今回の美の壺のテーマは「日本の麻」。
麻と聞くと、かつて庶民の衣や日用品に使われてきた、どこか素朴な素材を思い浮かべる人も多いかもしれません。けれど日本では、麻は単なる生活の布ではありませんでした。
神社の祓串や鈴緒に使われ、穢れを祓い、場を清める“特別な素材”として、長い時間、人々の祈りとともにあり続けてきたのです。軽く、強く、そして清らか。目立たずとも確かな存在感を放つ麻は、日本人の暮らしと精神性を、静かに下支えしてきました。
今回の「美の壺」では、美術作品に表現された麻の記憶、福島・昭和村に残るからむし織の手仕事、神事を支える職人の技、そして江戸時代に最上とたたえられた麻織物まで、日本の麻が紡いできた奥深い世界をたどります。
【放送日:2026年1月5日(月)13:00 -13:30・NHK BSP4K】
【再放送:2026年2月18日(水)17:30 -18:00・NHK BS(BS101)】他
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日本人の暮らしと麻|最も身近で清らかな素材
麻は、長いあいだ日本人の暮らしに寄り添ってきた素材です。夏の衣や寝具、袋物や作業着など、日常の中で使われてきたため、「安い」「素朴」といった印象を持たれがちかもしれません。
けれど本来、麻は清らかさの象徴でした。軽くて丈夫、湿気に強く、汚れにくい。その性質は、実用性だけでなく、“穢れを寄せつけない素材”としても重んじられてきた理由です。
日本では古くから、人の身にまとうものは、心や場の状態とも深く結びつくと考えられてきました。麻は、毎日の暮らしの中で使われながらも、同時に“身を正す布”でもあったのです。
今回の美の壺では、麻布研究家による、昔の麻布を用いた美術作品も紹介されます。そこには、衣としての麻だけでなく、日本人が麻に託してきた記憶や感覚が、静かに織り込まれています。
目立たず、主張しない。それでも確かに、暮らしの芯を支えてきた素材。麻は、日本人にとってもっとも身近で、もっとも清らかな布だったのです。
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神社と麻|祓串・鈴緒に込められた意味とは?
神社で目にする祓串(はらえぐし)や鈴緒。それらに、なぜ麻が使われてきたのか――その理由は、麻が持つ清浄の力にあります。
麻は、成長が早く、まっすぐに伸び、強くて切れにくい繊維を持つ植物。その性質から、古くより「穢れを寄せつけない」「場を正す」素材として神事に欠かせない存在とされてきました。
祓串に揺れる麻の繊維は、目に見えない穢れを払い、人と神のあいだを整える象徴。また、参拝者が手にする鈴緒も、音だけでなく、麻という素材そのものが清めの役割を担っています。
麻は藍にも染まりにくいのですが、それは麻の繊維は綿よりも硬く、表面のワックス層や結晶構造が発達しているため、染料が内部に浸透しにくい性質があるからです。
番組では、実に5000本もの鈴緒を手がけた職人の制作現場にも密着。一本一本を丁寧に編み上げるその仕事は、派手さとは無縁ですが、神事を支える確かな手応えに満ちています。
神社の麻は、主張しません。けれど、人の心と場を静かに整える。麻が神事に使われ続けてきた理由は、その語らない力にこそあるのです。
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からむし織|福島・昭和村に残る手仕事
日本各地で使われてきた麻の中でも、特に古い歴史を持つのが、福島県昭和村に伝わるからむし織です。からむしは、苧麻(ちょま)と呼ばれる麻の一種。その繊維は細く、強く、美しい光沢を持つ一方で、扱うには大変な手間と技術を要します。
昭和村では、植物を育て、刈り取り、皮を剥ぎ、繊維を裂き、一本一本を手で績(う)むという、気の遠くなるような工程が今も受け継がれています。効率や大量生産とは無縁の世界。それでも、この地でからむし織が守られてきたのは、単なる布ではなく、暮らしと誇りを支える文化だったからです。
番組では、実際にからむしを扱う人々の手元が映し出され、布が生まれるまでの時間と労力が、静かに伝えられます。そこにあるのは、「便利さ」ではなく、積み重ねてきた時間そのもの。
からむし織は、派手な工芸品ではありません。けれど、人の手を通して生まれた麻布には、使うほどに増していく強さと、凛とした美しさが宿っています。
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奈良晒|最上とたたえられた麻織物
江戸時代、数ある麻織物の中で「最上」とたたえられたのが奈良晒(ならざらし)です。奈良晒は、二種類の麻糸を使い分け、伝統の機で丁寧に織り上げられる高級麻布。軽く、涼しく、そして何より、気品ある白さをたたえています。
その白は、単に漂白された色ではありません。麻本来の性質を生かし、手間を惜しまず晒すことで生まれる、澄んだ白。着る人の身を正し、佇まいまで整える布でした。
番組では、奈良晒を織り上げる現場に密着し、古い機と職人の手仕事が紹介されます。効率よりも確かさを選び、一反一反に時間をかける姿は、麻が「特別な布」であった理由を雄弁に物語っています。
庶民の暮らしに寄り添ってきた麻が、ここでは、美と格式をまとう存在として立ち上がる。奈良晒は、日本の麻文化がたどり着いたひとつの完成形と言えるでしょう。
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まとめ|日本の麻が語り続けてきたもの
美の壺「日本の麻」は、目を引く華やかさではなく、日本人の暮らしと祈りの奥に、静かに流れ続けてきた時間を映し出します。
日常に寄り添う布としての麻。神事で清めを担ってきた麻。人の手で紡がれ、織られてきた麻。そして、最上とたたえられた奈良晒の白。そこに共通しているのは、主張せず、誇らず、それでも確かな強さを持つということ。
麻は語りません。けれど、人の身を包み、場を整え、心を正してきました。日本の麻が伝えているのは、派手さではなく、積み重ねることの価値。静けさの中に宿る美です。