京料理は、いつから「季節」を食べるようになったの?|旬と名残りに隠された京都の食文化【美の壺】

嵯峨野で味わう京の味 BLOG
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秋になると、松茸や栗、脂ののった鯖など、おいしいものが次々と食卓に並びます。そんな旬の味覚を楽しむのは、京都に限ったことではありません。昔は冷蔵や輸送の技術も限られていて、その季節に採れるものを食べるのが、ごく自然な暮らしだったはずです。

ところが、京料理には少し不思議なところがあります。秋が旬の松茸に、夏の名残りの鱧を合わせる。紅葉の美しさを器の上に表現する。料理を通して、訪れる季節だけでなく、過ぎ去っていく季節まで味わおうとするのです。

京料理は、いつから「旬のものを食べる」だけでなく、「季節そのものを味わう」料理になったのでしょうか。NHK『美の壺』「京の味 秋」では、嵐山の会席料理をはじめ、祇園の鯖寿司や季節限定のいなりずし、丹波栗を使った秋の味覚が紹介されます。

そこにあるのは、食材のおいしさだけなのでしょうか? それとも、長い歴史の中で育まれてきた、京都ならではの季節の楽しみ方なのでしょうか?今回は、京料理の「旬」と「名残り」を手がかりに、昔の人々の食卓と、現代の私たちが味わう京都の秋を、少し違った角度から見つめてみたいと思います。

【放送日:2026年11月9日(月)5:55 -6:25・NHK-Eテレ】

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京料理は、いつから「季節」をごちそうにするようになったの?

秋の嵐山といえば、山々を赤や黄色に染める紅葉と、渡月橋の下を流れる桂川の風景が思い浮かびます。NHK『美の壺』で紹介された嵐山の旅館では、「錦秋」をテーマにした会席料理が登場しました。料理の中に秋の彩りを取り入れ、器や盛り付けにも季節を感じさせる工夫を凝らす。さらに朝食は、平安貴族の舟遊びをイメージした屋形船で楽しむという趣向です。

嵐山は、古くから貴族たちが自然の景色を楽しんできた場所。そんな土地の歴史と、現代の料理人によるもてなしが重なっているのでしょう。でも、ここで一つ疑問が浮かびます。京料理は、いつから食材のおいしさだけでなく、季節の景色まで料理に取り込むようになったのでしょうか?

実は、現在の京料理は、長い歴史の中で異なる料理文化が重なり合って生まれたものです。平安時代の宮廷では、貴族たちをもてなす「大饗料理」が発達しました。室町時代には武家社会で「本膳料理」が整えられ、寺院では野菜や豆腐などを使った精進料理が発展します。

さらに、安土桃山時代から茶の湯が広まると、料理のあり方にも変化が生まれました。茶の湯の席で出される「懐石料理」では、豪華な食材を並べることよりも、客をもてなす心や、料理と器の取り合わせが重視されるようになります。

季節の食材を選ぶだけでなく、その時期にふさわしい器を使い、温かい料理は温かいうちに出す。料理を味わう時間や空間まで含めて、もてなしを考えるようになったのです。

一方、現在の旅館や料亭で親しまれている「会席料理」は、茶の湯の懐石料理とは少し異なります。会席料理は、江戸時代に料理屋の発展とともに広まった、酒宴を楽しむための料理です。本膳料理や懐石料理などの影響を受けながら、一品ずつ料理を出す形式が発達していきました。

つまり、平安時代の貴族たちが、現在のような会席料理を食べていたわけではないのです。それでも、自然の景色を楽しむ文化や、客をもてなすために器や料理を工夫する感覚は、時代を越えて受け継がれてきたのでしょう。

秋の嵐山で紅葉を眺めながら、紅葉を思わせる料理を味わう。それは、単に旬の食材を食べることとは少し違います。料理人が器の上に描いた秋と、窓の外に広がる秋。その二つを重ね合わせることで、食事そのものが季節を楽しむ時間になるのです。

昔は、その季節に手に入るものを食べることが、暮らしの基本でした。けれど、さまざまな料理文化が発展する中で、季節は食材を選ぶ条件であるだけでなく、料理を通して表現するものにもなっていったのでしょう。京料理がごちそうにしているのは、秋の味覚だけではなく、秋という季節そのものなのかもしれません。

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秋の松茸に、なぜ夏の名残りの鱧を合わせるの?

