富山の町を見下ろすように、なだらかに続く呉羽(くれは)丘陵。市街地のすぐそばにありながら緑が残り、春になると丘の斜面には、梨の白い花が一斉に咲きます。まるで、丘に白い絨毯を敷いたように…。そして夏が過ぎるころ、その花が咲いていた枝には、甘い「呉羽梨」が実ります。
『小さな旅』「花咲く丘で〜富山市 呉羽丘陵〜」で山本哲也さんが歩くのは、そんな花と実りのある丘です。でも、今回出会うのは梨だけではありません。丘を花でいっぱいにしたいと、草花を育てる女性。町を見下ろす展望台を、10年にわたって掃除し続けてきた男性。そして梨畑では、祖母から農家を継ぐことを反対され、一度は会社員になりながらも、やがてこの丘へ帰ってきた男性と出会います。
花を植える人。掃除をする人。梨を育てる人。やっていることは、それぞれ違います。それなのに、なぜでしょう。三人の姿を見ていると、みんな同じ丘を、少しずつ人生を「耕している」ように見えてきます。
呉羽丘陵で梨の栽培が始まったのは、明治時代のこと。水に恵まれず、稲作には決して都合のいい土地ではなかった丘に、人々は梨を植えました。
一本の苗を植え、枝を育て、花を咲かせ、実を結ぶ。それを次の世代へ渡していく。そんな時間が100年以上積み重なって、今では春になると、丘そのものが白い梨の花で覆われる風景が生まれました。だから今回の旅では、こんなことを考えながら歩いてみたいと思います。
なぜ人は、この丘に帰ってくるのでしょう。
きれいな花が咲くから?おいしい梨が実るから?それとも、自分より前にこの丘を耕した誰かの時間が、ここに残っているからでしょうか。きっと、答えは一つではありません。そもそも答えなんて、見つからなくてもいいのかもしれません。
花のそばで立ち止まり、梨畑を歩き、そこに暮らす人の話に耳を傾ける。そうして、この丘で人々が長い時間をかけて耕してきた物語を、少しずつ拾ってみましょう。花咲く丘へ、小さな旅の始まりです。
【放送日:2026年10月9日(金)11:05 -11:30・NHK-総合】
【放送日:2026年10月10日(土)6:05 -6:30・NHK-BSP4K】
【放送日:2026年10月12日(土)4:20 -4:45・NHK-総合】
【放送日:2026年10月16日(金)9:00 -9:25・NHK-BSP4K】
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第一章 呉羽丘陵は、どうして“花咲く丘”になったの?
富山の花と聞いて、まずチューリップを思い浮かべる人は多いかもしれません。春になると色鮮やかな花が並ぶ風景は、富山を代表する景色のひとつです。
でも――。富山の春を彩る花は、チューリップだけではありません。富山市の中心部からほど近い呉羽丘陵では、春になると、もうひとつの花が丘を白く染めます。梨の花です。
枝いっぱいに咲いた白い花。遠くから眺めれば、緑の丘に白い絨毯を広げたようにも見えます。秋になれば甘い実をつける「呉羽梨」。けれど、その始まりをたどってみると、この梨は最初から呉羽丘陵にあったものではありませんでした。
呉羽で梨の栽培が始まったのは、明治時代のこと。丘陵地は水の確保が難しく、水田をつくるには決して恵まれた土地ではありませんでした。だったら、この土地で育てられるものはないだろうか。そこで目をつけたのが、水はけのよい土地を好む梨でした。
東京から苗木を取り寄せ、呉羽の土地で梨を育て始めた人がいたといいます。もちろん、一本の苗木を植えたからといって、翌年から丘一面が梨畑になったわけではありません。梨の木を育てる人がいる。その姿を見て、自分も育ててみようと思う人がいる。
栽培の工夫を伝える人がいて、それを受け取る次の世代がいる。そんな時間が積み重なって、呉羽丘陵には梨畑のある風景が根づいていきました。
ここで、ちょっと不思議なことに気づきます。私たちは梨畑を見ると、つい「農業の風景」だと思います。でも春になれば、その同じ場所が花畑になるのです。人々は梨を実らせようとして木を育ててきた。ところが、その営みが100年以上積み重なった結果、毎年春になると丘そのものを白く染める風景まで生まれました。
つまり呉羽丘陵の「花咲く丘」は、自然だけがつくった景色ではないのでしょう。誰かが土に触れ、木を植え、枝を整え、次の人へ渡してきた。一人ひとりの仕事は小さく見えても、それが長い時間をかけて重なると、やがて土地の景色そのものになる。
そう考えると、この丘には昔からいたのかもしれません。特別な肩書きがあるわけでもない。歴史の教科書に大きく名前が載るわけでもない。それでも、自分の暮らす場所をほんの少し良くして、次の人へ手渡していく――。私たちが勝手にそう呼んでいる、「そのへんのペガサス」が。
そして今も、呉羽丘陵にはそんな人がいます。梨の白い花とは違う花を育てながら、「いつか、この丘を花でいっぱいにしたい」と話す女性です。どうして、そこまでして花を育てるのでしょう。次は、その花が咲く場所まで歩いてみましょう。
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第二章 なぜ、この丘を“花いっぱい”にしたいの?
