こんにちは鳥巣です。2024年にNHK長崎放送局に入局した新人の山口紗希アナは、入局半年の新人ながら、全国ネットの「列島ニュース」に出演したり、長崎局のローカル番組「ぎゅっと長崎!」でレポーターなど、入局してすぐに大活躍の大型新人です。原田知世似のそのルックスは、ネットでも”かわいい”と評判です。
NHK長崎放送局に入局した新人アナは山口紗希(やまぐち さき)アナ
2024年4月にNHK長崎放送局に入局した新人アナは山口紗希(やまぐち さき)アナです。さっそく山口紗希アナのプロフィールを見てみましょう。
- 名 前:山口紗希(やまぐち さき)
- 出身地:長崎県佐世保市
- 誕生年:2001年?(たぶん23歳くらい・2024年現在)
- 出身校:聖和学園女子高校(佐世保)→東京の大学(教育開発学を専攻)
- 勤務地:NHK長崎放送局
入局したてで細かい情報はわかりませんが、現在は平日昼間の大阪局が放送している、全国ネットの「列島ニュース」でも流される長崎放送局の昼のニュースや、長崎ローカルで平日18:10~19:00放送の「ぎゅっと!長崎」のフィールドレポーターとして出演しているようです。ちょっと見ると同じ長崎出身の原田知世さんに似ていなくもないですね。
朝の情報番組の「あさイチ」などで九州の中継担当などになれば活躍の幅も広がるのでしょうが、まだそこまでは任されていないようです。まだ入社したてですからゆっくりと待っていることにしましょう。
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生まれは五島列島の小値賀(おぢか)島
山口アナは2歳まで五島列島の小値賀島で過ごしたそうです。小値賀町は長崎県の五島列島の北部にありますが、行政区分は新上五島町ではなく、”北松浦郡”になります。北松浦郡は九州本土の佐々町と小値賀島や野崎島を含む小値賀町からなる自治体です。
小値賀島へは福岡の博多港からフェリー太古で5時間、佐世保からだと高速船で1.5時間、フェリーで3時間の行程です。福岡からだと23:45に博多港を出港して小値賀に着くのが4:40。佐世保からは高速船が3便/日、フェリーが2便/日出ています。
五島列島で人が住んでいる島は、南端にある福江島が人口約3万人でもっとも大きく、女優の川口春奈さんが福江島出身の著名人として知られています。またタレントの長濱ねるさんも、3歳から7歳までの間、上五島(今の新上五島町)」の中通島で過ごしていたそうです。
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その後、山口紗希アナは佐世保に移り住み、佐世保の聖和学園女子学院高校卒業までを佐世保市で過ごしました。大学は東京とのことですが学校の名前はわかりません。大学では教育開発学を専攻していたそうです。大学を卒業後、2024年4月にNHKに入局して、現在は長崎放送局勤務となっています。
NHKで初任地が出身の自治体になることは珍しいのですが、「私は生まれも育ちも長崎県で、これから故郷で働けることがとっても楽しみです!」と語っているように、全国ネットの放送局で働きながら、故郷の魅力を再発見して全国に、いや世界に発信していけるのなら、それは素晴らしいことですね。
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佐世保での青春時代は?
佐世保では3歳から高校卒業までの16年間を過ごしています。佐世保は一番長く住んでいたということもあって、青春が詰まった大切な場所なのだそうです。
小値賀では、とにかくたくさん海で泳いだそうで、2年間ずっと海と隣り合わせの生活をしていたわけですから、海が好きなるのは当然かもしれません。佐世保市には九十九島という絶景の広がる多島海がありますが、山口アナがおススメなのは西海市にある雪浦海浜公園なんだそうです。この海岸は砂浜が400mもあって、とても綺麗な夕日を見ることができるそうです。とにかく夕日と水平線の美しさに心を奪われるといいます。
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佐世保から東京へ
高校卒業後は東京の大学に通い、主に教育開発学について学んだそうです。上京した時には、同じ日本でありながら、たくさんのカルチャーショックを受けたたそうです。例えば、とにかく人が多いことや物価が高いこと、電車がおよそ2-3分おきに来ることなどに驚かされました。
私も学生時代には、石川県から上京してきた友人がいて、入学式の直後に「なんで東京の電車では誰もタバコを吸わないの?」と訊かれて驚いた記憶があります。
彼も大学1年生でしたから未成年のはずでしたが(笑)、「電車の中は”禁煙”ってわけじゃないよね?」って、いや東京の電車はほぼ間違いなく禁煙ですからぁ~と、他の同級生と叫んだものです(笑)
その石川から来た友人も、駅ではいつも必死になって電車に駆け込んでいました(駆け込み乗車はおやめください!)。3分後には次の電車がやってくることが信じられなかったそうです。
佐世保では長崎方面への列車はともかく、反対の日本海側の伊万里方面に向かう松浦鉄道の列車は20~30分に1本程度ですからそう思ってしまっても不思議ではありません。私が育った横須賀でも、最寄り駅に停まる電車は20分に1本でしたから、その気持ちは少しわかります。
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NHKを志した原点はフィリピンでのボランティア活動
NHKへの入局目指したのは、フィリピンでのボランティア活動だそうです。高校1年生の時に高校生平和大使としてフィリピンを訪れる機会がありました。そこでは貧困によって教育を受けられない子どもたちが大勢いることに驚いたといいます。
私も初めてフィリピンに行ったとき、まだ小さな近所の子供が「大人になったらボクはクズ屋になる。クズ屋になってお金を稼いでみんなを助ける!」と言っていたことが思い出されます。当時のフィリピン人の間ではクズ屋はちょっとだけ稼ぎのいい仕事でしたし、学校で勉強するお金がなくてもなれる職業でした。
日本も今のように”誰もが大学に行く”ような時代ではありませんでしたが、少なくとも義務教育や高校くらいまではほとんどの子供が通っていましたから、その差には驚いたものです。
人生で初めて訪れたスラム街では、言葉を失ったといいます。まだ世の中に広く知られていない知るべきことや伝えるべきことを自分のことばで伝えたい、困っている人の役に立ちたいと強く思うようになって、NHKに入ろうと思ったのだそうです。
とにかく旅行が大好き!なのだそうで、これまで国内だけでも21都府県、海外は14カ国を訪れたそうです。目標は全都道府県とすべての国を回ることなのだそうで、大学時代にはバイトを3つ掛け持ちして資金を貯めて、およそ2カ月で10カ国を巡る世界一周旅行にも挑戦したそうです。見分を広げることが好きなんですね。
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久しぶりの故郷に戻って
大学進学のため長い間、長崎を離れていましたが、久しぶりに地元に帰った時に長崎駅前に立ち寄ってみると、電車の乗り場が変わっていたり、新しく大きな商業施設ができていたりと、そこには私が知らない長崎の姿があり、とっても驚きました。
そうやって常に変化していく故郷や日本、世界の業況を敏感にとらえて、県民その他の地域の皆さんとの出会いを大切ににして、新たなふるさとを発見し発信していきたいと抱負を語っていました。
これからの活躍に期待の新人アナウンサーですね!