京都の夏の味覚といえば、鱧(はも)を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。祇園祭の頃には、骨切りした鱧をさっと湯に通し、梅肉などでいただく「鱧落とし」が夏のごちそうとして親しまれています。一方、秋の味覚の代表といえば松茸。独特の香りを楽しむ、山の幸です。

NHK『美の壺』では、450年の歴史を持つ老舗料亭が、秋の松茸と夏の名残りの鱧を合わせた料理を紹介していました。でも、夏の魚と秋の茸を一緒にするのは、単に季節の移ろいを表現するためなのでしょうか? 実は、鱧には夏だけでなく、秋にもおいしい時期があるのです。

鱧は初夏から夏にかけて旬を迎えますが、産卵を終えたあと、再び餌を食べて栄養を蓄えます。秋が深まる頃には脂がのり、身にも弾力が出てきます。この秋の鱧は「名残り鱧」や「落ち鱧」と呼ばれ、夏とはまた違った味わいが楽しめるのです。つまり、「名残り」と呼ばれているからといって、おいしさの盛りを過ぎた魚とは限らないんですね。

そんな秋の鱧と松茸を組み合わせた代表的な料理が「土瓶蒸し」です。骨切りした鱧と松茸を、昆布やかつお節のだしとともに土瓶で蒸し煮にする。鱧からはうまみのあるだしが出て、松茸からは秋らしい香りが広がります。松茸の香りを楽しむため、味つけは控えめ。好みによって、すだちを少し搾っていただきます。

ここには、単に二つの高級食材を一緒にしただけではない、味の組み合わせとしての工夫があります。鱧のうまみと松茸の香り。それぞれの持ち味が、互いを引き立てているのです。こうした、相性のよい旬の食材を組み合わせることを、日本料理では「出会い物」と呼ぶことがあります。

そして、京料理では、この組み合わせにもう一つの意味を見いだします。夏を代表する鱧と、秋を告げる松茸。二つの食材が同じ土瓶の中で出会うことで、過ぎ去る夏と訪れる秋を、一度に味わうことができるのです。ただし、これは季節の移ろいを表現するために、無理に旬の違う食材を組み合わせたわけではありません。

実際においしい時期が重なり、味の相性もよい。その組み合わせに、季節の物語を重ねているのでしょう。番組に登場した老舗料亭では、京都の市中とは異なる、里の料理が受け継がれてきたといいます。京都の食文化は、都の中心にある料亭だけで育まれたものではありません。周囲の山里や田畑、そこから運ばれる食材もまた、京料理を支えてきました。

山から届く松茸と、海から届く鱧。異なる土地で育った食材が京都の一皿で出会うところにも、京料理の面白さがあるように思います。旬とは、単にカレンダーで決まるものではありません。魚が脂を蓄える時期も、茸が地上に顔を出す時期も、自然の条件によって変わります。

料理人は、その年、その日の食材を見極めながら、最もよい組み合わせを考えるのでしょう。季節を味わうというのは、料理に秋らしい名前をつけることではなく、自然の変化をおいしさとして受け取ることなのかもしれません。

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海のない京都で、なぜ鯖寿司がごちそうになったの?

京都の名物として知られる鯖寿司。脂ののった鯖を酢でしめ、酢飯と合わせて棒状に形を整えた寿司は、祇園の老舗すし店でも長く親しまれてきました。NHK『美の壺』でも、秋の味覚として鯖寿司が紹介されています。でも、海に面していない京都で、なぜ鯖寿司が名物になったのでしょうか?

その答えを探すと、若狭湾と京都を結ぶ「鯖街道」にたどり着きます。福井県の小浜から京都までは、およそ70km。若狭湾で水揚げされた魚介類は、山を越えて都へと運ばれていました。なかでも鯖は、鮮度が落ちやすい魚です。冷蔵技術のなかった時代、生のまま京都まで運ぶのは難しかったため、漁師や行商人たちは、鯖の内臓を取り除いて塩を施しました。

塩には、魚から水分を引き出し、傷みにくくする働きがあります。そして、ここに面白いことが起こります。傷まないように施した塩が、京都に着く頃には鯖の身になじみ、おいしさを引き出していたというのです。

若狭から京都までの道のりは、徒歩でおよそ一昼夜。その間に鯖の身は締まり、ほどよい塩加減になったと伝えられています。もちろん、運ばれた鯖の塩加減がいつも同じだったわけではありません。強く塩をしたものもあれば、比較的塩分を抑えた「一塩」の鯖もありました。