梨の白い花が咲く季節を過ぎても、呉羽丘陵から花がなくなるわけではありません。丘の一角には、赤や黄色、ピンク。いくつもの花が描くように並べられた、色鮮やかな花畑があります。
自然に生えてきた野の花ではありません。土を整え、苗を植え、伸びすぎた枝葉を切り、草を取り――。そこには、花を育てる人の手があります。
『小さな旅』で山本哲也さんが出会うのは、「呉羽丘陵を花でいっぱいにするのが夢」と話す女性です。なんとも大きな夢です。だって、自宅の庭を花でいっぱいにするのとはわけが違います。相手は、ひとつの丘陵なのですから。
それでも女性は、目の前にある土に手を入れ、ひとつずつ花を育てています。考えてみれば、花を育てるというのは少し不思議な行為です。梨なら、最後には実がなります。野菜なら、収穫して食卓へ運べます。でも花は、咲いたあと、やがて散ってしまいます。
それなのに人は、土を耕し、種や苗を植え、水をやり、草を取り、また翌年も花を咲かせようとします。どうして、そこまでして花を咲かせるのでしょう。もしかすると、その答えは花そのものではなく、花の前で立ち止まる人のほうにあるのかもしれません。
「あ、咲いてる」誰かが足を止める。きれいだね、と隣の人に話しかける。写真を撮る人がいる。来年も見たいと思う人がいる。たった一輪の花から、人と場所との間に小さなつながりが生まれていきます。そして、ここで第一章で出会った梨畑を思い出します。
明治時代、呉羽の土地に梨を植え始めた人たちだって、最初から丘一面を白い花で埋めようと考えていたわけではなかったでしょう。目の前の一本を育てる。また一本を植える。それを誰かが受け継ぐ。その積み重ねが、100年以上たった今、春の呉羽丘陵を白く染めています。
だとしたら――。「丘を花でいっぱいにしたい」という女性の夢も、最初から丘全部を花で埋める必要なんてないのかもしれません。今日、一輪の花を咲かせる。その花を見た誰かが、この丘を少し好きになる。そしてまた誰かが、次の花を育てる。
そんな小さな積み重ねの先に、いつか本当に「花いっぱいの丘」が待っているのかもしれません。そう考えると、ここにもいました。そのへんのペガサス。羽ばたいて空を飛ぶわけではありません。”その辺のペガサス”は誰の目にも触れず、目立たないように普通の道をとぼとぼと歩いています。
赤い手袋をして、土に触れ、草を取り、花の様子を見ながら、今日も丘のどこかにしゃがんでいる。でも、その人が育てた一輪の花によって、昨日まで何でもなかった場所が、誰かにとって「また来たい場所」になることがあります。それだって、立派に風景をつくることなのでしょう。
そして――。人が「また来たい」と思う場所には、花だけではなく、もうひとつ大切なものがあります。その場所が、気持ちよく迎えてくれること。呉羽丘陵の展望台には、訪れる人が気づかないところで、その場所を10年にわたって整え続けてきた男性がいます。
花を咲かせる人の次は、何も咲かせない人。それなのに、もしかすると同じように、この丘の風景を育てている人です。次は展望台まで、もう少し歩いてみましょう。
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第三章 誰も見ていないのに、なぜ10年間も掃除を続けるの?
