「準チョコ」って何?所さん!事件ですよで気になったチョコ高騰の本当の理由とは?

チョコレート工場のカフェでパフェを食べるまどか BLOG
「なぜ今、この形なんだろう」とほんの少し想像してみる。それだけで、チョコレートはただの甘いお菓子から、世界とつながる味に変わる。
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番組を見ながら、ふと手が止まった。チョコレート菓子の成分表示にある「準チョコ」って、いったい何なんだろう。「カカオが銅より高い」「世界では今、とんでもないことが起きている」そんな言葉が、軽やかなやりとりの中で飛び交う。面白い。けれど同時に、――それって本当なの?そう思って検索した人も、きっと少なくないはずだ。

NHK「所さん!事件ですよ」が追ったのは、身近なお菓子の裏側で静かに進む“カカオショック”という世界規模の変化だった。準チョコとは何か。なぜチョコレートは高くなっているのか。そして、その影響はどこまで広がっているのか。番組で気になったポイントを手がかりに、少しだけ立ち止まって整理してみたい。

準チョコって何?チョコレートとどう違うの?

お菓子の裏をひっくり返したとき、「準チョコレート」という表示を見て、少しだけ引っかかったことはないだろうか。チョコなの?チョコじゃないの?名前からして、ちょっと曖昧だ。実はこの「準チョコ」、気分や言い回しの問題ではなく、はっきりとした基準がある。

日本では、カカオ分が多いものだけが「チョコレート」と名乗れる。一方で、カカオ分がそれより少なく、植物油脂などを使って作られたものが「準チョコレート」に分類される。だから「準」という言葉は、質が低いという意味ではない。原材料の配合による“区分”にすぎないのだ。

ここで、所さん!事件ですよを見ていて印象的だったのは、この違いが「ごまかし」ではなく、現実的な選択として広がっている、という点だった。なぜなら今、チョコレートの主原料であるカカオが、世界的に手に入りにくくなっているからだ。

原料が高騰すれば、同じ作り方を続けるのは難しい。その結果として、「準チョコ」という選択肢が以前より身近になってきている。成分表示にあるその一行は、味の話だけでなく、世界の変化を映しているサインなのかもしれない。

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なぜカカオはここまで高くなったのか?(カカオショック)

最近、「チョコレートが高くなった」と感じる人は多い。実際、それは気のせいではない。カカオ豆の国際価格は、ここ数年で急激に上昇している。一時は、工業用金属である銅よりも高い水準に達した、と言われるほどだ。

この“カカオショック”の背景には、いくつもの要因が重なっている。まず大きいのが、天候不順。カカオの主産地である西アフリカでは、異常気象による不作が続いている。暑すぎても、雨が多すぎても、カカオはうまく育たない。

さらに、病害の広がり。カカオの木は病気に弱く、一度被害が出ると、収穫量が大きく落ち込む。そこに重なったのが、生産者の問題だ。

世界最大のカカオ輸入国のひとつであるガーナなどでは、低賃金や労働環境の厳しさから、カカオ栽培を続けられない農家が増えている。つまり、「たくさん作れない」「作る人が減っている」その状態で、世界の需要だけが落ちていない。価格が上がるのは、ある意味、避けられない流れだった。

ここで大事なのは、これは一時的な流行やブームではなく、世界の構造が変わりつつあるサインだということ。チョコレートだけでなく、コーヒーや砂糖といった嗜好品の価格が上がっているのも、どこかでつながっている。

毎日のように口にしていたものが、少しずつ「当たり前ではなくなる」。カカオショックは、そんな変化を静かに知らせているのかもしれない。

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アメリカやインドの“偏愛チョコ”は本当?

番組では、カカオ不足に揺れる世界の一方で、チョコレートを強く愛する国々の食文化も紹介されていた。まず登場したのが、アメリカ。チョコレートは「おやつ」ではなく、エネルギー補給や気分転換のための日常食品として根付いている。

巨大なチョコバー、ピーナッツバターとの組み合わせ、甘さもサイズも、日本の感覚からするとかなり大胆だ。けれど、それは単なる“大味”ではない。忙しい生活の中で、手軽に満足感を得るための形。合理性と嗜好が、そのまま味に表れている。

一方で印象的だったのが、インド。伝統的には甘いお菓子文化が強い国だが、近年はチョコレートの消費が急速に伸びている。スパイスと組み合わせたもの、宗教的な行事に合わせた甘さの調整。そこには、外から入ってきたチョコレートを自分たちの文化に取り込もうとする工夫がある。

番組で紹介された“偏愛”は、奇抜さを競う話ではなかった。同じチョコレートでも、国や生活が違えば、求められる役割がまったく変わる。そして、それぞれの需要が積み重なった結果、世界全体のカカオ消費は、簡単には減らない。

チョコレートが高くなる理由は、「作れない」だけではなく、「欲しがる人が、世界中にいる」ことにもある。

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なぜバレンタインの半年前からチョコ作りは始まるのか?

バレンタインが近づくと、街は一気に甘い空気に包まれる。けれど、その準備は、ずっと前から始まっている。実際には、夏が終わるころから、パティシエたちはチョコレートと向き合い始める。理由は、単純ではない。まず、新しい商品は一度作って終わりではないからだ。

温度、湿度、口どけ、香り。同じ配合でも、季節が変われば表情が変わる。試作を重ね、少しずつ調整し、「これなら届けられる」と思える形に整える。その過程には、派手さよりも、地道な手間がある。

さらに近年は、カカオ価格の高騰という現実も重なった。原料をどう確保するか。価格をどこまで抑えるか。味を落とさずに成立させる方法はあるのか。甘さの裏側で、そんな計算と試行錯誤が続いている。

日本でバレンタインが特別な行事として定着したのも、実は「甘いロマン」だけが理由ではない。売る側、作る側が、長い時間をかけて“続けられる形”を模索してきた結果でもある。

チョコレートは、ただの甘いお菓子ではない。苦みやコクを抱えた素材を、どう受け取りやすい形にするか――そこに、作り手の技術と時間が詰まっている。売り場に並ぶ一粒の向こう側で、半年分の試作と、たくさんの判断が積み重なっていることを、少しだけ想像してみたくなる。

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まとめ 知ったあと、チョコをどう選ぶか?

カカオが高くなっている。準チョコという表示が増えている。世界のどこかで、チョコレートをめぐる環境が変わっている。そう聞くと、少し身構えてしまうかもしれない。

けれど、「だからチョコを買わないほうがいい」という話ではない。むしろ大切なのは、知ったうえで、どう選ぶかだ。価格で選んでもいい。味で選んでもいい。たまのご褒美として、少し高いチョコを選ぶ日があってもいい。

準チョコでも、自分が「おいしい」と思えるなら、それでいい。そこに無理に罪悪感を持つ必要はない。ただ、成分表示を一度だけ見てみる。「なぜ今、この形なんだろう」とほんの少し想像してみる。それだけで、チョコレートはただの甘いお菓子から、世界とつながる味に変わる。

バレンタインに限らず、誰かにもらわなくても、自分のために選ぶ一粒があっていい。チョコが好き、その気持ちを、これからも大事にしていけばいいのだから。

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