こんにちは鳥巣です。5/23のあさイチではラパルフェの都留拓也さんが福島県の中通りを紹介してくれるようです。東日本大震災以降、福島といえば原発のある浜通りが注目されますが、新幹線の通る福島市や郡山市などの中通りは産業や文化の中心でもあるので、そのディープな魅力についても調べてみました。
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福島といえば合唱の街?!
小学生の頃に合唱団に所属していたこともあって、今でも合唱を聴くのが大好きです。首都圏では千葉の幕張総合高校の合唱団などが有名ですが、全国的に合唱が盛んな県といえば必ずといっていいほど福島県の名前が挙がります。なぜ福島県はこんなにも合唱が盛んなのでしょうか?
福島県の合唱は県中部の郡山市が発祥と言われています。明治時代、郡山は安曇疏水などの開発によって急速に工業都市として発展しましたが、それと同時に雑多な人が集まったことから利権争いが起こり、暴力団の抗争事件も後を絶たなくなり、治安の悪い町という悪評が立ってしまいます。
時は戦後、”表現の自由”を求めて郡山でも美術、音楽、演劇などの団体が数多く結成されるようになりました。そんな昭和29年(1954年)、市民の音楽活動が盛んになってきた郡山で市民の間から、「本格的なオーケストラの演奏会を開きたい」という声が上がります。しかし当時の郡山にはオーケストラの演奏会ができるような施設がありませんでした。
そこで郡山音楽協会と郡山青年文化協会のメンバーは苦労の末、国鉄(現JR東日本)郡山工場の大食堂を借りて演奏会の開催に漕ぎ着けました。それまでの東北では、音楽の演奏会といえば仙台市か福島市と言われてきましたが、NHK交響楽団の演奏会が大成功したことで、郡山が「東北のウィーン」と呼ばれるに至る素地が出来上がりました。
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その後、郡山では著名な団体による合唱、器楽、学校音楽などの活動が盛んになり、暴力団抗争によって「東北のシカゴ」と言われていた郡山が「東北のウィーン」へ変革を遂げていきました。
そんな活動が福島県全体に広がって学校でも合唱部やブラスバンドなどの活動が盛んになって、今の「合唱の街・福島」が出来上がったのです。
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