花畑をあとにして、呉羽丘陵をもう少し歩いてみましょう。展望台へ向かいます。高いところまで来れば、思わず目を向けたくなるのは、その先に広がる景色です。
富山の町並み。そして空気の澄んだ日には、その向こうに連なる山々。「きれいだなあ」訪れた人は、そんなふうに景色を眺めて帰っていくのかもしれません。でも――。そのとき、足元を見ている人はどれくらいいるでしょう。
『小さな旅』で山本哲也さんが出会うのは、この展望台の掃除をボランティアで続けている男性です。その年月は、10年。10年と聞くと長く感じます。けれど、掃除という仕事を考えると、その長さはもっと不思議に思えてきます。
花を植えれば、花が咲きます。梨を育てれば、やがて実がなります。ところが掃除は、きれいにしたところで、何かが増えるわけではありません。むしろ反対です。落ち葉がなくなる。ゴミがなくなる。汚れがなくなる。何もないことが、掃除をした人の仕事の跡になります。
しかも、一度きれいにすれば終わりではありません。風が吹けば、また葉が落ちる。人が訪れれば、また汚れることもある。雨の日もあれば、暑い日もあるでしょう。それでも男性は展望台へやってきて、掃除をする。一年。また一年。それを10年。もしかすると、展望台を訪れるほとんどの人は、その男性の名前さえ知らないのでしょう。
「今日はきれいに掃除されているな」そんなことすら考えず、ただ気持ちよく景色を眺めて帰っていく人もいるでしょう。でも、それでいいのかもしれません。掃除をした人の存在を意識することなく、「ここは気持ちのいい場所だな」と思える。それこそが、この仕事が実った瞬間なのかもしれないからです。
花畑では、咲いている花を見れば、誰かが手をかけていることを想像できます。梨畑でも、枝いっぱいの実を見れば、農家の仕事を思い浮かべることができます。でも、掃除の仕事は違います。きれいになればなるほど、そこにあったはずの人の手は見えなくなっていく。なんだか、それって「そのへんのペガサス」によく似ています。
誰かに見つけてもらうために羽ばたくわけでもない。「私がやりました」と、大きな羽を広げるわけでもない。誰の目にも触れないところで、普通の道をとぼとぼ歩きながら、今日も自分のできることをする。そして、その人が通り過ぎたあとには――ほんの少しだけ、気持ちのいい風景が残っている。
花を咲かせなくても、梨を実らせなくても、人は風景を育てることができるのでしょう。そう考えると、呉羽丘陵の「花咲く丘」という言葉も、少し違って見えてきます。咲いているのは、目に見える花だけではないのかもしれません。
誰かが花を植える。誰かが場所をきれいにする。そして誰かが、その場所を次の世代へ渡していく。そんな小さな営みが重なって、この丘の風景は今日まで続いてきたのでしょう。
さて。展望台から丘を見渡してみると、その風景の中には、もうひとつ、人が長い時間をかけて育ててきたものがあります。梨畑です。春には白い花を咲かせ、夏から秋へ向かうころには、枝にずっしりと実をつける。その梨畑に、一度はこの丘を離れながら、再び帰ってきた人がいます。
しかも――。農家を継ぎたいと言った彼に、最初に「継がなくていい」と言ったのは、ほかでもない農家だった祖母でした。どうして祖母は、孫が梨農家になることに反対したのでしょう。そして彼は、なぜそれでもこの丘へ帰ってきたのでしょう。次は、白い花の向こうに続いてきた家族の時間を訪ねてみましょう。
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第四章 「継ぐな」と言われたのに、なぜ梨畑へ帰ってきたの?
