「梨みたいに甘い大根がある。」
そんな話を聞いても、最初は少し信じがたい。大根といえば、おでんや煮物の名脇役。甘いと言っても、せいぜい出汁を含んだやさしい甘み——そう思っている人も多いはずだ。
けれど山梨県北杜市には、「梨のよう」と例えられるほど甘く、しかも極太でみずみずしい大根があるという。その名は、浅尾大根。糖度は通常の倍近く。生でも、煮ても、干してもおいしい。そして今、和とイタリアン、二つの料理の世界で、その可能性が広がっている。
なぜ、浅尾大根はここまで甘く育つのか。料理人たちは、その味をどう受け止め、どう仕立てるのか。食彩の王国が見つめるのは、一本の大根に重ねられた、土地と人の時間だ。
【放送日:2026年1月10日(土)9:30 -9:55・テレビ朝日】
山梨が誇るブランド野菜・浅尾大根
浅尾大根は、山梨県北杜市で育てられてきたブランド大根だ。特徴は、ひと目でわかるほどの極太でまっすぐな姿と、切った瞬間に伝わるみずみずしさにある。アクが少なく、きめが細かい。火を入れても煮崩れしにくく、それでいて、芯までやわらかくなる。
さらに、生でかじると驚くほど甘い。その甘みは、砂糖のような強さではなく、果物を思わせる、澄んだやさしさだ。この土地では昔から、収穫した大根を軒先に干し、保存食としても大切にしてきた。厳しい寒さの中で水分が抜け、甘みが凝縮されていく干し大根は、浅尾大根のもう一つの顔でもある。
浅尾大根を育てる生産者・保坂幸永さんは、大根農家として20年の経験を重ねてきた。途中、害虫被害などで畑が全滅した年もあったという。それでも育て続けてきたのは、この土地でしか出せない味に、確かな手応えがあったからだ。
「梨みたいに甘い」
そんな言葉で語られる浅尾大根の味わいは、偶然ではなく、土地と人が積み重ねてきた時間の結果なのだ。
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甘さの秘密はどこにある?(栽培の工夫)
浅尾大根の甘さは、偶然ではない。「糖度が高い」という結果の裏には、土地の条件と、人の工夫が重なっている。北杜市・明野地区は、日照時間が日本有数に長い。昼間にたっぷり光を浴び、夜はぐっと冷え込む。この寒暖差が、大根の中に糖を蓄えさせる。
さらに、土づくりにも時間をかける。水はけがよく、根がまっすぐ深く伸びる畑。過度に水を与えず、大根自身がじっくりと養分を蓄えるよう導く。その結果、繊維はきめ細かく、水分をたっぷり含んだ、みずみずしい身に育つ。
生産者の保坂さんが大切にしているのは、「大きくすること」ではなく、最後まで健やかに育て切ることだという。極太で真っ直ぐな姿は、手間を惜しまなかった証でもある。甘いから評価されるのではない。育て方が味に表れ、その積み重ねが、「梨みたい」と言われる甘さにつながっている。
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高級ホテルも惚れた浅尾大根(イタリアン編)
八ヶ岳南麓の高原にある 星野リゾート リゾナーレ八ヶ岳。そのメインダイニングとして知られる野菜イタリアンOTTO SETTE では、地元野菜を主役にした料理が提供されている。そこで注目されている食材のひとつが、浅尾大根だ。
一般に、大根は加熱して使われることが多いが、浅尾大根は生でも成立する甘さと食感を持つ。カルパッチョに仕立てると、みずみずしさとやわらかな甘みが際立ち、オリーブオイルや酸味と自然に調和する。

さらに印象的なのは、加熱時間を変えて二つの表情を楽しませる煮込み。短時間で火を入れた部分はシャキッとした歯触りを残し、じっくり煮込んだ部分は、とろりとした口当たりに変わる。同じ一本の大根から、異なる食感と味わいを引き出せるのは、素材そのものの力があってこそだ。
料理人が浅尾大根に惹かれる理由は、「甘いから」だけではない。主張しすぎず、他の食材を受け止め、料理全体の輪郭を整えてくれる。その懐の深さが、イタリア料理という舞台でも、確かな存在感を放っている。
土地で育まれた一本の大根が、高原のレストランで、新しい表情を見せる。浅尾大根は今、和の枠を越えて、料理の世界を静かに広げている。
【地元食材にこだわる野菜イタリアン】リゾナーレ八ヶ岳「OTTO SETTE」
住所:山梨県北杜市小淵沢町129−1
TEL:0551-36-5201
URL:https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/risonareyatsugatake/
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7年連続三つ星“新日本料理の匠”が仕立てる浅尾大根
八ヶ岳の木立の中にたたずむ日本料理店、八ヶ岳えさき。店主・江﨑新太郎さんは、東京・青山で7年連続三つ星を獲得した、日本料理界を代表する料理人のひとりだ。その江﨑さんが浅尾大根に向き合ったとき、選んだのは、甘さを誇張することでも、技巧を前に出すことでもなかった。
大根という野菜が本来持つ、静かな輪郭を、どう引き出すか。そこに心を砕いたという。浅尾大根は、火を入れても崩れにくく、それでいて、芯までやわらかい。刃を入れたときの感触、出汁を含んだあとの質感、噛んだ瞬間に広がる、澄んだ甘み。そのすべてが、料理の構成に耐える強さを持っている。
江﨑さんが仕立てた料理では、浅尾大根に、意外な食材が組み合わされる。果物のような甘みを持つ大根だからこそ、異なる素材と出会っても、味が濁らない。むしろ、互いを引き立て合い、新しい表情を生み出していく。
ここで主役なのは、料理人の技ではなく、一本の大根が持つ可能性だ。匠の仕事は、それを見極め、余計なものを足さずに、最も美しい位置に置くことなのかもしれない。浅尾大根は、和の世界においても、“脇役”では終わらない。素材の力と、料理人の眼差しが重なったとき、一本の大根は、確かに料理の中心に立つ。
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生でも、干しても――浅尾大根のもう一つの顔
浅尾大根の魅力は、料理人の手の中だけにあるわけではない。この土地では昔から、大根は日々の暮らしの中で使い切る野菜として親しまれてきた。収穫期になると、家々の軒先に大根が干される。厳しい寒さと乾いた空気の中で、水分が抜け、甘みがぎゅっと凝縮されていく。
干し大根や漬物は、保存のためだけでなく、味を深めるための知恵でもあった。浅尾大根は、生でもおいしい。みずみずしく、辛味が出にくいから、薄く切ってそのまま味わっても、素材の甘さがすっと伝わってくる。
一方で、干すことで、また別の表情を見せる。噛みしめるほどに、静かな甘みが広がるのだ。生で、火を入れて、干して。どの形でも成立するのは、大根そのものが健やかに育っている証しだ。
特別な料理に仕立てなくても、日々の食卓で、しっかりと役割を果たす。浅尾大根は、ハレの日の一皿にも、ケの日の保存食にも、同じように寄り添ってきた。その積み重ねが、今あらためて評価されている理由なのだろう。
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まとめ
梨のように甘い浅尾大根は、特別な料理のためだけに生まれた野菜ではない。この土地で育ち、日々の食卓に並び、干され、保存され、使い切られてきた存在だ。その積み重ねが、料理人の手に渡ったとき、新しい表情を見せただけのこと。
浅尾大根は、“よそ行き”と“普段使い”のあいだを、自然に行き来できる力を持っている。今が旬の大根は、今日の一品にもなり、少し先の楽しみにもなる。そんな当たり前の豊かさを、あらためて教えてくれる一本だ。