こんにちは鳥巣です。3/3のあさイチでは、北海道の白老町から、アイヌ民族の文様が紹介されるようです。もう数十年前のこと、私が中学生の時、旅行で訪れた阿寒湖では、アイヌの民族伝統工芸のお店が集まった「アイヌコタン」では、「自分はアイヌです」というお兄さんが、「東京の新宿伊勢丹で贈り物の包み方を勉強した」と言っているのを聞いて、こんなところにも東京の文化が入り込んでいるのかと、ちょっとびっくりした覚えがあります。
なぜアイヌは文字を持たなかった?
アイヌ民族のアイヌ語は文字を持たず、口承によって伝えられてきました。その基本的な考え方の中には、文字は本来、特権階級が使うものあって、八百万の神の下で、万物と共生しているという考えを持つアイヌ民族にとって文字は必要なかったというわけです。
アイヌ語は文章の語順こそ日本語と同じですが、発音の仕方や文法など世界でただひとつの言語と言われています。アイヌ語は母語の話し手がすでにいなくなっていて、消滅の危機にある言語ともいえます。
簡単な単語ならかつて、ラーメンチェーンの「どさん子大将」の店内装飾に使われていた暖簾に、アイヌ語の単語が書かれていたこともありました。例えば、
- カムイ:神様
- イランカラプテ:こんにちは
- イヤイライケレ:ありがとう
- コタン:村、集落
- ヌプリ:山
- オンネトー:年老いた、大きな(オンネ)+沼(トー)
- フーラヌイ:香りのするところ、(硫黄の)臭いのするところ、(富良野の語源)
などがあります。北海道の地名などには多く残されています。
またアイヌ民族には、身の回りのあらゆるものに神様が宿っているとする考えがあるので、アイヌの民話には興味深い話が出てきます。例えばオイナカムイ(アイヌの神様)はあらゆるものを創造されました。キリスト教の聖書でいう天地創造や、日本書紀の国造りのお話のようなものです。
そのオイナカムイが下界に降りて歩いていると、急にウンチがしたくなりました。そこで急いでお尻をまくって用を足しましたが、困ったことにお尻を拭くものを持っていません。仕方なくそこら辺にある降ったばかりの雪を丸めてお尻を拭きました。
拭いた後はその雪玉を、ポイッと投げ捨てて行ってしまいました。投げられた雪玉はコロコロと転がっていきましたが、偉い神様の使ったものなので、溶けずにウサギになりました。エゾユキウサギの耳の先に黒いところがあるのは、神様がお尻を拭いたときに汚れたところなのだそうです。(参考資料:アイヌ民話集・北書房)

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アイヌの文様が意味するものはなに?
伝統的に、アイヌの衣装は動物の毛皮を利用した獣皮や、魚の皮をつなぎ合わせた魚皮、鳥の羽毛を用いた鳥皮、そして植物を利用した靭皮で織られていました。
しかし江戸時代後半に、民衆の間にも木綿が普及するようになると、アイヌ民族の間でも木綿で着物が作られるようになります。木綿布はアイヌ語でセンカキ。獣や魚の皮に比べて加工しやすい木綿布に出会うことで、刺繍技術の可能性はぐんと広がることになったといいます。
アイヌ伝統の「木綿衣」には主に三種類の刺繍が見られます。
- ウルンペ「ル」はアイヌ語で「道」です。帯状にした布を折ったり曲げたりして、道を作るように文様を描いていきます。木綿に限らず絹やメリンスなどの布を張り合わせ、刺繍もふんだんに施されてとても華やか。手が込んでいて豪華なルウンペは、儀式などで主に晴着として着用されました。
- カパラミプ帯状にした布ではなく、大判の白い布を文様の形に切り抜き、木綿布に張り付けます。布が豊富に手に入るようになった明治時代頃から作られるようになったといいます。こちらも晴着です。
- チヂリ布を張り合わさず、木綿布に直接刺繍を施したものです。左右対称のアイヌ文様は、布を半分に折り、糸で目印をつけることで作られていきます。これは定規やコンパスがない時代、木の内皮の繊維で作られるアイヌの伝統衣装・靭皮衣(じんぴい)で培われた技術です。この技術は材料が木綿に変わっても継承され、現代でも基本原則となっています。
刺繍の技術は、伝統的には母から娘へと受け継がれていく女性の仕事だったといいます。アイヌの男性は年頃になると、自ら文様を刻んだマキリ(小刀)を持って女性にプロポーズします。そして女性は、自ら刺繍を施したテクンペ(手甲)を愛しい男性に贈るのだそうです。

冬の間、女性は家族や恋人に危険が及ばないよう、一針一針に祈りを込めて作業をしました。刺繍に要する集中力は並大抵のものではなく、一日何時間もできるものではない、といいます。アイヌ文様の「呪力」とは、魂宿る一針にこそあるのかもしれません。
アイヌ文化では、あらゆるものにカムイ(神)が宿るとされています。大自然の営みの中に、自らを組み込むようにして生きてきたアイヌ民族は、自然事象の変化や、自然が持つ人智を超えた力に非常に敏感でした。
文字を持たなかったアイヌ民族は、口承文学や、歌、踊り、刺繍や彫刻などの手仕事によってカムイとアイヌ(人)の世界の関わりを表現してきたのではないでしょうか?
渦巻文様のモチーフは、世界中さまざまな文化で見られる文様でもあります。身近なところでは、日本の巴紋、雷紋、唐草紋、あるいは縄文土器にも渦巻文様のモチーフは多く出てきます。
また、アイヌ文化では、タラの木やハナマシなど棘のある植物には呪術性があると考えられていました。日本文化ではヒイラギやサカキが神聖な木とされますが、これも古くから、植物の鋭い棘に霊力が宿ると信じられていたからです。

アイヌ刺繍の特徴の一つに、裏地の美しさが挙げられます。刺繍の終わりに玉結びをせず、布の中に織り込んでいくので糸の終わりがどこにあるのかわかりません。そのため裏を返してみると、表とはまた違う、刺し子のような魅力が現れます。ここでも、「全ての布や糸を粗末にしない」という考え方が表れているようです。(参考資料:和樂web)
北海道の白老町には「ウポポイ」という、アイヌ文化の振興や普及啓発を目的とした施設があります。アイヌの歴史や文化等について十分な理解が得られていない上に、伝承者の減少やアイヌ語・伝統工芸などが存立の危機にあるといった課題に対応するために、2020年(令和2年)に開業しました。
ウポポイ 民族共生象徴空間
- 北海道白老郡白老町若草町2丁目3
- TEL:0144-82-3914
- 営業時間:9:00〜17:00 土日祝日(3/1~3/10は休業)
- 定休日:月曜、年末年始
- URL:https://ainu-upopoy.jp/
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まとめ
なぜアイヌは文字を持たなかった?
アイヌ民族のアイヌ語は文字を持たず、口承によって伝えられてきました。その基本的な考え方の中には、文字は本来、特権階級が使うものあって、八百万の神の下で、万物と共生しているという考えを持つアイヌ民族にとって文字は必要なかったというわけです。
アイヌの文様が意味するものはなに?
文字を持たなかったアイヌ民族は、口承文学や、歌、踊り、刺繍や彫刻などの手仕事によってカムイとアイヌ(人)の世界の関わりを表現してきたのではないでしょうか?渦巻文様のモチーフは、世界中さまざまな文化で見られる文様です。アイヌ文化では、タラの木やハナマシなど棘のある植物には呪術性があると考えられていました。これも古くから、植物の鋭い棘に霊力が宿ると信じられていたからです。