訃報【山田太一さん】「ふぞろいの林檎」だけじゃない、私にとっての「山田太一の世界」

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こんにちは鳥巣です。2023年11月29日に脚本家の山田太一さんが老衰のため亡くなりました。89歳でした。尊敬する山田太一さんに心よりお悔やみを申し上げます。山田太一さんは昭和9年(1934年)の生まれで、ちょうど私の両親と同じ世代です。子供の頃から多くの山田太一ドラマを観てきたので、私なりに故山田太一さんについてまとめてみました。

脚本家・故山田太一さん
脚本家・故山田太一さん

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「ふぞろいの林檎たち」の時代

山田太一さんといえば民放(TBS)の「ふぞろいの林檎たち」を思い出す中高年の方も多いと思います。1983年(昭和58年)ですから私はまだ学生の頃でした。

中井貴一さん、時任三郎さん、柳沢慎吾さん、手塚理美さん、石原真理子さんたちの、今では錚々たるキャストで、同世代の間では「林檎」といえばこのドラマを指すほどの話題作でした。

「ふぞろいの林檎たち」冒頭画像(TBS)
「ふぞろいの林檎たち」冒頭画像(TBS)

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学校の勉強が苦手な男友達3人が三流の「国際工業大学で出会い」、その中の一人、良雄(中井貴一)が街を歩いていると、自分と同じデザインのベストを着ている学生たちの集団に出会います。

なんとなくその人たちの後に付いてお店に入ると、一流有名私立大学のサークルのパーティーでした。有名一流大学生になりすましてパーティーを楽しんでいると、スタッフから「ちょっと…」と店の外に呼び出されます。

良雄はスタッフの一人に、「おたく、だれ?」と問いただされて、「たまたま同じベストだったから…」となりすましていたことを自白すると、スタッフの一人から「失礼だけど、学校どこ?」と訊かれます。

「ふぞろいの林檎たち」第1回(TBS)
「ふぞろいの林檎たち」第1回(TBS)

他のスタッフから「失礼だろ、そんなこと聞いちゃ。」とバカにするように笑われてその場を逃げ出す良雄。そんなところから物語は始まります。

「結局、世の中は学歴でしか自分たちを評価しない」と感じた3人がコンプレックスを持ちながらも「オレたちは違うんだ!」とツッパリながら生きていこうとする青春ドラマでした。
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それまでの山田太一ドラマ

「男たちの旅路」(1976〜1982年・NHK)

確か、最初は「ガードマン」というタイトルのドラマだったように記憶していますが、ネットを調べても記録が出てきませんでした。これはシリーズ化されて、

【第一部】
 ・非常階段(1976年)
 ・路面電車(1976年)
 ・猟銃(1976年)

【第二部】
・廃車置場(1977年) 
・冬の樹(1977年)
・釧路まで(1977年)

【第三部】
 ・シルバー・シート(1977年)
 ・墓場の島(1977年)
 ・別離(1977年)

【第四部】
 ・流氷(1979年)
 ・影の領域(1979年)
 ・車輪の一歩(1979年)
 ・戦場は遥になりて(1982年)

と13話があります。どれもかつて太平洋戦争中に特攻隊の飛行機の整備士で、今は警備会社のガードマンになっている吉岡(鶴田浩二)と、部下の杉本(水谷豊)、柴田(森田健作、柴俊夫)、悦子(桃井かおり)などが織りなすドラマでした。
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「特攻隊の死に損ない」と自身を卑下する吉岡に、「オジサンはね、考えが古いんだよ!」と口ごたえする杉本(水谷)との生きてきた時代の違いと思想の違いがテーマになったドラマでした。

「特攻隊精神」を小バカにする若者に、年上の吉岡(鶴田)が「そうかもしれん。今は時代が違うかもしれん。だがな、俺たちの時代はそうじゃなかった…」と生きるか死ぬかの時を生きてきた人生の先輩が静かに語りかけていたのが印象的でした。

