会津の絵ろうそくとは?その歴史は?【あさイチ】

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こんにちは鳥巣です。11/26のあさイチでは、会津若松から絵ろうそくが中継されるようです。今週は仙台放送局で、あさイチ・東北担当の岩﨑果歩アナがレポートしてくれるようです。会津では古くから会津漆器が有名ですが、会津絵ろうそくも会津漆器と関係があるようです。

会津絵ろうそくとは?

古くから会津地方に伝わる絵が描かれた和蝋燭(ろうそく)です。他の和蝋燭と同様に、和紙で作った芯を溶かした蝋に何度も浸けて、少しずつ太らせて作ります。

最後にカンナで削って表面を滑らかにした蝋燭に、絵の具が塗れるように”呉汁(大豆を水に浸し、すりつぶしたもの)”を塗って、蝋燭の表面に絵の具で絵を描きます。絵付けした蝋燭を、液状の蝋の中に入れて表面をコーティングして、仕上げます。

会津のろうそくの歴史は古く、今から500年ほど前に、当時の領主だった芦名盛信が、会津の産業振興のために漆の植樹を奨励したことに始まったといわれています。

漆樹の樹液は漆塗りの塗料となり、その実からは蝋(ろう)が採取されたので、それ以来、漆器とろうそくは会津の伝統的な産業となりました。

漆の実(出典:山形屋本店)
漆の実(出典:山形屋本店)

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戦国時代の1590年には豊臣秀吉の命で、近江より会津に移ってきた蒲生氏郷(がもう うじさと)公が、近江から優れた技術者を呼び寄せ、品質は更に向上しました。

その後、江戸時代には藩主である松平氏が藩の財源として活用したため、 蝋燭は日本中に行き渡り、会津ろうそくの品質の良さが広く世間に知られるようになりました。

また売り上げ向上をはかるために、蝋燭に絵を付けた「絵ろうそく」が考案され、当時の大名や神社仏閣、上流社会で愛用されました。

絵ろうそく(出典:ふくしまの旅)
絵ろうそく(出典:ふくしまの旅)

特に婚礼の際には一対の絵ろうそくがともされ、これが「華燭の典」の語源になったとも言われています。「華燭」は華やかな灯火や装飾の施された蝋燭を意味しており、「典」は儀式の意です。元来、中国では樺(かば)の灯りを”華燭”と言い、途中で消えないので縁起が良いとされ、それが華燭の典の由来という説もあります。

また昔の中国では、新婚の部屋の飾りによく使われた、龍や鳳凰(ほうおう) といっためでたい図柄を描いた照明器具のことを指すこともあり、かつては「花燭」とも書いて、結婚式を象徴するものとして、詩文によく使われました。

また、花のない会津の冬には、仏壇に供える花の代わりに絵ろうそくを飾るようになったともいわれています。

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会津絵ろうそくはどこで見られるの?

会津若松市内には、絵ろうそくを扱っているお店が何店舗かあり、そういったお店では絵ろうそくの実物を見ることができます。また中にはネット通販を行っているお店もあるようです。

山形屋本店

小澤ろうそく店

ほしばん絵ろうそく店

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まとめ

会津絵ろうそくとは?

古くから会津地方に伝わる絵が描かれた和蝋燭(ろうそく)です。他の和蝋燭と同様に、和紙で作った芯を溶かした蝋に何度も浸けて、少しずつ太らせて作ります。最後にカンナで削って表面を滑らかにした蝋燭に、絵の具が塗れるように”呉汁(大豆を水に浸し、すりつぶしたもの)”を塗って、蝋燭の表面に絵の具で絵を描きます。絵付けした蝋燭を、液状の蝋の中に入れて、表面をコーティングして仕上げます。

婚礼の際には一対の絵ろうそくがともされ、これが「華燭の典」の語源になったとも言われています。また、花のない会津の冬には、仏壇に供える花の代わりに絵ろうそくを飾るようになったともいわれています。

会津絵ろうそくはどこで見られるの?

会津若松市内には、絵ろうそくを扱っているお店が何店舗かあり、そういったお店では絵ろうそくの実物を見ることができます。また中にはネット通販を行っているお店もあるようです。

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