展望台から見えた丘を、もう少し歩いてみましょう。その先には、呉羽丘陵の風景を長い時間つくってきた梨畑があります。春には、枝いっぱいに白い花が咲く。花が散れば、小さな実ができる。農家はその実を見守りながら、ひとつひとつ育てていきます。
そんな梨畑で山本哲也さんが出会うのは、一度は会社員として働きながら、故郷へ戻り、梨農家になった男性です。しかし彼が農家を継ごうとしたとき、それに反対した人がいました。おばあちゃんです。農家の家に生まれた孫が、「自分も農家をやりたい」と言った。
だったら普通は、「よく言った。これで安心だ」となりそうな気もします。でも、おばあちゃんは反対しました。なぜだったのでしょう。もちろん、本当の理由は本人の言葉を聞かなければ分かりません。ただ、梨農家として生きてきたおばあちゃんだからこそ、知っていたこともあったのではないでしょうか。
梨は、花が咲けば勝手に実るわけではありません。天候に左右される。枝を整えなければならない。花を見て、実を見て、病気や虫にも気を配る。収穫が終わったからといって、そこで一年の仕事が終わるわけでもありません。農家を継ぐということは、単に「家の仕事を引き継ぐ」ということではないのでしょう。
これから先の人生を、この土地と、この木々とともに生きていくと決めることでもあります。だから、私たちは少しだけ想像してしまいます。もしかしたら、おばあちゃんは孫を梨畑に縛りつけたくなかったのではないだろうか、と。
「あなたは、あなたの人生を生きなさい」そんな気持ちが、「継がなくていい」という言葉になったのかもしれません。もちろん、これは私たちの想像です。全然違う理由だったのかもしれません。それでも、孫の人生を思う祖母の気持ちを想像すると、「継ぐな」という言葉が、少しだけ違って聞こえてきます。
拒絶ではなく、自由にしてあげたいという愛情だったのかもしれない。そして男性は、一度、梨畑とは違う人生を歩きます。会社員として働き始めました。おばあちゃんが願ったとおりだったのかどうかは分かりません。けれど、一度外へ出たからこそ、見えるものもあったのではないでしょうか。
実家に帰れば、そこには梨畑がある。子どものころから見てきた木がある。春になれば白い花が咲き、季節が進めば枝に梨が実る。そして、その風景をつくってきた家族がいる。そんな実家を眺めながら、「自分が継がなかったら、この先どうなるんだろう」と考えたことがあったのかもしれません。
でも、家業を「継ぐ」ということは、過去から渡されたものを受け取るだけではありません。自分の次へ渡せるところまで運んでいくことでもあるのでしょう。
明治時代、誰かが呉羽の土地に一本の梨を植えた。それを別の誰かが育てた。次の世代が受け取り、また次へ渡した。そうして100年以上たった今、春になると呉羽丘陵には白い梨の花が咲きます。男性が帰ってきた梨畑も、その長い時間の途中にあります。
だから彼が帰ってきたのは、単に「農家になりたかったから」だけではなかったのかもしれません。自分が育った場所。家族が守ってきた仕事。そして、自分が受け取らなければ、いつか途切れてしまうかもしれない風景。そのどれかひとつではなく、いくつもの思いが重なって、彼をこの丘へ連れ戻したのかもしれません。
けれど、ここで大切なのは、「家業は継ぐべきだ」という話ではありません。おばあちゃんには、おばあちゃんの人生があった。孫には、孫の人生があります。継がない自由もある。帰らない人生だってある。だからこそ、一度別の道を歩いた男性が、それでも自分で梨畑へ帰ることを選んだ――そのことに意味があるように思えます。
春に咲いた梨の花が、夏になると実を結ぶように。おばあちゃんから渡されたものも、同じ形のまま受け継がなくていい。一度離れて、迷って、遠回りして。それでも自分で選んで帰ってきたとき、初めて自分の人生として実を結ぶものもあるのでしょう。
そして男性は今日も、この丘で梨を育てています。花を育てる女性がいる。展望台を掃除する男性がいる。一度離れた梨畑へ帰ってきた人がいる。ここまで歩いてくると、旅の最初に抱いた問いが、もう一度聞こえてきます。
なぜ人は、この丘に帰ってくるのでしょう。そろそろ答えを探すためではなく――ここまで出会った人たちの姿を思い出すために、もう一度その問いを眺めてみましょう。
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最終章 なぜ人は、この丘に帰ってくるの?
