海と陸の境目で、時間は静かに育っていく。北海道・厚岸(あっけし)町は、南に太平洋、北に草原を抱く、ひらかれた土地だ。淡水と海水が混ざり合うこの海で、牡蠣は急がず、大きくなる。低い水温の中、季節を幾度も越えながら、深い甘みを蓄えていく。
その時間に寄り添うように生まれたのが、厚岸のクラフトビール「オイスターラガー」だ。牡蠣が育つ場所――フランス語で huîtrière(ユイトリエール) と名付けられたこの一杯は、味わうための飲み物であると同時に、時間を感じるための存在でもある。
あさイチ中継が伝えるのは、カキに合うビール、という驚きだけではない。海と時間が育てた一杯が、どんな風景の中から生まれてきたのか、その物語だ。
【放送日:2026年1月22日(木)8:15 -9:55・NHK総合】
厚岸という土地が育むもの
厚岸町には、太平洋に面した汽水湖――厚岸湖がある。淡水と海水が混ざり合うこの湖は、牡蠣が育つ場所として、長い時間をかけて選ばれてきた。川から運ばれる栄養と、海の塩分。そのバランスが、厚岸湖では一年を通して保たれている。
水温は低く、流れは穏やか。牡蠣は急いで大きくなることを許されず、季節を何度も越えながら、ゆっくりと身を太らせていく。その時間が、厚岸の牡蠣の味になる。
ぷりっとした身の張り。噛むほどに広がる、やさしい甘み。蒸しても、揚げても、旨みが逃げないのは、育つ過程で、しっかりと時間を使ってきた証だ。生で食べるのもいい。けれど、火を通しても負けない強さを持つところに、厚岸の牡蠣らしさがある。
この土地は、何かを急いで生み出す場所ではない。水と季節と時間が、黙って働き続ける場所だ。だからこそ、ここで生まれるものは、どこか深く、静かで、確かだ。厚岸という土地そのものが、育むという行為を、今も続けている。
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牡蠣の殻と貝柱を使うという発想
「ビールに、牡蠣?」
多くの人が、まずそこで立ち止まる。爽快で苦みのある飲み物と、海の滋味。一見すると、遠い世界の組み合わせに思えるかもしれない。けれど厚岸では、その発想は突飛なものではない。牡蠣は“食べるもの”であると同時に、この土地そのものを形づくってきた存在だからだ。
殻は、海のミネラルを抱えた器。貝柱は、旨みの芯。それらを発酵の過程にそっと加えることで、ビールは「牡蠣味」になるのではなく、海辺の空気を含んだ味へと変わっていく。
前に出すぎない塩気。苦味の角をなだめる、わずかな丸み。飲み終えたあと、舌の奥に残る静かな余韻。それは、牡蠣を主張するためのビールではない。牡蠣が育った時間と環境を、そっと溶け込ませたビールだ。
huîtrière(ユイトリエール)が大切にしているのは、素材を使うことよりも、素材が育ってきた背景に寄り添うことなのだと思う。だからこの発想は、驚きでありながら、どこか納得できる。厚岸という土地で、牡蠣のそばに生きてきた人たちが考えたなら、こうなるのは自然だった──そんなふうに、あとから気づかされる。
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“育む時間”に寄り添うクラフトビール
このクラフトビールが生まれた背景には、派手な挑戦譚よりも、静かな「戻ってくる」という選択がある。
コロナ禍。厚岸町出身の柴田貴美さんは、町に戻り、「自分にできることは何だろう」と考えた。観光でもなく、特産品の拡張でもなく、この土地で、何かを“育てる”こと。
けれど、ビール造りのノウハウはなかった。そこで声をかけたのが、北海道とは何のゆかりもなかった福岡の醸造所で修業を積んでいた、娘の小学校の同級生・長谷川太一さんだった。知識と技術。土地への想い。それぞれが持つ時間が、ここで重なった。
黒ビールに牡蠣殻を使う例は、全国にもある。けれど、低温発酵のラガービールに牡蠣殻を使うという発想は、極めて珍しい。さらに、殻だけでなく、貝柱まで加えて発酵させる。麦芽は燻製にし、スモーキーな香りをまとわせる。やりすぎない。主張しすぎない。素材を押し出すのではなく、時間の中に溶かす。
ひと口目は、驚くほど普通のビールだ。けれど飲み進めるうちに、舌の奥で、牡蠣の甘みと丸みが、ゆっくりと立ち上がってくる。それは、味の変化というより、時間の経過に近い。
この一杯は、急いで評価されるためのビールではない。一人で飲む夜にも、大切な人と分け合う時間にも、そっと寄り添う存在としてつくられている。
だからブランドは、自らをこう定義する。huîtrière――牡蠣が育つ場所。それは同時に、時間を育む場所でもあるのだと。
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この時間を、どこで味わうのか?
厚岸オイスターラガーは、特別な場所に行かなければ出会えない“遠い存在”ではない。弟子屈の川湯温泉のように、湧いた湯が町へと流れていくように、このビールも、静かに外へと開かれている。
厚岸町のブルワリーには、併設されたレストランがあり、ここでは牡蠣はもちろんのこと、出来立てのオイスターラガーを、土地の空気と一緒に味わうことができる。目の前に広がる厚岸の風景。冷たい海と、湿った草原の匂い。その中で飲む一杯は、「味」以上に、時間の記憶として残るだろう。
けれど、厚岸は遠い。そう感じる人も、きっと多い。そのために用意されているのが、ネット通販という、もうひとつの入口だ。缶に描かれたローマ数字。それぞれに設定された“時刻”。一人で静かに飲む夜も、誰かと分け合う夕暮れも、このビールは、飲む人の時間にそっと寄り添う。
急がなくていい。無理に語らなくていい。冷蔵庫に一本入っているだけで、その日が、少しだけやわらぐ。厚岸の牡蠣が、ゆっくりと時間をかけて育つように。このビールもまた、飲む人の時間の中で、完成していく。
ユイトリエール
- 北海道厚岸郡厚岸町港町2丁目83番地
- TEL:0153-67-8707
- 営業時間:11:30~16:00(日・月曜)、
- 11:00~14:00、17:00~20:00(木~土曜)
- 定休日:火・水曜
- URL:https://huitriere.com/
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まとめ|時間が育てた味に、そっと寄り添う
厚岸のクラフトビールは、奇抜さで驚かせるために生まれたものではなかった。冷たい海と、淡水が混じり合う湖。ゆっくりと育つ牡蠣。その時間を、無理に急がせず、そのままビールづくりに重ねただけ。
牡蠣の殻や貝柱を使うという発想も、「特別なこと」をしたかったからではない。この土地で生まれ、この土地で育ったものを、そのまま、もう一度生かしたかっただけなのだ。
huîtrière(ユイトリエール)は、飲み物でありながら、「時間のあり方」を静かに示している。急がなくていい。比べなくていい。誰かに誇らなくてもいい。
一人で飲む夜も、大切な人と分け合う時間も、その瞬間ごとに、ちゃんと意味がある。厚岸の牡蠣がそうであるように、このビールもまた、時間が育てた味なのだ。だからきっと、飲み終えたあとに残るのは、酔いよりも、やさしい余韻。——その時間に、そっと寄り添うための一杯。
