稲わらの奥ゆかしき世界 ――日本の心を形にする、静謐なる素材【美の壺】

机に置かれた編みかけの稲わら細工 BLOG
稲わらは、使い切ることで価値を終える素材ではありません。 残し、編み、結び、次へ渡す。 その営みの中に、日本の文化は静かに息づいてきました。
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――収穫のあとに残るもの

秋、黄金色に実った稲が刈り取られ、田んぼは静けさを取り戻します。 しかし、その静寂のなかに置き去りにされることのないものがあります。 
稲わら。 
それは、実りを支えた“余白”であり、日本の暮らしが長く大切にしてきた循環の象徴です。 
食を終えた後もなお、形を変え、用を得て、祈りを宿す。 
稲わらに向けられてきたまなざしには、自然と共に生きるこの国の美意識が、静かに映し出されています。

【放送日】

NHK BSP4K
2025年12月17日(水)

壺 その一、命を編み継ぐ手 ―― 古代米と稲わら細工

十三種類もの古代米を育てる農家が、収穫後の稲わらを一本一本手に取り、丁寧に編み上げていく。 その所作には、効率や即時性とは異なる時間が流れています。
稲わらは、ただ乾かせば用をなす素材ではありません。 刈り取る時期、干し方、撚りの加減。 すべてが揃って初めて、しなやかで折れにくい“用の器”となります。 
なぜ、そこまで手をかけるのでしょうか。 それは、稲わらが単なる副産物ではなく、田の命を受け継ぐ存在だからです。 食と工芸を分けずに捉える視点こそ、農の文化が育んだ日本独自の感性でした。

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壺 その二、光を宿すかたち ―― 虫かごに見る風雅

夏の宵、ほのかな光を放つホタル。 その命を一時的に預かるために作られた虫かごは、稲わら細工の中でもとりわけ優美な存在です。

蛍かご(出典:「山から福がおりてくる」)
蛍かご(出典:「山から福がおりてくる」)

編み目をあえて不均一にし、風と光が柔らかく抜ける構造。 そこには、閉じ込めるのではなく、共に眺めるという思想があります。 
虫かごは、自然を所有するための道具ではありません。 季節の一瞬を慈しむための“枠”に過ぎない。 その抑制された距離感に、日本の美の核心が潜んでいます。
なぜ、過剰に守らないのか。 それは、自然は人の手を超えた存在であると、知っていたからです。

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 壺 その三、労働を支える美 ―― 庄内の「ばんどり」

山形県庄内地方に伝わる「ばんどり」。 それは、重労働を支えるために生まれた、稲わらの道具です。

ばんどり(出典:文化遺産オンライン)
ばんどり(出典:文化遺産オンライン)

背負い、締め、荷を安定させる。 その構造は驚くほど合理的で、同時に無駄がありません。 美しさを目的としたものではない。 しかし、用に徹したその姿は、結果として凛とした佇まいを獲得しています。
九十一歳の名人が作る婚礼用の「羽根ばんどり」は、実用を超え、祝儀の象徴となりました。 働くための道具が、人生の節目を飾る装いへと昇華する。 そこに、労働と祝祭を分けない思想を見ることができます。

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壺 その四、祈りを結ぶ線 ―― 玉しめ飾りと現代の感性

稲わらは、祈りのかたちにも姿を変えます。 父から子へと伝えられた技によって生まれる玉しめ飾り。 その円環は、終わりのない時間と、再生への願いを象徴しています。
現代のアーティストが、この伝統に魅せられた理由は明快です。 過剰な装飾を排し、素材の力だけで空間を整えるその姿勢が、 今なお新鮮な美として立ち現れるからです。
伝統に学び、洗練されたしめ飾りが生まれる。 それは、過去を模倣することではなく、思想を受け継ぐ行為にほかなりません。

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結び ―― 残すという選択

稲わらは、使い切ることで価値を終える素材ではありません。 残し、編み、結び、次へ渡す。 その営みの中に、日本の文化は静かに息づいてきました。
便利さの裏で、多くのものが失われていく現代において、 稲わらが語りかけるのは、 「何を捨てずにいられるか」という問いです。
目立たず、しかし確かにそこにある。 稲わらの工芸は、日本の心を形にした、最も素朴で、最も深い答えなのかもしれません。

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