京都の人々は、そうして届いた塩鯖を、さらに酢でしめ、米と合わせて鯖寿司に仕立てていきます。塩で身を締め、酢で味を整え、酢飯と合わせる。保存のために生まれた工夫が、やがて一つの料理のおいしさを形づくっていったのです。

ただし、鯖寿司は、いつでも気軽に食べられる料理だったわけではありません。海から遠い京都では、魚そのものが貴重な食材でした。そのため鯖寿司は、葵祭や祇園祭、時代祭などの祭礼や、各地の秋祭りに食べる「ハレの日」のごちそうとして親しまれるようになりました。

普段の食卓とは違う、特別な日に食べる寿司。そこには、遠く若狭から運ばれてきた海の幸を、家族や親しい人たちと味わう喜びがあったのでしょう。そして、鯖寿司が秋の味覚として紹介されるのにも理由があります。

秋から冬にかけて脂がのる鯖は、酢でしめても豊かなうまみが楽しめます。さらに、秋は収穫を祝う祭りの季節でもあります。つまり京都の鯖寿司には、魚がおいしくなる季節と、人々がごちそうを囲む季節が重なっているのです。

現代では、冷蔵技術も輸送手段も発達し、新鮮な鯖を京都まで届けることは難しくありません。それでも、塩と酢で鯖をしめ、酢飯と合わせるという料理の形は受け継がれています。かつては魚を傷ませずに運ぶために必要だった技術が、今では鯖寿司ならではのおいしさを生み出す技術になっているのです。

京料理の季節感というと、器に紅葉を飾ったり、旬の食材を美しく盛りつけたりする姿を想像しがちです。けれど鯖寿司の歴史をたどると、少し違う京都の秋が見えてきます。それは、山を越えて運ばれた魚と、祭りの日を楽しみに待つ人々の暮らしから生まれた季節の味。

京都の秋のごちそうは、料理人の美意識だけでなく、食材を運ぶ人々の知恵と、町の暮らしの中でも育まれてきたのですね。

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いなりずしは、なぜ一年中売られていないの?

いなりずしといえば、甘辛く煮た油揚げに酢飯を詰めた、昔から親しまれているお寿司です。お弁当や行楽のお供にもなり、今ではスーパーやコンビニでも一年中買うことができます。ところが、京都・祇園の老舗すし店「いづ重」では、夏の間、いなりずしの販売を休んでいるそうです。なぜなのでしょうか?

秋になれば柚子やごぼうが旬を迎えるから? それとも、季節限定にすることで、特別な味わいを演出しているのでしょうか。実は、その理由は意外に現実的なものでした。いなりずしは傷みやすいため、暑い夏には作らないというのです。

しかし酢飯には酢が使われ、油揚げも甘辛く煮てあります。一見すると日持ちしそうですが、酢飯だからといって、常温で長く安全に保存できるわけではありません。水分を含んだ油揚げやご飯は、温度や保存時間によって傷むおそれがあります。冷蔵設備が十分ではなかった時代、暑い季節に持ち帰りの寿司を売ることには、今以上の難しさがあったのでしょう。

現在では冷蔵技術が発達していますが、いづ重では昔ながらの製法とともに、夏場の製造を休む習慣も守っています。そして、秋になると、いなりずし作りが始まります。店では、かまどでご飯を炊き、油揚げをじっくり甘辛く煮含めます。

酢飯に混ぜるのは、柚子、ごぼう、そして苧の実(おのみ)と呼ばれる麻の実。柚子の香り、ごぼうの風味、麻の実の歯ざわりが、甘い油揚げと酢飯に変化を添えます。さらに秋が深まると、焼いた九条ねぎを使った「大人のいなり」も登場します。こちらは、九条ねぎのおいしい時期に合わせた季節限定の商品です。

つまり、同じ店のいなりずしでも、季節との関係は一つではありません。夏に販売を休むのは、傷みやすさへの配慮。秋から冬に焼き九条ねぎのいなりずしを作るのは、その時期の食材のおいしさを生かすため。季節は、料理を美しく演出するものでもあり、安全に作るために気を配らなければならない条件でもあるのです。

