牛乳が濃厚で、どこか愛嬌のある姿。「ジャージー牛」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、そんな“乳牛”のイメージかもしれない。けれど今回の「うまいッ!」が光を当てたのは、そのジャージー牛のもうひとつの顔だった。
実はジャージー牛は、肉もおいしい。赤身にはしっかりとうまみがあり、脂には甘さがあるという。なぜ、そんな味になるのか——その答えをたどっていくと、行き着くのは特別な飼育技術や希少性ではなく、牛がどんな環境で、どんな毎日を過ごしているかという、ごく当たり前の事実だった。
広島県三次(みよし)市。草を食べたいときに食べ、自由に歩き、穏やかに過ごす。そんな“牛にとっての自然な暮らし”が、結果として肉の味をつくっていく。ジャージー牛のおいしさは、効率や数字ではなく、生き方そのものから生まれていた。
ジャージー牛はなぜ乳牛として知られてきたのか?
ジャージー牛と聞いて、まず思い浮かぶのは「濃厚な牛乳」だろう。実際、日本でもジャージー牛は、乳脂肪分が高くコクのある牛乳を出す乳牛として知られてきた。その理由はとてもシンプルで、量より質を重視する牛だったからだ。
ホルスタインのように大量の乳を出す牛に比べ、ジャージー牛の乳量は多くない。けれど、その分、乳脂肪分やたんぱく質が豊かで、味に深みがある。高度経済成長期以降、「たくさん搾れる牛」が求められる時代の中で、ジャージー牛は主役にはなりきれなかったが、“おいしい牛乳”を知る人たちに、静かに愛され続けてきた存在だった。
もうひとつ、乳牛としてのイメージを強めた理由がある。それは、ジャージー牛が小柄でおとなしい性格だということ。扱いやすく、搾乳にも向いていることから、乳牛としての役割が自然と定着していった。だから私たちは、「ジャージー牛=牛乳」というイメージだけを、当たり前のように受け取ってきたのかもしれない。
けれど本来、牛は“乳用”・“肉用”と、きれいに線を引ける存在ではない。どんな環境で育ち、何を食べ、どう過ごしてきたのか。その積み重ねが、乳にも、肉にも、味として現れる。ジャージー牛の肉がおいしい理由を知るには、まずこの「乳牛」という固定観念を、そっと横に置くところから始める必要がありそうだ。
<広告の下に続きます>
のびのび育つ牛が、なぜおいしいのか?
ジャージー牛の肉がおいしい理由は、特別な品種だから、というだけではない。番組が伝えていたのは、牛がどう生きてきたかが、そのまま味になる、という事実だった。
広島県三次市の牧場で育つジャージー牛は、決められた時間に決められた量のエサを与えられるのではなく、草を食べたいときに食べ、歩きたいときに歩く。できるだけ、牛のリズムに合わせた暮らしをしている。
ストレスの少ない環境で育った牛は、筋肉が硬くなりにくい。その結果、赤身にはうまみが残り、脂には自然な甘みが生まれる。これは、特別な調味料でどうにかできるものではない。
もうひとつ大きいのが、エサへのこだわりだ。番組で紹介されていたのは、牧草を発酵させた“牛のための漬物”。季節によって変わる草の状態を見極め、一年を通して安定した栄養を届ける工夫が、牛の体をつくっていく。
のびのびと育てる、というのは、放っておくこととは違う。牛の様子をよく観察し、手をかけるところはきちんとかける。その積み重ねが、「コクがある」「甘みがある」と言われる味につながっている。
おいしさは、あとから足すものではなく、最初から育てられている。ジャージー牛の肉は、そんな当たり前のことを、あらためて思い出させてくれる存在だった。
<広告の下に続きます>
「牛のための漬物」って何? 牧草づくりの工夫
番組の中で、思わず耳を引いた言葉がある。それが「牛のための漬物」だ。漬物、と聞くと人の食卓を思い浮かべるが、ここで言う漬物は、牛のエサとなる牧草のこと。刈り取った牧草を発酵させ、一年を通して安定した栄養を届けるための工夫だ。
牧草は、季節によって状態が大きく変わる。夏はよく育つが、冬には量も質も落ちてしまう。その差を埋めるために、発酵という自然の力を借りる。まるで、人が冬に備えて保存食を作るのと同じ発想だ。
発酵させた牧草は、栄養価が保たれ、消化もしやすくなる。牛にとっては、体に負担がかからず、日々の調子を整えてくれるエサになる。
ただし、発酵させれば何でもいいわけではない。草の刈り取りのタイミング、水分量、空気の遮断。どれかひとつ欠けても、良い「漬物」にはならない。
牛がよく食べ、体調を崩さない状態を保てているか。その様子を見ながら、毎年少しずつやり方を調整していく。ここにも、派手さはないが、確かな手間が積み重なっている。
のびのび育つ環境と、体を内側から支えるエサ。その両方がそろって、はじめてジャージー牛の味が形になる。「おいしい肉」は、特別な瞬間に生まれるのではない。こうした、日々の地味な作業の積み重ねの先に、静かに用意されているのだ。
<広告の下に続きます>
余すことなく味わう ジャージー牛の料理
牧場で育った時間は、最終的に一皿の上で、はっきりと姿を現す。番組で紹介されていたのは、フレンチシェフによるジャージー牛の料理。派手な演出よりも、素材そのものの味をどう引き出すかに、神経が注がれていた。
焼きすぎない赤身。しつこさのない脂。口に入れたとき、最初に来るのは強さではなく、じわっと広がるうまみだという。噛むほどに味が深くなり、自然と次の一口が欲しくなる。
印象的なのは、特定の部位だけを特別扱いしないこと。ステーキになる部分も、煮込みやソースに使われる部分も、それぞれに役割がある。余すことなく使うという姿勢は、牛がどんなふうに育ってきたかを、きちんと受け止めることでもある。
シェフの料理は、ジャージー牛を主役にしながらも、自己主張は強くない。「この牛は、こう育った」その事実を、皿の上で静かに伝えているようだった。
手軽にできる家庭向けのレシピも紹介されていたが、そこでも大切にされていたのは、焼きすぎないこと、味を足しすぎないこと。特別な技術よりも、素材を信じる姿勢が前に出ていた。
のびのび育った牛は、そのまま、のびやかな味になる。料理は、それを無理に変えるのではなく、そっと形にする役割を担っているだけなのだ。
<広告の下に続きます>
まとめ おいしさは、どこから生まれてくるのか?
ジャージー牛のおいしさをたどっていくと、特別な技法や派手な演出に行き着くわけではなかった。草を食べたいときに食べ、自由に歩き、穏やかに過ごす。牛の暮らしを尊重すること。
その体を内側から支えるために、牧草を育て、発酵させ、一年を通して手をかけ続けること。そうして育った牛は、赤身にうまみを蓄え、脂に自然な甘さを持つ。
料理は、その結果を無理に変えるのではなく、焼きすぎず、味を足しすぎず、そっと受け取る役割を担っている。
ステーキは「焼くだけ」と言われることもある。けれど本当は、どこで火を止めるか、どれだけ待つか、どこまで手を出さないか。その選択ひとつひとつが、味を大きく変えてしまう。
ジャージー牛の肉は、育てる人、支える人、料理する人、そして食べる人まで、すべての距離が近い。だからこそ、おいしさの理由が、どこか納得のいく形で伝わってくる。
「うまいッ!」と感じる瞬間の裏側には、数字には表れにくい時間と手間がある。ジャージー牛は、そのことを、静かに教えてくれる存在だった。