ホットスポット|消えたはずの世界で飛べない鳥は生きていた!

想像上の古代ニュージーランドの地図 BLOG
スポンサーリンク

かつて、この島のほとんどは海の底に沈んだ――
そんな仮説が、いまニュージーランドで語られている。もしそれが本当なら、この島に生きる「飛べない鳥たち」は、いったいどこで、どうやって生き延びたのだろう。

夜に歩くオウム。森で子育てをするペンギン。空を捨て、地面を選んだキーウィ。彼らは“進化の例外”ではない。

消えたはずの世界で、たまたま、しかし確かに――生きていた存在だ。NHKスペシャル「ホットスポット」は、飛べなかった鳥たちの足跡から、私たちが知らなかった地球の時間をたどっていく。

【放送日:2026年2月1日(日)9:00 -9:49・NHK BSP4K】
【再放送日:2026年2月3日(火)18:11 -19:00・NHK BSP4K】

飛べない鳥たちの王国・ニュージーランド

ニュージーランドは、世界でも珍しい「飛べない鳥たちの王国」だ。
夜の森を歩くオウム・カカポ。匂いで餌を探すキーウィ。海から上がり、森で子育てをするペンギン。どれも少し不思議で、どれもこの島では、ごく自然な光景だった。

長いあいだ、ニュージーランドには鳥を襲うほ乳類の天敵がほとんどいなかった。そのため、鳥たちは空を飛び続ける必要がなかった。飛ぶことよりも、歩くこと。隠れること。夜を選ぶこと。

この島では、「飛ばない」という選択が、静かに、当たり前として積み重なってきた。だから人は、この場所を進化の不思議が集まる“例外の島”だと呼んだ。けれど――それは、物語のまだ半分でしかない。

<広告の下に続きます>

天敵のいない島で、鳥は空を手放した

ニュージーランドの自然を語るとき、必ず触れられる前提がある。それは、この島には長いあいだ鳥を脅かすほ乳類の天敵が存在しなかった、ということだ。大陸とは切り離され、ネズミやイタチ、ネコといった捕食者が入り込む以前、森も地面も、鳥たちにとって比較的安全な場所だった。

空を飛ぶことは、本来、逃げるための能力だ。高く、速く、遠くへ――危険から身をかわすために獲得された。けれど、逃げる必要がなければ、その能力は必須ではなくなる。

翼を大きく保つより、体を重くして地面を歩くほうが楽だったかもしれない。飛ぶために使うエネルギーを、繁殖や成長に回すほうが合理的だったかもしれない。

こうして鳥たちは、少しずつ、少しずつ、空から降りていった。飛ばないことは、衰えではない。この島では、それは環境に寄り添った選択だった。

だから私たちは長いあいだ、ニュージーランドの飛べない鳥たちを「進化のわかりやすい例」として理解してきた。――少なくとも、ここまでは…。

<広告の下に続きます>

島は一度、ほとんど沈んだという仮説

ところが近年、ニュージーランドの自然史を揺さぶる仮説が発表された。それは、この島がかつて――地質学的に見て、ほとんど全域が水没していた可能性がある、というものだ。

もしそれが事実なら、森も、地面も、鳥たちが安心して降りていったはずの場所は、一度すべて、海の下に消えたことになる。

生命は、そこで一掃された。そう考える研究者もいる。ここで、これまでの物語は止まる。天敵がいなかったから飛ばなくなった。安全だったから地上を選んだ。——その前提が、根元から揺らぐ。

なぜなら、島が沈んでいたのなら、飛べない鳥たちは逃げる場所そのものを失っていたはずだからだ。それでも、彼らはいる。キーウィも、カカポも、森で子育てをするペンギンも。この矛盾こそが、いま研究者たちを惹きつけている。

島は本当に、すべて沈んだのか。それとも、わずかに残った場所があったのか? あるいは、別のどこかから、再びこの島にたどり着いたのか? 答えは、まだ出ていない。だが一つだけ確かなのは、この島の鳥たちが「説明しきれない時間」を生き延びてきたという事実だ。

<広告の下に続きます>

飛べない鳥たちは、どうやって生き延びたのか?

島が一度、ほとんど沈んだのだとしたら。そのとき、空を飛べない鳥たちは、いったいどこで生き延びたのだろう。研究者たちは、いくつかの可能性を考えている。

島の一部だけが、かろうじて水面に残っていたのかもしれない。わずかな高地や岩の露頭が、命をつなぐ避難所になった可能性もある。あるいは、鳥たちは一度この島を離れ、別の土地から再びたどり着いたのかもしれない。今は飛べない彼らも、祖先の時代には、まだ空を使っていた可能性がある。

重要なのは、どの説が正しいかを今ここで決めることではない。確かなのは、飛べない鳥たちが地球規模の変動を前に、完全には消えなかったという事実だ。

彼らは、勝ち残ったわけでも、特別に強かったわけでもない。ただ、間に合った。残ってしまった。そして、ここにいる。その存在そのものが、この島の過去に何が起きたのかを、今も静かに問いかけている。

<広告の下に続きます>

進化ではなく「生き残ってしまった記憶」

飛べない鳥たちは、なぜこの島に残ったのか? どの説が正しいのかは、まだ分かっていない。だが、この謎を「進化の成功例」として片づけてしまうと、何か大切なものを見落とす。

彼らは、環境に完璧に適応した勝者だったのだろうか。それとも、たまたま条件が重なり、消えずに済んだ存在だったのか? ニュージーランドの鳥たちは、進化の“答え”というより、過去から残されたメモのような存在だ。

世界が大きく変わったとき、すべてが均等に消えるわけではない。理由の説明がつかないまま、取り残される命もある。飛べないこと。夜に生きること。地面を歩くこと。それらは必ずしも目的をもって選ばれたのではなく、結果として残った形だったのかもしれない。

だからこの島の鳥たちは、進化の図鑑というより、地球の記憶装置のように見える。「なぜ、ここにいるのか」その問いに、今も答えきれない存在として。

<広告の下に続きます>

不在が語る、島と生命の時間

もし島が沈み、多くの命が消えたのだとしたら…。そして、それでもなお飛べない鳥たちが残ったのだとしたら…。この島の歴史は、「何がいたか」だけでは語れない。むしろ、なぜ“いないはずのもの”があるのか。その不在が、長い時間の輪郭を浮かび上がらせる。

ニュージーランドには、かつて巨大な鳥・モアがいた。彼らは残らなかった。一方で、キーウィやカカポは、今もいる。どこで線が引かれたのか? なぜ、こちらは残り、あちらは消えたのか? 明確な答えは、ない。

けれど、不在は偶然ではなく、時間が積み重ねた結果だ。島という閉じた世界では、ほんのわずかな差が、未来を分ける。

たどり着けたか。留まれたか。増えられたか。場所が、間に合ったか。飛べない鳥たちは、そのすべてが、ほんの少しずつ、噛み合った存在なのかもしれない。だからこの島は、進化の展示室ではなく、消えなかった理由が分からないまま残る場所だ。そしてその問いは、今も、静かに続いている。

タイトルとURLをコピーしました