そう考えると、昔ながらの寿司屋が季節によって作るものを変えてきたことにも、少し違った意味が見えてきます。現代の私たちは、季節限定と聞くと、特別な商品や、その時期だけの楽しみを思い浮かべます。けれど、もともとは季節によって食材の状態も、料理を安全に扱える条件も変わっていました。

その違いを受け入れながら、作れる時期に作り、おいしい時期に味わう。祇園のいなりずしには、そんな暮らしの知恵が今も残っているのでしょう。

一年中同じものが食べられる便利さとは別に、季節が来るのを待つ楽しみもある。秋になって、今年もいなりずしが店先に並ぶ。その光景もまた、京都の季節を感じさせるものなのかもしれません。

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丹波栗は、なぜ京都の秋を代表する味になったの?

秋になると、店先に並び始める栗。焼き栗や栗ごはん、栗きんとんなど、栗を使った料理やお菓子には、秋の訪れを感じさせるものがたくさんあります。

なかでも、大粒で豊かな甘みを持つことで知られているのが「丹波栗」です。NHK『美の壺』では、丹波栗を育てる農家の技とともに、甘露煮や栗おはぎなど、栗を使った秋の味覚が紹介されました。でも、丹波栗は、なぜこれほど京都の秋を代表する味として親しまれてきたのでしょうか?

実は、丹波栗という名前は、特定の品種を指しているわけではありません。現在の京都府中部から兵庫県東部などに広がる、かつての丹波国。その地域で育てられてきた栗の総称が、丹波栗なのです。

丹波地方は山々に囲まれた盆地が多く、昼夜の寒暖差が大きい土地です。こうした気候や土壌に加えて、長年にわたる農家の品種選びや栽培技術の改良が、大粒で味わいのよい栗を育んできました。そして、丹波栗の名声は、決して最近になって生まれたものではありません。

平安時代には、丹波の栗が朝廷への貢納品として扱われていました。11世紀の『新猿楽記』にも丹波栗の名が見られることから、当時すでに名産品として知られていたことがうかがえます。さらに江戸時代になると、丹波の栗は京都や大坂で売られるだけでなく、参勤交代で各地を行き来する武士たちによって、その名が全国に広まったと伝えられています。

つまり、丹波栗は現代の宣伝によって突然生まれたブランドではなく、長い年月をかけて評判を築いてきた地域の産物だったのです。とはいえ、昔から有名だったというだけで、おいしい栗ができるわけではありません。栗の木を育て、実の状態を見極め、収穫する。そうした農家の仕事があって、初めて秋の味覚が食卓に届きます。

番組でも、大きくつやのある丹波栗を育てるための農家の工夫が紹介されていました。そして、収穫された栗は、さまざまな料理に姿を変えます。甘露煮は、皮をむいた栗を砂糖で煮含めたもの。栗の形を残しながら、甘みを加えて仕上げます。栗おはぎは、栗を使った餡で餅米を包む、秋ならではのお菓子です。

どちらも、栗そのものの風味を生かしながら、ひと手間をかけて楽しむ料理です。丹波地方では、こうした甘露煮や栗おはぎのほかにも、ゆで栗、焼き栗、栗ごはんなど、さまざまな方法で栗を味わってきました。高級な料亭や和菓子店だけでなく、農家や家庭の食卓にも、栗の季節を楽しむ文化があったのです。

ここで、最初に考えた京料理の季節感を思い出してみます。嵐山の会席料理では、紅葉の景色を料理に取り込み、松茸と鱧の料理では、過ぎゆく夏と訪れる秋を一皿で味わっていました。けれど、丹波栗の場合は、少し違います。

秋になれば栗が実り、人々はそれを収穫し、皮をむき、料理に仕立てる。そこには、季節を表現するための特別な演出がなくても、秋そのものを感じられる暮らしがあります。旬のものを食べることと、季節を味わうことは、もともと切り離せないものだったのかもしれません。

冷蔵技術や輸送手段が発達した現代では、一年を通してさまざまな食材を手に入れられるようになりました。それでも、秋になると栗ごはんを炊いたり、栗のお菓子を楽しみにしたりする気持ちは、今も変わりません。

京料理が大切にしてきた季節感は、料理人が器の上に描く美しい景色だけではなく、こうした日々の暮らしの中にも息づいているのでしょう。丹波栗がおいしいのは、秋という季節が、その土地と人々の手によって育てられてきたからなのかもしれません。


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