「男たちの旅路(シルバーシート)」(NHK)
「男たちの旅路(シルバーシート)」(NHK)

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「岸辺のアルバム」(1977年・TBS)

家ではほぼNHKしか見られなかった私ですが、ドラマは民放でもいくつかはこっそり見ることができました。その中の一つがTBSの「岸辺のアルバム」(1977年・昭和53年)です。

もう覚えている人もあまりいないと思いますが、これは1974年の多摩川の水害が背景にあるドラマです。夫婦の危機にある倦怠期の夫婦が、だんだんと家庭が崩壊していく中で多摩川の水害(東京都狛江市)に遭遇して自宅が流されます。

そして家を失ったことの他に、家が濁流に飲み込まれるその時に、もはや崩壊しかかっている家族がまだ幸せだった頃の、唯一の思い出だったアルバムを、必死で持ち出そうとする「お父さん」の姿で物語は終わります。

1974年多摩川水害(時事通信社)
1974年多摩川水害(時事通信社)

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「獅子の時代」(1980年・NHK大河ドラマ)

「獅子」とは幕末の「志士」に掛けた言葉だと思われます。幕末に官軍となった新政府軍(薩摩藩士・加藤剛)と、結果的に賊軍となった幕府軍(会津藩士・菅原文太)に加わっていた二人の生き様を描いたドラマです。山田太一さんのNHK大河ドラマ初作品でした。

「獅子の時代」(NHK)
「獅子の時代」(NHK)

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「早春スケッチブック」(1983年・フジテレビ)

私にとって一番印象的なのは、1983年にフジテレビで放送された「早春スケッチブック」です。子連れ同士で再婚した信用金庫勤めの望月省一(河原崎長一郎)と妻の都(岩下志麻)、その子供の和彦(鶴見辰吾)、良子(二階堂千寿)。

神奈川県横浜市の相鉄線・希望ヶ丘の住宅地に一軒家を買って平和に暮らしていたある日、和彦が家で留守番をしているときに新村明美(樋口可南子)という見知らぬ女性が突然やってきて、「あなたの父親に会ってみない?」と誘われます。

受験生の和彦は「今はそれどころじゃないから…」と断りますが、やがて家族は明美のペースに飲み込まれて、”本当の父親”である沢田竜彦(山崎努)と会うようになります。

沢田は昔からありきたりなことが大嫌いで、和彦にも「お前らは心の髄からアリキタリだ!」と罵られ、ありきたりな大学受験をボイコットしてしまいます。

でも結果的には受験をしてもしなくても、ありきたりな人生を変えることなんてできないんだということに、なんとなく気がつき始めるというドラマでした。

当時、ありきたりな学生生活から、ありきたりなサラリーマン生活を始めていた私にとって、ガツンと頭を殴られたような気がした作品でした。

早春スケッチブック
「早春スケッチブック」

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山田太一さんについて

山田太一さんは1934年(昭和9年)6月6日生まれの享年89歳。東京都浅草区(現在の台東区)の生まれですが、戦争中に神奈川県湯河原町に疎開しました。

神奈川県立小田原高校を卒業後、早稲田大学教育学部に進み、卒業後に映画会社の松竹に入社しました。大学時代には同窓に劇作家で詩人の寺山修司さんがいたそうです。

松竹では木下恵介監督の組で助監督を務めていました。その頃の思い出はエッセイ「路上のボールペン」に詳しく書かれてあります。現在は廃刊になっていますがAmazonで手に入るようです。

木下恵介監督に言われてドラマの脚本を書くようになり、1976年にNHKが脚本家の名前を冠した脚本家シリーズを開始したこともあって、その先発に選ばれました。まだ脚本家の地位が低かった時代に、同じ脚本家の倉本聰氏(「うちのホンカン」「北の国から」他)とともに、脚本家の地位向上に貢献した先達ともいえます。

長きにわたって素敵な作品をたくさん書いてくださった事に感謝するとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。

故山田太一さん
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