ずいぶん歩いてきました。旅の始まりに見たのは、春になると呉羽丘陵を白く染める梨の花でした。明治時代、この土地で梨を育てようとした人がいた。一本の木を植え、それを育てる人がいて、また次の人が受け継いだ。そんな営みが100年以上積み重なって、いつしか梨畑そのものが、この丘を代表する風景になりました。
そして今も、丘には花を育てる人がいます。いつか呉羽丘陵を花でいっぱいにしたいと願いながら、目の前の土に手を入れる女性。展望台には、10年にわたって掃除を続ける男性がいます。誰かが見ているわけでもなく、掃除をした証しが残るわけでもない。それでも、また展望台へやってきます。
梨畑には、一度は会社員として別の道を歩きながら、再びこの丘へ帰ってきた農家の孫がいます。三人とも、やっていることは違います。そして、それぞれに理由があるのでしょう。けれど、その理由をひとつの言葉にまとめる必要はないのかもしれません。
「郷土愛」だから。「地域のため」だから。「家族のため」だから。そんなきれいな言葉を当てはめた途端に、その人が積み重ねてきた時間から、何か大切なものがこぼれ落ちてしまうような気もします。
花を育てる女性には、花を育てる女性にしか分からない思いがある。展望台を掃除する男性には、10年間ほうきを動かしてきた人にしか分からない思いがある。梨畑へ帰ってきた男性には、梨の木の下に立ったときにしか分からない思いがある。もしかすると、その胸の奥にはほんの少し、「これは自分がやるんだ」という、小さなプライドがあるのかもしれません。
誰かに自慢するほど大きなものではない。名前を残したいわけでもない。大きな羽を広げて、空を飛んでみせるわけでもない。いつもの道をとぼとぼ歩いて、いつもの場所へ行って、今日も自分のできることをする。私たちは、そんな人を勝手に、「そのへんのペガサス」と呼んできました。
考えてみれば、風景というものは、そんなペガサスたちがつくっているのかもしれません。私たちは旅先で、「きれいな花畑だな」「気持ちのいい展望台だな」「おいしそうな梨だな」と、その風景だけを見ています。でも、その向こうには必ず、人の時間があります。
土を耕した時間。草むしりをした時間。ほうきを動かした時間。枝を剪定した時間。誰にも見られなかった時間。そして、それを何年も何十年も繰り返した時間。そんな小さな時間が幾重にも重なって、いつしか私たちが「この土地らしい風景」と呼ぶものになっていくのでしょう。
だから――。旅の始まりに抱いた問いを、最後にもう一度だけ置いてみたいと思います。
なぜ人は、この丘に帰ってくるのでしょう。
答えは、書かないでおきましょう。花を育てる女性の答えと、展望台を掃除する男性の答えは、きっと違う。梨農家の答えも違うでしょう。そして、この旅を見た人、この物語を読んだ人の答えも、それぞれ違っていい。
春になれば、梨の白い花が咲きます。その花はやがて散り、夏には実を結びます。別の場所では、誰かがまた新しい花を植えている。展望台には今日も人が訪れ、その足元は、誰かの手によって静かに整えられている。そんな風景のどこかを、今日も一頭のペガサスが歩いているのかもしれません。
羽を広げることもなく。誰かに気づいてもらおうともせず。いつもの道を、とぼとぼと。でも、その小さな足跡のあとには――花が咲き、梨が実り、人が帰ってくる丘が残っていく。
「なぜ?」の続きは、呉羽丘陵を歩いた一人ひとりの心の中に残しておきましょう。それくらいが、きっと――小さな旅には、ちょうどいいと思うのです。
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