずの街で、成功を目指しているはずなのに、不意に胸を占めるのは、遠く離れた町の空気だ。
そして、もしも挫折したら…。うまくいかなくなったら…。
「帰って来いよ」
そう言ってくれる場所があるという感覚。それは単なる地理ではなく、存在を肯定してくれる“後ろ盾”なのかもしれない。
望郷酒場は、その後ろ盾を一瞬だけ取り戻す場所だ。方言で呼ばれ、地元の酒を口にし、同じイントネーションで笑う。東京の中に、もうひとつの故郷が立ち上がる。
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なぜ人は“望郷酒場”に集うのか?
東京での生活は、役割でできている。営業、企画、店員、管理職。昼間の自分は肩書きの集合体だ。けれど夜。仕事を終え、ネクタイを緩めた瞬間、肩書きが外れる。そのとき、ふと浮かぶのが「名前で呼ばれていた頃の自分」。
望郷酒場は、役割を脱ぐ場所だ。方言が飛び交い、地元の酒が並び、知らないはずの人と同じイントネーションで笑う。そこでは「どこの誰か」が最初に来る。
東京では肩書きがアイデンティティになる。望郷酒場では“出身地”がアイデンティティになる。これは単なる郷愁じゃない。自己確認なんだ。自分はここから来た。自分には背景がある。そして、ときには——帰れない故郷。あるいは戦禍の町。
「二度と来るな」と言われた場所。それでも、心の中に靴を脱ぐ余白がある。望郷酒場は、その余白を確認するための場所なのかもしれない。
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戦禍の故郷、海の向こうの故郷――そして“帰れない意地”
故郷に帰りたくても帰れない人がいる。戦禍にある町や海を越えた祖国。政治や歴史が、帰路を閉ざしている人たち。けれど、もうひとつの「帰れなさ」もある。
故郷を背にして出てきた人の意地だ。「必ず成功する」と言って町を出た。心配する親を振り切った。地元には戻らないと啖呵を切った。その記憶があるから、簡単に弱音は吐けない。
帰りたい夜があっても、帰らないと決めた自分がいる。望郷酒場は、その揺れを受け止める場所だ。成功も失敗も途中のまま、ただ同じ言葉で笑える場所。そこでは「まだ帰らない」という選択も、「いつか帰るかもしれない」という余白も、どちらも否定されない。
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「遠きにありて思う故郷」を持たないということ
帰れない人がいる。帰らないと決めた人もいる。では、最初から「上京」という“断絶”を持たなかった人はどうだろう。
地続きで生きてきた。物理的な距離はない。卒業した小学校も、昔の町並みも、今もそこにある。けれどそれは、「帰って来いよ」と言ってくれる保証とは別の話だ。
故郷とは地図ではなく、“無条件で受け入れられる感覚”なのかもしれない。そう考えると、望郷酒場は単なる郷土料理の店ではない。「帰る」「帰らない」「帰れない」そのすべての感情が、静かに共存する場所だ。
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「東京望郷酒場」が映す“ふるさと”の正体とは?
望郷酒場に集う人たちは、みな故郷を背負っている。
故郷が好きでたまらない人。方言を聞くだけで胸が熱くなる人。帰省のたびに涙ぐむ人。一方で——地理的にはいつでも帰れるのに、帰らない人もいる。帰ったところで、自分を待っているものはないと感じている人。「どうせ誰も気にしていない」と思っている人。
そして、意地で帰れない人もいる。「成功する!」と言った手前、弱った姿を見せたくない人。形は違っても、根は似ている。
本当は、どちらも、どこかで「自分を覚えていてほしい」と思っている。故郷とは、場所ではなく、“記憶されているという感覚”なのかもしれない。
望郷酒場は、それを一時的に回復する場所だ。誰かが「同じ町の出身だ」と言ってくれる。地元の歌が流れる。懐かしい味がする。その瞬間、自分は背景を持った存在になる。
故郷は、帰るための場所ではないのかもしれない。成功の証明を持って戻る場所でも、挫折を抱えて逃げ込む場所でもない。ただ、自分の名前を覚えている誰かがいるかもしれないという心の支え。
東京望郷酒場が映していたのは、地図の上のふるさとではなく、“意地を張らなくていい場所”の存在だった。帰れない人も、帰らない人も。本当は、靴を脱ぐ場所を探している。だったら——少しだけ、意地を緩めてもいいのかもしれない。
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まとめ|誰もが心に持っている“望郷酒場”という灯り
東京に憧れて来た人も、東京で生まれ育った人も。帰りたい故郷がある人も、故郷なんてないと思っている人も。それでもきっと、心のどこかで“靴を脱げる場所”を探している。
それは、地図に載っている町とは限らない。誰かが自分を覚えているという感覚。意地を張らなくていい時間。東京望郷酒場が映していたのは、遠い町の懐かしさだけではなかった。
人は誰でも、自分の背景を確かめられる場所を求めている。都会の真ん中でも、静かな夜の片隅でも。望郷酒場は、それぞれの心の中に、そっと灯っているのかもしれない。