毎日の暮らしのなかで、私たちはどれほど家具を意識しているだろう? 椅子に座り、机に向かい、鏡の前に立つ。その一つひとつの動作は、気づかないほど自然に、家具と結びついている。
かつて日本の家には、「食事の場所」を示す家具はなかった。お膳やちゃぶ台を運び、座る場所も、集まる形も、その都度つくっていた。家具は主張するものではなく、暮らしに寄り添う存在だった。
NHK「美の壺スペシャル」では、ちゃぶ台、椅子、鏡台、たんす――世界の名作から日本の伝統家具までを通して、使われることで育ってきた家具の美をたどる。
それは、飾るための美しさではなく、時間を引き受けてきた道具の姿。家具は、静かに、私たちの生き方を映している。
【放送日:2026年1月31日(土)13:00 -14:30・NHK BSP4K】
暮らしの中心にあった「家具」という存在
家具は、部屋の端に置かれているものではなかった。かつての暮らしでは、人が集まり、手を動かし、時間を過ごす場所に、いつも家具があった。
ちゃぶ台を囲む。椅子に腰を下ろす。鏡の前で身なりを整える。その一つひとつは、特別な行為ではなく、毎日くり返される、ごく普通の時間だった。
家具は、生活を「便利」にするためだけの道具ではない。人の姿勢や距離感、家族の集まり方や、ひとりで過ごす静かな時間までを、自然にかたちづくってきた。
使う人の身体に合わせて、少しずつ馴染み、傷がつき、色が変わる。それでも捨てられず、むしろ手放しがたくなっていくのは、家具が時間そのものを受け止めてきた存在だからだろう。
いつの間にか、家具は「背景」になった。あるのが当たり前で、意識することも少なくなった。けれど、使われ続けてきた家具をあらためて見つめると、そこには人の暮らしのかたちと、積み重ねられた記憶が、静かに残っている。
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今、若い世代に広がる「ちゃぶ台」の魅力
一度は姿を消したはずのちゃぶ台が、いま、若い世代の暮らしに戻りつつある。それは懐かしさだけが理由ではない。
ちゃぶ台には、ダイニングテーブルにはない特徴がある。高さが低く、座る位置が決まっておらず、使い終われば片づけられる。つまり、暮らしを固定しない家具なのだ。
現代の生活は、仕事も食事も休息も、ひとつの部屋で完結することが多い。限られた空間のなかで、場を切り替えるためには、家具に柔軟さが求められる。
ちゃぶ台は、食べるためだけの家具ではない。ノートを広げれば机になり、誰かが来れば囲む場になり、片づければ、何もない空間が戻ってくる。
もう一つ、ちゃぶ台が持つ魅力がある。それは、人と人の距離が自然に近くなることだ。椅子に座る生活では、視線は正面に向き、身体はそれぞれの席に固定される。一方、ちゃぶ台を囲むと、視線は少し下がり、身体は自然と内側に向く。
話すために、少し身を乗り出す。相手の手元や表情が、無理なく視界に入る。そこに生まれるのは、効率ではなく、居心地のよさだ。ちゃぶ台は、「昔の家具」ではない。いまの暮らしに合わせて、もう一度選び直されている家具なのだ。
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世界の名作椅子が語る「身体とデザイン」
椅子は、家具のなかでも特別な存在だ。それは、人の身体を直接、長い時間受け止める道具だから。立つ、歩く、座る。そのなかで「座る」という行為は、身体を預ける行為でもある。
半世紀にわたり、世界中の椅子を1400脚集めてきたコレクターが語るのは、デザインの美しさ以上に、身体との相性だ。背もたれの角度。座面の高さと奥行き。脚の開き方。わずかな違いが、座る人の姿勢や、疲れ方、集中の持続時間を大きく左右する。
国や時代によって、名作と呼ばれる椅子のかたちは異なる。それは好みの問題ではない。人の体格。生活のリズム。座って過ごす時間の長さ。それぞれの文化が、「どんな身体の使い方を前提にしているか」が、椅子の形にそのまま表れている。
椅子は、見るための家具ではない。触れ、座り、使われることで初めて完成する。だから名作椅子は、流行に左右されない。何十年経っても、「また座りたい」と思わせる。それは、人間の身体が、急には変わらないからだ。椅子は、デザインで身体を導く家具。そして同時に、身体の正直さを映し返す鏡でもある。
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鏡台という“自分に向き合う家具”
鏡台は、不思議な家具だ。使うのは、ほとんどの場合、ひとり。そこに座る時間は、誰かに見せるためではなく、自分自身と向き合うためのものだ。
歌舞伎俳優・中村隼人さんが愛用する鏡台は、「化粧前」と呼ばれる。役に入る前、日常の自分から舞台の自分へと切り替える場所だ。鏡に映るのは、顔だけではない。表情、気持ち、集中の度合い。ときには、迷いや緊張まで映し出される。
鏡台は、飾るための家具ではない。収納でも、装飾でもない。心の準備を整えるための場所だ。椅子が身体を支える家具だとすれば、鏡台は、自分を見つめ直すための家具だと言える。
日本の暮らしのなかで、鏡台は長く、静かな役割を担ってきた。朝の身支度。誰にも見せない表情。一日の始まりと終わり。そこでは、効率もスピードも求められない。
必要なのは、少しの時間と、静けさだけ。家具が人の心に関わるとき、それはもう単なる道具ではない。鏡台は、暮らしのなかに残された小さな「ひとりの部屋」なのだ。
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手仕事が生む、究極の機能美
仕事をするための家具には、飾りよりも、まず信頼が求められる。長い時間、同じ姿勢を支えること。道具をすぐ手の届く場所に置けること。使うたびに、余計な迷いが生まれないこと。それらは、図面だけでは決まらない。
長野県・松本で作られる民芸家具は、まさに「使うこと」から形が生まれた家具だ。厚い板、堅牢な構造、手に触れたときの確かな重み。華やかさはない。だが、使い続けるほどに、頼もしさが増していく。
“たんすの女王”とも呼ばれる会津桐たんすも、同じ思想の延長にある。湿気を調整し、中にしまわれたものを守り続けるための構造。絹のような木肌は、結果として生まれた美しさだ。
手仕事の家具は、使う人の生活や仕事を想定し、無理のない形へと削ぎ落とされている。だからこそ、机や椅子、棚といった仕事道具も、使われるほどに評価が定まる。便利かどうかではなく、信頼できるかどうか? 手仕事が生む機能美とは、使う人の時間を裏切らないことなのかもしれない。
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直すことで、未来へつなぐ家具の物語
家具は、いつか壊れる。それは避けられない。脚のぐらつき。引き出しの不具合。椅子のキャスターが、思うように動かなくなることもある。そんなとき、私たちは選択を迫られる。買い替えるか。それとも、直すか。
番組では、祖母の思い出が詰まった家具を修理する現場に密着する。そこにあるのは、新品を選ぶよりも、少し手間のかかる道だ。
直すという行為は、過去をそのまま残すことではない。これからも使い続けると決めることだ。傷や癖を受け入れ、必要なところだけを手当てする。そうして家具は、次の時間を生きる準備を整えていく。
家具は、使われて、美しくなる。そして、直されて、未来へ渡される。買い替えなくてもいい。無理に直さなくてもいい。ただ、「どうしてこれを使い続けてきたのか?」一度立ち止まって考えるだけで、家具との関係は、少し変わる。暮らしを支えてきた道具は、これからの時間を選び直す静かなきっかけをくれる。